26日、日本障がい者スポーツ協会(JPSA)は都内で創立50周年記念式典を行った。式典には2020年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長らスポーツ界、政財界などから約300人が出席した。JPSAの鳥原光憲会長は関係者各位に感謝の意を述べ、「障がい者スポーツ50年の歴史をしっかりと受け継ぐとともに、時代の変化に的確に対応し、新たな発展を成し遂げていく責任があります」と抱負を語った。
(写真:新たに発表されたコミュニケーションマークを中心にポーズをとる鳥原会長<右上>とパラリンピアンたち)
 1964年の東京パラリンピック開催を契機に、JPSAは翌年の5月24日に創立された。半世紀の時を経て、障がい者スポーツはリハビリのためのスポーツから、生涯スポーツ、競技スポーツへと発展。関連団体・施設も続々と増えていった。

 50年の節目にあたり、鳥原会長は冒頭の挨拶で皇室、日本の障がい者スポーツの生みの親である中村裕博士などに謝辞を述べた。「障がい者スポーツの現場で長年、ご尽力いただいた関係者ひとりひとりの存在を決して忘れることはできません」。さらには「限界に挑戦し、多くの人々に感動や勇気、希望を与え、スポーツの力を社会に示したアスリートたちが自ら障がい者スポーツ発展の道を切り拓いてきた」とパラリンピアン、パラアスリートたちを称えた。

 式典では、協会やスポンサーが活用する「コミュニケーションマーク」が発表された。鳥原会長は「スポーツの素晴らしさを誰もが享受できる社会を作ろうという私どもの決意と、未来に向かってさらに飛躍しようという熱い気持ち。これが込められたマークになったなと思っております」と語った。新たなに生まれたマークはアスリートたちにも好評。陸上の高桑早生は「スポーツというものがイメージしやすいシンプルで力強いマーク」と口にすれば、アルペンスキーの村岡桃佳は「とても躍動感にあふれていて、私自身もこのマークとともに世界に羽ばたいていきたい」と述べた。木村敬一は「このような熱い思いが発表された瞬間に立ち会えたことがすごくうれしいです。私たち選手はこのマークのメッセージを体現する使命がある」と気を引き締めた。

 5年後のパラリンピック開催に向け、認知も徐々に高まりつつある。JPSAはこの波に乗り、さらなる拡大を図りたい。若きパラリンピアンで、次世代のリーダーとしても期待される2人は大会成功へ提言した。
「パラスポーツを1人でも多く知っていただく。そのために私たちアスリートはできるだけ、高いパフォーマンスをそれぞれの競技で発揮して、これだけパラリンピックスポーツが魅力的だということを発信していくことが大事だと思っています」(高桑)
「私たち選手にできることは、何よりも結果を出して高いパフォーマンスを見せること。障がいを持っている中で、スポーツでいい成績を残す、いいパフォーマンスを出すということは、ある意味、人間の無限の可能性を示すことができるのではないかなと、心から思っています」(木村)

 一方、鳥原会長は「2020年東京パラリンピックの開催は、(我々の)ビジョン実現を加速する大きな起爆剤になります。このチャンスを最大限に生かし、諸施策の推進に努め、障がい者スポーツを通じた共生社会の変革を着実に進めていくことが私どもの使命」と意気込む。「そのための2020年東京パラリンピックの成功は必至の課題。満員の観客と日本選手団の大活躍を実現させるなど、大会成功のために邁進し、パラリンピックのレガシーの最大化を図り、次の半世紀で障がい者スポーツの発展を期して参る決意であります」。50周年を迎え、更なる進化を目指す。

(文・写真/杉浦泰介)