25日、東京ヤクルトスワローズの新監督就任会見が行なわれ、ゼネラルマネジャー(GM)として北海道日本ハムをリーグ2連覇に導いた高田繁氏が新監督として正式に就任することが発表された。
(写真:21年ぶりに監督復帰した高田繁新監督<左>)
 鈴木正球団社長に伴って会見場に現れた高田氏。その顔からは21年ぶりに最下位に陥った球団の指揮官に就任したとは思えないほど、柔らかな笑みがこぼれていた。「クリーンで紳士的。その中に秘められた闘志がある人」。鈴木球団社長がそう表現したように、高田氏は会見中も終始笑顔だったが、その冷静な口調からはGMとしてチーム強化に成功した自信と誇りが垣間見えるようだった。

「GMとしてフロントの仕事をしてきたということで、体を使っていなかった。そういう意味で監督が務まるのかな、と考えたりもした。しかし、年齢的にも体力的にも監督をやれる最後のチャンスじゃないかと。よく“監督って大変でしょ”と言われるが、本当にその通り。だから、これが最後かな、と思って引き受けた」

 高田氏は現在、62歳。契約が満了となる3年後には65歳だ。長嶋茂雄氏、王貞治氏(福岡ソフトバンク監督)、土井正三氏……60代半ばを過ぎて病に倒れたV9時代の先輩たちのことを考えれば、高田氏が“最後のチャンス”というのもうなづける話だ。

 意を決して21年ぶりに指揮官となった高田氏は、どのようにヤクルトを再建していくのだろうか。一番に掲げたのは「1点を大切にする野球」だった。
「投手を中心とした守り、それと足を使った機動力野球をやりたい」と高田氏。秋季キャンプでは早速、エンドランやバスターなどの小技を使った実践的な練習を取り入れるという。

 また、「新戦力が出てこなければ、来季も厳しい」と言う高田氏は、若手育成もチーム再建の重要課題の一つと見ている。ヤクルトは増渕竜義(鷲宮)、佐藤由規(仙台育英)と2年連続で「高校生No.1」の呼び声高い投手を獲得した。高田氏も「増渕は昨年のドラフト前に実際に見て、ほれこんだピッチャー。本当なら(日本ハムに)欲しかったくらいで、楽しみだ」「佐藤はあれだけ速い球を投げるのだから、1年目から十分即戦力として計算できる」と語り、「まずはキャンプで力を見てみてから」としながらも、来季は2人を積極的に起用していくもよう。その他の若手にもどんどんチャンスを与え、FAやトレードでの補強に頼らず、自前で選手を育てていく覚悟だ。

 久々にユニホームを身にまとうこととなった高田氏の背番号は「88」と決定した。これは巨人V9時代に付けていた「8」を並べた番号でもあるが、理由はそれだけではない。「(日本ハムの)ヒルマン監督は88番をつけていい結果を出せた。それにあやかりたいなと」。果たして、ご利益はあるのか。
 Aクラス復帰、いや7年ぶりの日本一に向けて11月5日、愛媛・松山で新生“高田ヤクルト”が始動する。

高田繁(たかだ・しげる)プロフィール>
1945年7月24日、大阪府出身。62歳。浪商高(現・大阪体育大学浪商高)1年時には夏の甲子園に出場し、全国制覇を成し遂げた。卒業後、明治大に進学し東京六大学野球で活躍。1年秋から前人未到の7季連続でのベストナイン受賞し、リーグ通算最多の127安打を記録した。68年、ドラフト1位で巨人に入団すると、すぐさまレギュラーをつかむ。走攻守揃った名外野手として巨人のV9に貢献、80年に現役を引退した。その後、日本ハム監督、巨人コーチおよび2軍監督を経て、05年に北海道日本ハムのGMに就任。球団史上初のリーグ2連覇に大きく貢献した。来季は21年ぶりに監督復帰し、ヤクルトの指揮をとる。背番号は「88」。