さる9月15日、東京・後楽園ホールで行われた日本スーパーフェザー級タイトルマッチで、挑戦者の三浦隆司(横浜光)を判定で下し、5度目の防衛を果たした同級王者の小堀佑介(角海老宝石)。00年2月のプロデビュー以来、天性のボクシングセンスで、着実にステップアップしてきた。07年5月19日にはOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座との2冠達成。現在、日本タイトルの防衛を続ける小堀に、二宮清純がインタビュー。ボクシングを始めたきっかけ、世界チャンピオンへの思いなどを訊いた。
二宮: 5度目の防衛、おめでとうございます。横浜光ジムの三浦選手はしぶとそうな選手でしたね。
小堀: しぶとかったです。打たれ強い選手でした。終了間際にダウンをとったんですけど、倒すには時間がなかったですね。

二宮: 4度目の防衛戦で戦った村上潤二選手(八王子中屋)が急性心不全で亡くなられたそうですね。聞いたときはショックだったでしょう。
小堀: はい。びっくりしました。最初は自分の試合の影響かとも思いましたけど、後で心臓が原因と聞きました。お葬式には出席して、手を合わせてきました。(村上選手に)恥をかかせないような試合をしていこうと思っていす。「世界を獲る」とは誓えなかったですけど……。

二宮: 小堀選手の試合で一番印象的なのは、日本タイトルを獲った真鍋圭太(石川)戦です。戦前の予想では、小堀選手が不利だと言われていましたが、ご自分ではどういう気持ちで挑んだんですか?
小堀: このタイトル戦で負けたら、ボクシングはもう辞めようと決めていました。

二宮: 初挑戦でも負けたらやめようと?
小堀: そうですね。辞めるのは、タイトルに挑戦して負けたときか、ベルトを獲って防衛に失敗したとき、と自分の中で決めていました。だから、思い切り楽しんでやろうと思って臨みました。

二宮: 2ラウンドで2回、ダウンをとりましたね。
小堀: はい、1ラウンドのインターバルのときに、田中(栄民)トレーナーから「向こうの左ジャブに合わせて右クロスをかぶせろ」という指示を受けたんです。その通り、ドンピシャでしたね。手ごたえもありました。

二宮: 最初は勝てる自信はなかった?
小堀: そうですね。どんな相手かあまり知らなかったんですけど、相手の戦績を見ると、KO勝ちが多かったので。でも、圧力はそんなに感じませんでしたね。

二宮: 大之伸くま選手(FUKUMA)にもKO勝ちしていますね。彼も力のある選手でしょう。
小堀: 身体のパワーは強かったんですけど、前に出てくるだけでしたね。そこまで回転も速くなかったので、こっちの回転のスピードを速くすれば倒せるな、と。そうしたらちょうど当たって勝てました。

二宮: もともと、ボクシングを始めたきっかけは?
小堀: 高校1年の夏から始めたんですけど、女の子にモテたいと思って……(笑)。人気者になりたかったんです。

二宮: どうして、サッカーや野球ではなくボクシングを? ボクシングをやっても、モテるかどうかはわからないでしょう(笑)。
小堀: 今考えればそうですけど(笑)、そのときはボクシングがかっこいいかなぁと。テレビで見た印象が残っていたんだとおもいます。最初は、練習にもたまにしか行かなかったんですけど、2〜3か月たってボクシングを覚えてきたら、だんだん楽しくなってきて……。そこからは、1日も休まず、高校3年まで練習に通いました。

二宮: 最初にタイトルを獲ったのは?
小堀: 高校3年の4、5月くらいだったと思います。関東大会で表彰されました。

二宮: それでモテるようになった?
小堀: うーん、少しは……。でも、考えていたほどじゃなかったですね(笑)。

(続く)

小堀佑介(こぼり・ゆうすけ)
1981年10月11日、千葉県出身。高校1年の時に地元ジムでボクシングを始める。アマ戦績15戦9勝6敗。99年(高校3年)の10月、角海老宝石ジムに入門。00年2月19日、プロデビュー。06年1月14日、日本スーパーフェザー級王座獲得。07年5月19日にはOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座との2冠達成。現在、日本タイトル防衛中。


※現在発売中の小学館「ビッグコミックオリジナル」二宮清純コラム『バイプレーヤー』にて、小堀選手のインタビューが掲載されています。そちらもぜひご覧ください!