投打の柱、黒田博樹と新井貴浩がそろってチームを去った今、どうなるカープ、どうするカープ――。
 07年12月8日、都内で『第4回東京カープ会』が開かれた。熱心なカープファン約230人と6人のパネリストが、愛するカープについてトークバトルを展開した。どのようにすれば、かつての“最強赤ヘル軍団”は蘇るのか。
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上田: 川口さんは以前、そのとき、最初にフォームを修正されたとおっしゃっていましたね。
川口: はい。大石清コーチにヒジの使い方を教わりました。1軍のキャンプを経験し、アマチュアとのギャップを痛感して2軍に落ちた。そこでプロ野球選手としての土台をつくることができたと思っています。でも、当時の2軍はひどかったですよ。

金石: 陸上部でしたからね。死ぬまで走らされました(笑)。
川口: 午前10時から午後3時くらいまでの練習ですが、あの密度がすごかった。あれだけの練習をしていたら下半身はしっかりできますよ。僕は「リリースポイントが高いから、もっと前で放すように」と課題を与えられて、大石さんとフォームの修正をしていたらヒジを痛めてしまいました。そこでヒジの使い方を習い、下半身が鍛えられたことがプラスに働いたと思うんです。ヒジを無理なく前へ出すことを考えたら、ステップの幅を広げないといけない。ステップの幅を広げるには下半身の安定が必要ですから。

上田: つまり、プロで通用する正しい投げ方を覚えこませるための徹底した指導が当時のカープにはあったということです。今のカープとの大きな違いは、そこなんですよ。現状のコーチ陣に、そういった高い指導能力を持った人材がいるのだろうか。カープの伝統を選手たちに伝えることができているのだろうか。今のブラウン体制をみても、リブジーコーチを除けば、どうみても球団のお仕着せで、監督が孤立しているように見えます。カープが弱くなっている原因のひとつはコーチ陣にある気がしてなりません。

二宮: どうも現状は選手より球団幹部のほうを向いているコーチが多いんじゃないか。
金石: 責任をとれるコーチがいないということでしょうね。選手を指導して、もしダメだったら、オレも辞めるという気持ちが薄いのかもしれません。

二宮: カープのコーチはどのように決められているのでしょう?
田辺: 見てお分かりの通り、選考基準は元カープの選手。いわゆる再就職です。その中でも再就職させやすい人ということになるでしょう。どの世界でもそうですけど、上司にたてつく人間は嫌われますから。私も何回、転職したことか……(笑)。

下前: オーナーは「カープは育成球団だから、コーチも育成する」といった趣旨の発言をされています。もちろん若いコーチがいてもいい。ただ、1軍、2軍に投手、打撃で最低1人ずつは経験豊富なコーチが必要なんです。「コーチも育成」となったら、その下で教わる選手たちはどうすればいいのか。
川口: BCリーグやアイランドリーグでは、当然ながら監督・コーチの給料が選手よりも高くなっています。首脳陣の年俸は数百万とはいえ、選手は月10万円の世界です。つまり、そこには監督やコーチが選手にノウハウを伝えることが期待されているわけです。
 ところがカープの場合、コーチの給料は選手と比べてかなり低い。それが育成のためなのか知りませんが、1人でも2人でもお金を出して、いいコーチと契約すべきです。
 巨人の内海哲也が安定して勝てるようになったのは、2軍の小谷正勝コーチがあるアドバイスをしたからです。それはグラブの位置を変えたこと。言われてみればその通りですが、ピンポイントで指導できるか。

二宮: 西武が強かった時代、森祇晶監督は杉下茂さんをコーチに招いたことがありました。その理由を森監督に訊いたら「杉下さんはフォークボールのスペシャリスト。そのノウハウを教えられるのは杉下さんしかいない。うちの投手がその技術をマスターしてくれれば、あと20勝は増える」と。コーチの持っている知識や能力で20も勝ち星が引き出せるのであれば、5000万円出してももったいなくない。これがプロのコーチのあり方だと思います。
川口: そのとおりです。1軍のコーチは安くてもいいから、せめて2軍のコーチは給料を高くして、それに見合った人材を呼んでくる。これが大事ですよ。

(Vol.7に続く。随時更新します)

金石昭人(かねいし・あきひと)
 1960年12月26日、岐阜県出身。PL学園高では控え投手だったが、夏の甲子園優勝を経験。79年ドラフト外で広島に入団した。196.5センチの長身から投げ下ろすストレート、フォークを武器に85年に6勝をマークすると、86年に12勝をあげてリーグVに貢献した。日本ハムに移籍した92年には自己最多の14勝。93年以降は日本ハムのクローザーとして活躍した。98年に巨人に移籍し、同年限りで引退。通算成績は329試合、72勝61敗80セーブ、防御率3.38。現在は解説業も行いながら、都内で飲食店を経営している。

川口和久(かわぐち・かずひさ)
 1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。

田辺一球(たなべ・いっきゅう)
 1962年1月26日、広島県出身。スポーツジャーナリスト。カープ取材歴は約20年にのぼる。“赤ゴジラ”の名付け親。著書に『赤ゴジラの逆襲〜推定年俸700万円の首位打者・嶋重宣〜』(サンフィールド)がある。責任編集を務めた『カープ2007-2008永久保存版』も好評発売中。現在もプロ野球、Jリーグほか密着取材を行っている。スポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表。
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上田哲之(うえだ てつゆき)
 1955年、広島県出身。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。



下前雄(しもまえ・たかし)
 1966年、広島県出身。株式会社ジーアンドエフ代表取締役。一橋大学経済学部卒業後、三井不動産入社。93年にジーアンドエフを設立。ソフトウェア開発を中心に事業を展開。NPO法人一橋総合研究所理事兼任。
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