投打の柱、黒田博樹と新井貴浩がそろってチームを去った今、どうなるカープ、どうするカープ――。
 07年12月8日、都内で『第4回東京カープ会』が開かれた。熱心なカープファン約230人と6人のパネリストが、愛するカープについてトークバトルを展開した。どのようにすれば、かつての“最強赤ヘル軍団”は蘇るのか。
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二宮: ここ最近を振り返っても二岡智宏(巨人)、福原忍(阪神)……。どんな理由があるにせよ、地元出身のいい選手を獲得できなかったというのは、ドラフト戦略の失敗でしょう。
田辺: 現状をみれば、明らかに「失敗」の印がつきますよね。

二宮: みなさん、覚えていますか? 00年にドラフト1位で入団した横松寿一という投手を。本人にはかわいそうですが、どうみてもドラフト1位という素材ではなかった。スカウトは何を見て獲得したのか、と思いましたよ。そういった例が近年は多すぎませんか?
上田: 多いどころか、毎年そればかりでしょう(苦笑)。最近獲った高校生の1位で今後、期待が持てそうなのはPL学園出身の前田健太くらい。少しさかのぼれば大竹寛もいますが。彼らを除くと、ほとんど1軍の戦力になっているとは言いがたい。
 今年入団する選手でも、京都すばる高校の中村憲投手は地元の人に聞いたら、「いいバッターですよねェ」と言われていましたよ(笑)。

下前: カープは高卒を獲って一生懸命育てていますが、数年後に大学・社会人ドラフトで争奪戦になるような逸材だったかというと、そうではない選手が多いと思います。現状のドラフトシステムであれば、くじ引きで交渉権は決まります。ならばナンバーワンの選手に手を挙げても一向に構わないはず。その点でカープは非常に弱気です。
 北海道日本ハムをみてください。一昨年は長野久義(当時日大、現ホンダ)を強行指名しました。昨年の高校生ドラフトでは抽選で中田翔を獲得し、大学生・社会人ドラフトでは大場翔太(東洋大−ソフトバンク)、服部泰卓(トヨタ自動車−千葉ロッテ)と積極果敢に指名をしました(いずれも抽選で外れ、最終的には多田野数人を獲得)。
 カープが強かった時代はどうでしょう。川口さんがドラフト1位だったドラフト(80年)、実は原辰徳(巨人が指名)をカープは1位指名しました。5球団が競合した近藤真一(86年、中日が指名)、8球団が争った小池秀郎(90年、ロッテが指名)にもチャレンジしました。

二宮: 入団を拒否されましたが78年には木田勇(後に日本ハムが指名)を抽選で交渉権獲得したケースもありましたね。
下前: 結果論としては、原を獲得するより川口さんでよかったかもしれません。でも、当時のナンバーワン選手を獲得しようという気概が強いカープを支えていたんです。

二宮: みなさん、カープの春季キャンプに行かれたことはありますか? ぜひ、行ってみてください。昔はカープのブルペンは楽しみでした。大野豊さん、北別府学さん……。とにかくボールが速かった。金石さんは入団された時に、とんでもないところに入ったと思われたのでは?
金石: 当時は池谷公二郎さんも、山根和夫さんもいました。1軍の投手枠が12人だとしたら、そのうちの11人は既に決まっていましたよ。残り1枠を白武佳久とか、片岡光宏とか僕が争っていた状況です。だから非常にいい競争ができた。お互いにレベルアップする中で、誰が故障しても控えの投手でまかなえるチームが自然とつくられていたように思います。

二宮: 正直、カープの先輩投手陣をみて、活躍できる自信はありましたか?
金石: やれる自信はありませんでした。ただ、なんとか先輩のレベルに追いつきたいという気持ちで頑張りました。そこに到達しない限り、プロの世界では生きていけないと。

二宮: 川口さんもドラフト1位ですが、実際にプロで差を感じたことは?
川口: カープに入団した年、僕は1軍キャンプからのスタートでした。いきなり先輩方のボールを見たときに「とんでもないところだ」と思いましたよ。球のスピード、変化球のキレ、太刀打ちできないと感じましたね。僕はアマチュア時代、まっすぐには自信がありました。ただ、僕の場合は、たまによくてもほとんどが悪いボール。1軍で活躍するには、いいボールをずっと安定して投げられないといけない。自信を一気に失いましたね。

(Vol.6に続く。随時更新します)

<パネリストプロフィール>
金石昭人(かねいし・あきひと)
 1960年12月26日、岐阜県出身。PL学園高では控え投手だったが、夏の甲子園優勝を経験。79年ドラフト外で広島に入団した。196.5センチの長身から投げ下ろすストレート、フォークを武器に85年に6勝をマークすると、86年に12勝をあげてリーグVに貢献した。日本ハムに移籍した92年には自己最多の14勝。93年以降は日本ハムのクローザーとして活躍した。98年に巨人に移籍し、同年限りで引退。通算成績は329試合、72勝61敗80セーブ、防御率3.38。現在は解説業も行いながら、都内で飲食店を経営している。

川口和久(かわぐち・かずひさ)
 1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。

田辺一球(たなべ・いっきゅう)
 1962年1月26日、広島県出身。スポーツジャーナリスト。カープ取材歴は約20年にのぼる。“赤ゴジラ”の名付け親。著書に『赤ゴジラの逆襲〜推定年俸700万円の首位打者・嶋重宣〜』(サンフィールド)がある。責任編集を務めた『カープ2007-2008永久保存版』も好評発売中。現在もプロ野球、Jリーグほか密着取材を行っている。スポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表。
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上田哲之(うえだ てつゆき)
 1955年、広島県出身。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。



下前雄(しもまえ・たかし)
 1966年、広島県出身。株式会社ジーアンドエフ代表取締役。一橋大学経済学部卒業後、三井不動産入社。93年にジーアンドエフを設立。ソフトウェア開発を中心に事業を展開。NPO法人一橋総合研究所理事兼任。
>>NPO法人一橋総合研究所のホームページはこちら




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