投打の柱、黒田博樹と新井貴浩がそろってチームを去った今、どうなるカープ、どうするカープ――。
 07年12月8日、都内で『第4回東京カープ会』が開かれた。熱心なカープファン約230人と6人のパネリストが、愛するカープについてトークバトルを展開した。どのようにすれば、かつての“最強赤ヘル軍団”は蘇るのか。
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※パネリストはスペシャルゲストの元カープ・金石昭人さん(野球解説者)、川口和久さん(野球解説者)、田辺一球さん(スポーツジャーナリスト)、上田哲之さん(書籍編集者)、下前雄さん(NPO法人理事)、そして当ホームページ編集長の二宮清純の6名です。

二宮: ところで金石さんは1986年に12勝してリーグ優勝に貢献しました。そのときの防御率は2.68。これはすばらしい成績です。
金石: そうですか。完全に忘れていた(笑)。川口さんはローテーション投手でしたから月2勝すればいいという感覚でしょうが、僕みたいな谷間に投げる人間は月に1、2回しかチャンスが回ってこない。だから、その1回、2回をいかに勝つか。そこに全精力を注ぎましたね。

田辺: この会の内容はインターネットで公開されますから、ぜひカープナインにも読んでもらうように薦めたいと思っています。なぜなら今のカープの選手には、先発なら月1勝とか2勝をまず目標にするという発想がないみたいなので……。
 今シーズンも、夏場に入って2、3勝止まりの投手が多かったのですが、彼らは投げる試合を全部勝たなくては、と余計に固くなっています。逆の発想で月に1つでも2つでも勝てばいいと思えば、もう少し気楽に投げられるはずです。そういったことを川口さんにはぜひオフの間だけでもカープに教えていただきたいと思いますね。(場内拍手)

二宮: 川口さん、ぜひ臨時コーチを!
川口: 僕も呼ばれれば喜んで行きますよ。ただ、自分から出て行った人間をカープは呼び戻してくれないでしょう。

二宮: 金石さんは日本ハム移籍1年目(92年)に14勝。金石さんだけでなく、白武佳久(ロッテへ移籍)、長冨浩志(日本ハムへ移籍)など、元カープの投手は他球団でよく活躍しました。いかに当時の投手陣のレベルが高かったかわかります。
金石: 川口さん、大野豊さん、北別府学さん……。他球団で頑張って給料を抜きたいと思いながら必死に投げましたね。それで年俸は最高で1億5000万円ちょっと行きました。

川口: でも金石が日本ハムに行ったとき、電話がかかってきました。「このチームは絶対勝てません」と。
金石: 今のカープの状態とよく似ていたと思います。まず負け癖がついている。諦めるのが早いんです。どうせ負けるんだろう。そんな感覚で試合をやっていました。先に2、3点取られただけで、早く試合終わらないかなという雰囲気になっていましたね。

二宮: それはやっぱり優勝したり、勝つ喜びを知らないからだと?
金石: そうですね。カープは僕がいたころはBクラスがほとんどなかった。少なくとも夏場を過ぎるまでは優勝争いに絡んでいました。そういう環境の中でやっていたから、他のチームでも気持ちを切らさず、成績が残せたのかなと。カープには本当に感謝しています。

二宮: そんな良き伝統はどこへ行ったのか。では、次は打撃の話をしましょう。新井貴浩(阪神)の抜けた穴は、さしあたり外国人で埋める方針のようですね。
田辺: 早速シーボルという外国人を獲得しました。サードが守れて、3Aでは4番を打って打率3割、30本塁打、100打点。ただし年俸は3600万円プラス出来高と高くありません。

二宮: それならシーツを呼び戻したほうがいいのでは?
田辺: 一応、シーツの守備力に打力を加えたようなすばらしい選手という評価です。

二宮: それは球団が言っているんでしょ? 本当ですかね(笑)。シーツの守備力で打撃は上だったら、ものすごい選手ですよ。シーツだって阪神では3番を打ったくらいですから。
田辺: とりあえずシーボルは4番候補で、和製大砲の栗原健太と競い合ってもらいながら2人で新井の穴を埋めてもらう。そして1、2番をしっかり固定して打線を組むというのが現時点で描いている青写真のようです。
 加えて嶋重宣を育てた内田順三打撃コーチが復帰しました。復活にかける嶋にとってはプラスでしょうね。彼が前田智徳と交互に5番に入って打点を稼ぐ形になるといいのですが。

二宮: アレックスもクリーンアップを打てますから、打線だけみれば悪くはない。
田辺: それがつながればいいですけど、バラバラになることが多いので……(笑)。

二宮: 川口さんはカープ打線をどうご覧になられますか?
川口: 僕はこうなったら、“つなぎの4番”が必要だと思います。前評判のいい外国人に限って、期待通りに働いた選手はあまりいないんです。だって、監督のマーティだって現役時代、評価は高くなかったですよ。でも、彼は頑張ってチームに貢献しました。
 確かに長打力があるというのは大きな魅力ですが、それよりも三振しないことのほうが重要だと僕は考えています。たとえば梵英心が4番とか、ダメですか? 何かを変えないと今のカープは良くならないと思っているんです。

田辺: 千葉ロッテのサブローの例もありますし、ありえない話ではないでしょう。実はこのオフ、本人に4番を打つ気があるか聞いてみたんです。まったく否定はしませんでした。それもありかなという口ぶりでしたよ。

(Vol.4に続く。随時更新します)

<パネリストプロフィール>
金石昭人(かねいし・あきひと)
 1960年12月26日、岐阜県出身。PL学園高では控え投手だったが、夏の甲子園優勝を経験。79年ドラフト外で広島に入団した。196.5センチの長身から投げ下ろすストレート、フォークを武器に85年に6勝をマークすると、86年に12勝をあげてリーグVに貢献した。日本ハムに移籍した92年には自己最多の14勝。93年以降は日本ハムのクローザーとして活躍した。98年に巨人に移籍し、同年限りで引退。通算成績は329試合、72勝61敗80セーブ、防御率3.38。現在は解説業も行いながら、都内で飲食店を経営している。

川口和久(かわぐち・かずひさ)
 1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。

田辺一球(たなべ・いっきゅう)
 1962年1月26日、広島県出身。スポーツジャーナリスト。カープ取材歴は約20年にのぼる。“赤ゴジラ”の名付け親。著書に『赤ゴジラの逆襲〜推定年俸700万円の首位打者・嶋重宣〜』(サンフィールド)がある。責任編集を務めた『カープ2007-2008永久保存版』も好評発売中。現在もプロ野球、Jリーグほか密着取材を行っている。スポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表。
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上田哲之(うえだ てつゆき)
 1955年、広島県出身。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。



下前雄(しもまえ・たかし)
 1966年、広島県出身。株式会社ジーアンドエフ代表取締役。一橋大学経済学部卒業後、三井不動産入社。93年にジーアンドエフを設立。ソフトウェア開発を中心に事業を展開。NPO法人一橋総合研究所理事兼任。
>>NPO法人一橋総合研究所のホームページはこちら




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