夢のような話だが、事はそううまく運ぶのか……。
 9月中旬、山梨県の小学5年生MF宮川類くんがスペインリーグの強豪アトレティコ・マドリードの下部組織に入団した。日本人が10歳という若さで欧州の名門クラブに入団した例はなく、これは快挙と呼べる。

 類くんを受け入れるアトレティコは100年以上の歴史を持つスペイン屈指の強豪クラブ。リーグ優勝9回の実績を誇り、レアル・マドリード、バルセロナに次ぐスペイン第3のクラブと評されている。

 そのビッグクラブが、弱冠10歳の日本人少年に大きな期待を寄せているというのだ。契約期間は5年。クラブは渡航費以外を全て負担するVIP待遇で迎え入れる方針。

 3歳からサッカーを始めた類くんは日本協会が選手育成のために行っているトレセンには参加していない、言わば隠れた好素材。50メートルを8秒台前半で駆け抜ける俊足の持ち主で、テクニカルなドリブルには年齢以上のキレがあるときく。

 アトレティコ入団のきっかけはスペインのマドリードで6月の中旬から約1ヶ月間、開催されたサマースクール。当初は枠がいっぱいで、類くんの参加は難しい状況だったが、スペインへの熱意を込めた作文をクラブに送ったところ運よく参加を認められた。実際にプレーしたところ育成スタッフから高評価を受け、入団の誘いを受けた。既にスペイン語を独学で学び、あいさつ程度ならこなすというから、準備に余念がないようだ。

「早くプロになりたい。(元アルゼンチン代表のスターである)マラドーナ以上の選手になる」とは類くん。単身スペインに渡り、現地の日本人学校に通いながら、トップチーム入りを目指す。

 現在の欧州サッカー界において、類くんのようなビッグクラブによる“青田買い”は珍しいことではない。
 8月には、イングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドが9歳のオーストラリア人少年レイン・デイビスくんと契約を結んだことが注目を集めた。

 デイビスくんのケースは一風変わっている。祖父がデイビスくんのプレー集を収めたDVDをクラブに送ったところ、関係者の目にとまり、契約の運びとなったのだ。彼がオーストラリア・ブリスベーンのU-10でプレーしている映像は米グーグル傘下の動画投稿サイト「ユー・チューブ」で流れ、人々の話題をさらっている。

 私も「ユー・チューブ」で彼のプレーを観たが、足に吸い付くようなドリブルは9歳のそれとは思えなかった。マンU側は「9歳の少年40人と同じような契約をしている。デイビスくんはあくまで、その中の一人にすぎない」と話しているが、「天才少年」への期待は高まる一方だ。

「(イングランド代表のエースストライカーである)ルーニーみたいなスターと会えるのが楽しみ」とデイビスくんは屈託なく話していたが、周囲は早くも「ルーニー2世」と呼ぶなど加熱気味だ。

 こうした若年層の選手獲得が、欧州のクラブにとって欠かせない強化手段であることは以下の理由による。
 移籍金が高騰している現在の欧州サッカー界において、移籍金がゼロ、もしくは安価な若年層はまだスコップの入っていない人的資源の“鉱脈”だ。

 また、長い年月をかけてじっくり育てることで、クラブの戦術を身につけさせることができる。加えて、チームを応援するサポーターも、若い頃から慣れ親しんだ選手を好む。観客動員にも一役買うという寸法だ。

 選手の側からしても、ビッグクラブの下部組織はレベルが高く、サッカーだけに集中できる環境も整っているから、入団のチャンスがあれば是非モノにしたいと考える。

 実際、欧州において“青田買い”に成功した例は数多く見受けられる。その代表例は、バルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシだろう。彼は成長ホルモンの異常で13歳の頃に身長が143センチしかなかったが、その才能を見込んだバルセロナが治療費の全額負担を約束して、アルゼンチンのニューウェルスから下部組織に招いたことは広く知られている。

 彼のサクセスストーリーは周知の通りだ。スペインリーグで17歳10ヶ月の若さで初ゴールを記録すると、06年ドイツW杯では出場、得点、アシストの3部門で最年少記録を塗りかえた。今季のスペインリーグでは10月26日時点で得点ランキングのトップを快走。いまや押しも押されもせぬバルサの看板選手である。

 その一方でメッシになり損ねた例も数多く存在する。説明するまでもなく各国代表のスター選手が数多く集まってくる欧州のビッグクラブにおいて、育成選手がポジションを確保するのは並大抵のことではない。

 若い年代に鳴り物入りで入団したはいいが、トップチームで出場機会を得られず、貴重な成長期をピッチの外で過ごさざるを得なかった選手なんてザラにいる。将来を嘱望された少年の多くが失意のうちにビッグクラブを裸同然で追われている。それが勝負の世界の現実とはいえ、光が強ければ強いほど、生じる影が濃いことも私たちは知っておかなくてはならない。

 類くんに話を戻そう。スペインの名門クラブに入団が決まったことで、周囲は過剰な期待を彼に寄せているように見える。同じ山梨県出身ということで“中田英寿2世”という声も耳にする。

 私も類くんの成功を祈っている。ただ、現実を見れば、少年はあくまでスタートラインに立っただけに過ぎない。10歳の少年が初めて異国で生活するのだ。メンタル面はどうなのか。将来的にはEU外選手ということで人数制限という障壁とも戦わなければならない。ちょっとやそっとのテクニシャンなら、欧州には掃いて捨てるほどいる。「かわいい子には旅をさせろ」との格言があるが、周囲はそのくらいのおおらかな気持ちで見守った方がいい。彼にとって本当の勝負はまだまだ先なのだから。

(この原稿は『FUSO』2007年12月号に掲載されました)


◎バックナンバーはこちらから