ラモス・ヴェルディが快進撃を続けている。10月13日、東京ヴェルディ1969はJ2第45節で湘南ベルマーレを3対0で破り、6連勝。首位と勝ち点1差の2位につけている。


「オレの体の中には緑の血が流れている。ヴェルディのためだったら給料をもらわなくてもいい。家族を捨ててもいいと思うくらいの気持ちでやる」
 2年前の冬、クラブOBで元日本代表MFのラモスは、J2に降格したヴェルディの監督就任にあたり、力強く言い切った。

 ヴェルディはJリーグ発足後、シーズンチャンピオン2回、ナビスコ杯優勝3回と数々のタイトルを獲得した日本屈指の名門クラブである。その黄金期を不動の司令塔として支えたのがラモスだった。先の言葉にはクラブへの深い愛情と名門再生への固い決意が込められていた。

 しかし1年目はJ2で7位。解任論も飛び出した。2年目の今季も4月から5月にかけて7連敗を喫するなど出だしは最悪。解任はほぼ決定的とみられていた。
 流れが変わったのは5月6日、アウェーでの京都戦だ。試合前、3点差以上の勝利が続投のノルマとされた。結果は4対1。

 続投決定の報告を受けたラモスは、しっかり前を見据えて言い切った。
「逃げるのは簡単。やめるのは簡単。続けるほうが難しい。あとはJ1昇格に向かって結果を出し続けるだけだ」
 一度地獄を見たチームは強い。連敗脱出後は課題だった守備をテコ入れし、19勝4敗7分と破竹の勢い。あっという間にJ1昇格圏内へと浮上した。

 ラモスは自らのことを「執念深い性格」という。ネバー・ギブ・アップ――。常にこの気持ちでサッカーに接してきた。
 あれは今からちょうど30年前、来日直後のことだ。対日産戦、激しいマークに怒ったラモスが相手選手にヒジ打ちすると、相手は大げさに倒れ込んだ。顔を覗くとニヤッと笑った。カッとなったラモスは相手を追いかけ回した。それが原因で1年間の出場停止処分をくらった。

 サッカーをやるために地球の裏側にまでやってきたのに、ピッチの上でボールが蹴れない。普通の選手ならさっさと荷物をまとめて帰国の飛行機に乗り込むに違いない。
 しかしラモスは違った。
「こうなりゃブラジルに尻尾を巻いて逃げ帰るわけにはいかない。人の2倍も3倍も練習したよ。復帰したシーズン(79年)に得点とアシスト王の2冠を獲った時は最高だったね。読売も一部リーグに昇格したしね」

 地獄から天国へ――。
 人生のどん底から這い上がってきた男は、ちょっとやそっとのことではくじけない。年末には美酒が待っている。

(この原稿は2007年11月号『大望』に掲載されました)


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