この国の野球人は24年前の快挙をもっと誇ってもいいのではないか。
 1984年8月7日、ロサンゼルスのドジャースタジアム。ロス五輪野球決勝。公開競技とはいえ、日本は米国を6対3で破り、金メダルを獲得した。

 米国代表は学生主体とはいえ、ウィル・クラーク、マーク・マグワイアら後に11名のドラフト1位選手を輩出するアマ最強チームだった。しかも地元開催。どこを探しても死角は見当たらなかった。

 一方の日本代表は学生と社会人の混成チーム。指揮を執っていたのは昨年1月に殿堂入りを果たした松永怜一だ。

「選ばれておめでとう。日本の野球を変える使命をキミたちは担ったんだ」
これが松永が代表に選ばれた選手たちに発した第一声だった。

 選手たちはキョトンとしていた。五輪とはいえ公開競技である。社会人選手の中には五輪よりも都市対抗野球を優先して辞退した者もいた。学生は米国で行なわれた日米野球が終わって合流したため、気が抜けていた者もいた。

 ひとり意気込んでいたのが指揮官だった。「このロス大会は近い将来、野球が正式競技になるためのステップとして位置付けられていた。だから何としてでもいい結果を出したいと。いやそれ以上に無限の可能性に挑戦する喜びとやり甲斐が私にはありました」

 試合は8回、広沢克己(当時明大)の3ランが飛び出し、勝負を決定付けた。ファイナルスコアは6対3。松永の執念が呼び込んだ金メダルだった。


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