北京五輪の女子マラソンを現地の沿道で観戦した。当日の天気予報は曇りときどき雨。北京の気候は「高温多湿」といわれていたが、スタート時の気温は24度。選手たちにとって夏場としては走りやすいコンディションになった。
 朝7時30分(現地時間)のスタートに間に合うよう、タクシーでスタート地点の天安門広場付近に向かった。交通規制が厳しく、天安門広場までは行けないとのことだったため、「天安門西駅」の近くでタクシーを降りた。10キロ過ぎの地点だ。そこから地下鉄で2駅先の「王府井駅」へ移動し、コース上の1キロ過ぎの場所で待機する。

 沿道は選手たちの通過を待ちわびる各国の人々でいっぱいだった。地元の中国人以外では世界最高記録保持者のポーラ・ラドクリフ選手と日本を拠点に練習するマーラ・ヤマウチ選手が代表として出場する英国の国旗を持った人が特に目につく。選手たちが走るコースからすぐの沿道は、人垣で道路の様子が見えないほど。少し場所を移し、道路の反対側から観ることにした。
 周りには「中村友梨香選手応援ツアー」のワッペンをつけた日本人がたくさんいた。男性2人が応援メッセージが入った日の丸を広げている。
(写真:中村選手への応援メッセージ入り日の丸)

 スタート時刻が過ぎた。頭上を飛ぶヘリコプターの音が大きくなり、選手が近づいてきたことを示す。先導車に続いて選手の集団が見えた。スタートして間もないということもあり、かなりの大集団。ここに日本選手の2人も含まれていた。
選手たちは5キロほど南下し、天壇公園経由でまたスタート付近に戻ってくるため、地下鉄で「天安門西駅」に戻り、そこからコース上の12キロ地点まで歩く。歩道は国旗や小旗を持った観戦の人たちで埋め尽くされ、途切れる場所がない。

 選手たちを待つ沿道では、「加油!(ジャーヨー)」(中国語で「頑張れ」の意味)と掛け声の練習をする人もいて、すでに盛り上がりムード。国を越えて観戦者どうしで記念撮影をする光景も見られた。
(写真:沿道では国際交流も。英国と中国の応援団が一緒に写真撮影)

 スタートして40分が過ぎ、また頭上のヘリコプターの音が大きくなる。
選手たちが来た。先頭集団は30人以上の大集団。中村選手は集団の前の方、土佐礼子選手は後方につけていた。観ている限りでは気づかなかったが、このとき、すでに土佐選手の脚に異変が起きていたようだ。

 ここから地下鉄を乗り継ぐが、乗換えが複雑で移動に少し手間取る。コース上の25キロ、35キロ地点が近い「知春里」駅で降りる。時計を見ると、選手たちは25キロをすでに通過しているだろうという時間だった。ここでちょうど出会った三井住友海上の関係者から、土佐選手の棄権を聞かされた。

 彼女たちは25キロ過ぎの給水地点で観戦していて、土佐選手が棄権する瞬間を目の当たりにしたそうだ。事前に外反母趾の痛みが出たことは伝えられていたが、かばって走っていたことで、ほかの部分にも痛みが出てしまい、10キロ以降は激痛に耐えながらの走りだったという。

 後で聞くと、当サイト編集長の二宮清純も愛媛県の関係者とともにその地点で観戦しており、土佐選手の救護にも加わったそうだ。土佐選手は棄権後、ご主人の村井啓一さんに抱きかかえられ救護車に移動する間もずっと涙を流していたという。

 土佐選手の棄権にショックを受けつつも、ゴール地点の国家スタジアム「鳥の巣」方面に向かうべく、地下鉄に乗る。降りた「北土城駅」は39キロ地点。時間的にはもうトップ集団は過ぎたころか……。とりあえず、コース方面に向かって急ぐ。

 コースに面した沿道は人垣で埋め尽くされていたが、声援から選手が通過しているのがわかった。人垣の隙間から、何人かの選手のあとに中村選手が来たのが見えた。やや疲れは見えるが、しっかりとした足取りでゴールの「鳥の巣」へ向かった。
「加油! 加油!」。中村選手にも、現地の人たちからも多くの声援がかけられていた。
(写真:「加油中国」(頑張れ中国)と書かれたはちまきをした女の子。頬には中国国旗のマーク)

 そこからは「鳥の巣」へ向かって、人混みにまぎれ、各国の選手たちの走りを観ながら歩いた。

 中村選手は、2時間30分19の13位でゴール。土佐選手が棄権した25キロ以降も先頭集団についていたが、30キロ手前で遅れ出したという。
 レース後には「30キロ手前で離れたのは自分の力不足。これから1年1年経験を積んで強くなりたい」とコメント。世界の壁に跳ね返された形となったが、野口みずき、土佐というベテラン2人が抜ける中、ただ1人の日本代表のランナーとしてゴールまで走り切ったことは、今後の大きな糧となったはずだ。


<「土佐先輩とオリンピックの舞台に立てて嬉しかった」>

 17日午後、北京市内のホテルで土佐選手と、女子1万メートル決勝に出場し31分31秒13で17位となった渋井陽子選手の慰労会が行われた。
 女子マラソンで途中棄権し、病院に向かった土佐選手は不在だったが、渋井選手が代表し、「2人でオリンピックの舞台に立ちたい、と思ってやってきたのでそれが叶って嬉しかった。2人とも精一杯やりました。ここに来るまでにいろいろな人に支えてもらった。感謝の気持ちでいっぱいです」と挨拶した。
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