北京五輪トライアスロン競技が8月18、19日に北京市北部の昌平区にある十三陵ダム湖のダムサイト特設コースで開催された。
 北京の中心部から40キロほど離れた山間部に位置するトライアスロン会場。どの競技の会場も同様だろうが、セキュリティが厳しく、東西南北のゲートで大掛かりなチェック体制が敷かれていた。観客席の正面には大型ビジョンが3台並ぶ。北京市内で感じた空気のよどみは、緑と水に囲まれたこの会場では感じなかった。
 スイムは「明十三陵水庫」のダム湖を1周回、バイクはダム湖周辺を6周回するアップダウンの激しいコース、ランも同じようにアップダウンがあるコースを4周回する。
 19日に行われた男子では、今年のアジア大会覇者の山本良介(トヨタ車体)が30位、昨年のW杯エイラート大会で日本人初の優勝を果たした田山寛豪(流通経済大学職員・チームブレイブ)はスイムを5位であがる好スタートを切ったが、バイクでトップにつけず、最終種目のランでも好調時の切れ味が影をひそめ、48位に終わった。
 日の丸のはちまきを頭に巻き、コース上で声援を送っていた田山を指導するチームブレイブの八尾監督は「調子は良かった。スイムは良い位置につけたが、最後は身体が動かなくなってしまったのだと思う。でも精一杯やった」と労った。

 18日の女子は、井出樹里(トーシンパートナーズ・チームケンズ)が5位入賞、3大会連続出場の庭田清美(アシックス・ザバス)が9位、アジア選手権覇者の上田藍(シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)が17位となった。
 バイク終了時点では日本の3選手がトップ集団につき、日本の応援団を沸かせた。
(写真:日本勢初入賞の5位に入った井出(右)と飯島監督)
 日本トライアスロン界初の入賞となる5位に入った井出は、第1種目のスイムを4位で上がると、バイクではトップ集団の後方につき、最終種目の得意のランで再び浮上するという、この競技を始めてまだ2年半とは思えない巧みなレース運びを見せた。
 6歳の頃から水泳を始め、8歳の時には「五輪で1番になる」と口にしていたという。高校時代は自由形でインターハイに出場。だが予選を通過できず「限界を感じた」。競技にこだわり、玉川大学では一般入学ながら強豪の陸上部に入り、1万メートルでインカレに出場するまでに力をつけた。大学3年の時、現在指導を受ける所属チームの飯島健二郎監と出会ったことが、トライアスロンで世界を目指すきっかけとなった。
 初の五輪ながら、「一番になる」と力強く意気込んでいた井出は、日本勢初入賞という快挙にも「表彰台に立てなかったので、満足はしていない」と振り返った。
「経験が浅いのもわかってるし、強い人がたくさんいるのもわかってる。でも、出るからには一番を目指したかった。でも2年半でここまで来たので、4年後につながると思う」
 8歳の頃から、17年間思い描いてきた夢の舞台。「4年後を見ていてください」と、視線をロンドンへと向けた。

(写真:スイムをトップから27秒差であがりバイクに入る上田) 
 昨年の日本選手権を制し、今年のアジア選手権も優勝するなどピーキングの上手さに定評があった上田は、苦手とするスイムをトップから27秒差で終えると、バイクで懸命に追い上げ、トップ集団に追いつく健闘を見せた。
「アップダウンのあるハードなコースだったからこそ、前に追いつけた」と振り返ったが、ここで脚を使ったことが響いたのか、得意のランで伸びが出ず、17位でゴール。それでも「今までにないレースができた。ロンドンにつながると思う。順位は納得していないですけど、レース内容は満足しています」と、いつもの“藍スマイル”で、4年後のロンドンへの意欲を見せた。

<37歳庭田も過去最高9位、ロンドンにも意欲>

 シドニー、アテネ大会では14位。3度目の五輪挑戦となった37歳のベテラン・庭田は、目標としていた8位入賞には惜しくも届かなかったが、自身過去最高の9位と健闘した。井出の日本トライアスロン界初入賞5位という快挙の影に隠れてしまったが、庭田の9位も日本勢の過去最高成績を上回っている。
 ゴール後には「力を出し切って満足している」とコメントしていたが、一夜明け、「あと1つで入賞できたので悔しい」と語った。
 現在治療中だという喘息の発作が出て呼吸が思うようにできない中、気力でゴールを目指した。フィニッシュラインを踏むと倒れこみ、医務室に運ばれた。「最後は息が吸えなくなって苦しかったけど、『最後だし、どうなってもいい!』と力を出し切った」と激闘を振り返った。

 トライアスロンが正式競技になったシドニー大会からの3大会連続の代表入り。アテネ大会以降、若手も力をつけ、今回の北京で庭田は13歳歳の離れた井出、上田とともに代表として名を連ねた。
 37歳という年齢は、今大会の女子トライアスロン代表の中で海外選手を含め、最年長だという。だが庭田のトライアスロンへの情熱、闘志はまだまだ衰えていない。
 昨シーズンから今年の春先までは「引退を考えた」ほどの不調に陥った。そこから急ピッチで立て直し、「今が一番元気」と臨んだ北京だったが、終わってみれば「力が伸びてきている途中で五輪を迎えてしまった。まだいけるはず」と納得するまでにはいたらなかった。

「まだ限界は感じていないので、競技を続けたい。ロンドンも目指したい。後になって『もうちょっとやれた』と後悔したくないんです。自分が納得するまで挑戦したい」
 競技の拠点をオーストラリアに置き、夫とは年に2週間ほどしか会えない生活を続けてきた。競技続行は、自分の熱意だけでは決められない。「これから家族と話し合います」。
 12月に38歳になる熱きトライアスリートの挑戦にエールを送りたい。
(写真:トライアスロン会場となった十三陵ダム湖。第1種目のスイム)
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