サッカー日本代表監督イビチャ・オシムにはどこか偏屈なイメージがある。インタビューひとつとっても、聞き手の能力を試しているようであり、実に手強い。とても一筋縄でいく人物でないことは確かだ。
 オシムは「リスペクト」という言葉をしばしば口にする。私は単純に「尊敬する」という意味に受け止めていたのだが、本人によるとこれは「誤解」らしい。
 <私の言うリスペクトとは、「すべてを客観的に見通す」という意味である。すなわち、「客観的な価値を見極める」ということだ。>
 日本代表が手痛い敗北を喫した際に評論家が口にする「経験不足」、これもオシムは一笑に付す。
 <人生において、経験は20年間あれば十分だと思う。サッカーではもっと短くなければならない。サッカーにおける経験は一年あれば十分だというのが私の考えだ。>
 来日して、まだ4年しか経っていないというのに、実に日本人の本質を、日本社会の仕組みをよく知っている。それを知らずして、「日本サッカーの日本化」という事業を成功に導くことはできない。
 7日から始まるアジア杯。オシムジャパンを「リスペクト」してみたい。
「日本人よ!」(イビチャ・オシム著 長束恭行訳・新潮社・1260円)

 2冊目は「買いたい空気のつくり方」( 電通S・P・A・T・チーム編・ダイヤモンド社・1600円)。「消費者が主導権を握る「消費2.0の時代」に、どうモノを買ってもらうか。売り手側への提案書であると同時に、現代消費社会の的確な分析書としても読み応えあり。

 3冊目は「トクヴィル 平等と不平等の理論家」( 宇野重規著・講談社・1500円)。アメリカとは何かと問う時、今でも必ず引き合いに出されるのが19世紀フランスの思想家トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』だ。トクヴィルの今日的意義を問い直す。

<この原稿は2007年7月11日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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