プロ入団以来、優等生だった清原和博が牙をむき出しにしたことがある。
 1989年9月24日、西武球場。ロッテ・平沼定晴の140キロ台のストレートが左ヒジを直撃した瞬間、清原の血相が一変、握り締めたバットを“加害者”目がけて投げつけたのだ。

 清原はこの暴行のペナルティとして2日間の出場停止処分を受ける。危険な行為としてマスコミからも厳しく指弾された。

 しばらくして、私は清原にこの暴行の背景について訊ねた。彼はビーンボールまがいの死球に悩まされており、堪忍袋の緒が切れた結果があれだったのだ。

 清原は言った。「謹慎している最中に、ある考え方に目覚めたんです。それは野球場ってところは男が命を張って勝負する戦場ではないってことです」。あまりにも衝撃的な物言いだったため、私はつい訊き返してしまった。「男が命を張って勝負する戦場? グラウンドが?」

 清原は表情ひとつ変えずにこう続けた。「もちろん、バットを投げたことは僕自身ものすごく反省しているし、周りから受けた批判に何ひとつ反論できないと思っている。でも、ひとつ言わせてもらえば、僕はそれまで“野球場は戦いの場や”と思っていた。人間がやるかやられるかといった時に、わざわざ武器(バット)を捨てて相手に立ち向かったりはしないでしょう。ボールが頭を直撃したら死ぬことだってあるわけですから」

 清原和博にとってグラウンドは「戦場」であり、野球は「戦争」だった。23年間に及ぶ激闘――肉体はもうボロボロだった。


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