世に「怪腕」や「剛腕」と呼ばれた投手はたくさんいるが「鉄腕」とうたわれたのは後にも先にも元西鉄のエース・稲尾和久さんだけだ。その稲尾さんが先頃、悪性腫瘍のため亡くなった。
 西鉄黄金期、投の柱が稲尾さんなら、打の柱は著者である中西太さんだった。「怪童」の呼び名で親しまれた中西さんは確実性とパワーを兼ね備えたスラッガーとして、1956年からの3年連続日本一に貢献した。
 野武士軍団・西鉄の指揮官は言わずと知れた知将・三原脩さん。現役時代、著者は知将のアドバイスに耳を傾け、ノートに書き留めた。
 たとえばこんなフレーズがある。<情実は厳禁。プレーヤーの意見を尊重することと不平分子の声というものの判断を誤るな>。三原野球というと、放任のイメージが付きまとうがとんでもない。勝つための合理を追求したのが三原野球であり、世にいう「三原マジック」ではなかったか。
 だから、こんなことが言えたのだ。「気兼ねして、しかも睡眠不足で朝帰りするなら、女性のところに泊まってこい」。プロとはかくあるべし。そのすべての答えが、この書には用意されている。「西鉄ライオンズ最強の哲学」(中西 太著・ベースボール・マガジン社新書・760円)

 2冊目は「イタリアでうっかりプロ野球選手になっちゃいました」(八木虎造著・小学館・1200円)。 17対19の逆転負け、1試合10度の乱闘、平均5時間超えの試合時間……。世界にはこんな野球がある。イタリアのプロチームに入団してしまったカメラマンによる野球紀行。

 3冊目は「アイヌの歴史」(瀬川拓郎著・講談社・1600円)。 アイヌは文字も国家も持たなかった。しかし、それを進歩や発展から取り残された原因と捉えることに著者は異議を唱える。考古学の研究成果を生かし、創見に満ちた力作。

<この原稿は2007年12月5日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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