2008年のボクシング界で最大規模のビッグマッチが間近に迫っている。
 12月6日、「ゴールデンボーイ」の愛称で知られるオスカー・デラホーヤがフィリピンの英雄マニー・パッキャオと激突。過去世界6階級を制覇したゴールデンボーイが、現役パウンド・フォー・パウンド最強とも呼ばれるハードパンチャーと対戦するのだ。デラホーヤが今年限りの引退をほのめかしていることもあり、この試合は当然のように爆発的な話題を呼んでいる。
(写真:ニューヨークのタイムズスクウェアにも試合の前景気を煽る巨大広告が掲げられている)
 しかしビジネス的な成功が約束されている一方で、米スポーツ界では試合の意義に疑問を呈す声が少なくない。前述通り両者はともに4階級以上を制覇した強豪ボクサーなのだが、そのウェイトはかけ離れている。
 デラホーヤはこれまでスーパーフェザー級(58,97kg)からミドル級(72,57kg)までの間で試合を行ってきた。一方のパッキャオはフライ級(50,8kg)でプロキャリアをスタートさせ、今年9月にライト級(61,23kg)王座を獲得したばかり。
 2人の「階級差を超えた戦い」はウエルター級(66,68kg)リミットで行われるというが、例え急ごしらえで体重を合わせようと両者の骨格の違いは歴然。ミドル級まで制した選手が、元々軽量級のパッキャオを相手に戦うというのは余りにも突飛なことに思える。

 昨今のパッキャオが破竹の勢いで勝ち続けているとは言え、格闘技は「大よく小を制す」の世界。デラホーヤの絶対有利は動かないところだろう。
 人気者のパッキャオと戦えば話題性豊富な上に、敗れる危険自体が少ない。賢明なデラホーヤらしい(?)マッチメークに、コアなボクシングファンからは批判の声が飛び交っている。ニューヨークの記者たちに意見を求めても、「馬鹿げている」「エキジビションみたいな試合だよ」と冷めた態度に終始していたものが少なくなかった。
「オスカーは小さな選手を対戦相手に選んで、厳しい試合だと周囲に印象づけようと躍起になっている。ミドル級の選手がライト級の最強ボクサーと戦って、勇気と価値を証明しようというんだ。本当にたいしたヒーローだよ」
 デラホーヤとの対戦を熱望しながら相手にされなかったアントニオ・マルガリート(WBAウエルター級王者)は苦々しげにそう吐き捨てている。そしてそのマルガリートの意見に同意する選手はボクシング界に多いことだろう。
(写真:人気者同士の対戦なら会場が超満員になることは間違いない)

 筆者個人としては、当初は「これがデラホーヤのラストファイトだというならOK」という考えだった。
 長い間ボクシング界を支えてきたボクサーへのはなむけに、キャリアの最後に話題性のある豪華カードが実現。試合自体の重要度は問題ではない。どちらが勝ったところで、今後の世界戦線に大きな影響を及ぼすわけではない。
「ビッグファイト」というより「ビッグイベント」。スーパースターの自己満足的カードという意味で、今年1月に開催されたティト・トリニダード対ロイ・ジョーンズ戦と趣は似ているように思えた。こんなワガママが許されるのは、これまで私たちを楽しませてくれた功労者のみ。トリニダードと同じく、デラホーヤもそれに値する選手だと思ったのだ。
(写真:ティト・トリニダードが今年1月に行った試合も単なる「イベント」色が濃いものだった)

 ただ……最近のデラホーヤは来年以降の現役続行をほのめかしはじめている。そうなるとこちらの気分も少々変わってくる。
 比較的容易に勝利が手に出来そうなこの試合を踏み台に、相手の知名度を利用して、さらに金になるファイトを今後も続けようというのか?
 そんな目論みが見え隠れすれば、嫌悪感がこみ上げる。キャリア黄昏の時期になってもビジネスにこだわる姿勢をとり続ければ、ボクシングを心から愛するファンから強烈な反発を浴びても仕方ないところ。ゴールデンボーイはこの試合の後に、莫大なファイトマネー以上にボクサーにとって大切なものを失ってしまっても不思議はない。

 このような複雑な周囲の想いをよそに、デラホーヤ対パッキャオ戦はもう間近に迫っている。最後に一応、この試合の展開予想にも触れておきたい。
 まず一般的には、ポール・ウィリアムス(WBOウエルター級王者)が語った以下のような見方が代表的である。
「デラホーヤがパッキャオを3ラウンドまでにKOするだろう。パッキャオの力にケチを付ける気は毛頭ないが、彼のパンチがデラホーヤにダメージを与えることはない。とにかくサイズが違い過ぎるんだ。パッキャオは小さ過ぎて、デラホーヤは大き過ぎる。階級とはなんのためにあるんだ? ここまで体格、体重差がある場合には、試合が物足りないものに終わってしまいがちだ」
(写真:デラホーヤが余りにも対格差のあるパッキャオを対戦相手に選んだことに疑問の声は多い)

 ただその一方で、パッキャオ陣営のフレディ・ローチ・トレーナーはスピードを活かせばパッキャオに勝機は充分にあると断言。正当に練り上げられたファイトプランを守れば体重差は関係ないとも話す。
 実際にスピードと手数で勝るであろうパッキャオがデラホーヤの懐に入り込んでかき回せれば、ローチが目論む展開になる可能性もなくはない気もする。35歳になったデラホーヤは全盛をとうに過ぎているし、もともとスタミナ豊富な選手ではない。終盤までもつれれば、バイタリティに溢れたフィリピーノが混戦を抜け出せるのかもしれない。

 ただそれもすべて、パッキャオがデラホーヤのパンチに耐えられたときのみの話である。デラホーヤはいわゆる破壊的なパンチャーではない。しかしこれほどまでに骨格に差がある場合、軽いショートパンチでパッキャオがダメージを受けてしまってもまったく不思議はない。倒されないまでも危険を感じてさえしまえば、懐ろに入り込めなくなって、もう八方ふさがりだ。
 そもそもパンチをもらわねばダメージ云々は関係ないのだが、もともとアグレッシブなパッキャオがまるで被弾しないとは考え難い。序盤の数ラウンド以内に、パッキャオが未知数のパワーを浴びて戸惑うシーンが見られるはず。そこでどんな反応を見せるかで、試合の流れは定まるだろう。
 筆者個人としては、パッキャオは中盤以降は懐ろに入れなくなり、デラホーヤも詰め切れず、物足りない展開の末にゴールデンボーイの手が上がると見る。このカードが最高に盛り上がるのは開始のゴングが鳴るまでではないか。となると、やはり注目ファイトというより「ビッグイベント」なのだろう。

 いずれにしても、半ば好奇に近い視線が世界中から注がれる中で、今年最大のファイトはもうすぐゴングのときを迎える。少なくとも、「ああ、やっぱり」とファンを激しく落胆させるような結末にだけはなって欲しくないと切に願う。
 ただ……「それではどんな結果になって欲しいのか?」と訊かれたら、それはそれで答えに困る。今回の試合は、様々な意味でボクシングに携わる人間の心を悩ませる不思議なビッグカードなのである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト Nowhere, now here
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