クラブワールドカップ2008は、終わってみればウェイン・ルーニーのための大会だった。
 2戦3得点で得点王、大会MVP。アジア王者も南米王者も、この男だけは止められなかった。

 決勝のリガ・デ・キト戦はスター軍団マンチェスター・ユナイテッドにとってストレスの溜まるものだった。
 攻めても攻めても果実が得られない。前半はハーフコートマッチの様相を呈していたが、キトのGKセバジョスの奮闘もあり、ゴールを割ることができなかった。
 後半4分、DFのビディッチが相手にヒジ打ちを見舞い、一発退場に。相手がひとり少なくなったことで、やっとキトは互角に近い戦いができるようになってきた。
 静かになりかけていたスタジアムが大歓声に包まれたのは28分だ。ルーニーがC・ロナウドの横パスを受けるや、ダイレクトで右足を振りぬいた。次の瞬間、横っ飛びのGKをあざ笑うかのようにサイドネットにボールが突き刺さった。まだ時間は残っていたが、事実上、この1点で勝負は決まった。
 ルーニーの動きは実にシンプルだ。走りながらスペースをつくる、飛び込む、ボールを止める、打つ――。プレーのひとつひとつに気負いや迷いが感じられない。これが生粋のFWなのだろう。

 いつも思うのだが、日本のFWは余計な動きが多すぎる。FWとしての目的意識が希薄だから、ゴール前で迷うのだ。
 その典型は柳沢敦(京都)だろう。彼のゴール前での“巧さ”はピカイチだが“怖さ”がない。だから、シュートのタイミングでパスを出したりするのだ。
 私見だが、FWは少々、変わり者でも構わない。ルーニーだって、以前は“悪童”のイメージが付きまとっていた。
 準決勝のガンバ大阪戦でもDF安田理大を踏みつけてイエローカードをもらっている。彼にとってピッチは戦場そのものなのだ。
 ルーニーが世界中から注目を浴びたのは16歳の時だ。プレミアリーグのエバートンでデビュー、当時の最年少ゴールを記録した。
 翌年、17歳でイングランドのA代表に招集され、ここでも最年少出場記録(当時)をつくっている。
 代表初ゴールは03年9月に行われたマケドニア戦。この時、ルーニーは17歳と317日。このイングランド代表最年少ゴール記録は未だに破られていない。
 マンUに移籍したのは04年。以降、毎シーズン10ゴール以上を挙げ、“赤い悪魔”のエースとして君臨している。
 デビューが早かったため、「もう20代後半じゃないの?」という声をよく耳にするが、彼はまだ23歳である。
 イングランドに出場権はなかったが、通常なら、オーバーエイジ枠を使わずともオリンピックに出場できた年齢だ。
 実はC・ロナウドも同じ23歳。才能ある選手には10代から、どんどんチャンスを与え、大きな舞台を経験させる。これが欧州の基本的な考え方だ。

 ガンバ戦では16分間の出場で2ゴールを決めた。
 最初のゴールは1点差に迫られた1分後の後半30分。MFフレッチャーの浮き球のパスを胸でトラップすると見せかけ、反転して左足を振り抜いた。抑制のきいたいいシュートだった。
 ルーニーはこの4分後にも、2点目のゴールを決めた。FWギグスのパスに合わせて抜け出し、ガンバのDFラインが仕掛けるオフサイドトラップに引っかからないように右足で流し込んだ。
 さすがだな、と思わせたのはチーム4点目だ。ルーニーは自らがおとりになるかたちでゴール前にポジションを取り、後ろからきたフレッチャーに打たせた。ガンバのDF陣は、まんまと騙されてしまった。
 何度も戦っている相手なら、こんな手は食わなかったはず。しかし、その数分前にルーニーに痛い目に遭わされているのだ。ルーニーにマークを集中させたスキをフレッチャーに突かれてしまった。

 マンUに3対5で敗れはしたが、3位決定戦でパチューカを破り、3位の座をゲットしたガンバ大阪の戦いぶりも見事だった。
 マンUに5点を獲られたが、相手を恐れずに、ガードを下げて打ち合いに臨んだからこそ、エキサイティングなゲームになったのだ。
 その意味で5失点は“名誉の傷”ということもできる。キトのようにガチガチに守っていたら失点は1点ですんでいただろう。そのかわり、得るものは何もなかった。
 飛躍のきっかけになる5失点だったと信じたい。

(この原稿は『週刊ゴラク』09年1月23日号に掲載されました)

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