6月12日、ドイツ南西部の町・カイザースラウテルンの気温は試合が始まる頃には30度近くにまで上昇していた。
 初戦、オーストラリア戦。F組はブラジル、日本、クロアチア、オーストラリアの4カ国で構成される。このうち、決勝トーナメントに進出できるのは上位2カ国。前大会のチャンピオンでFIFAランキンク1位のブラジルの予選リーグ突破はほぼ確実。残り3カ国で1議席を争うのがこの組の見所だった。
 そうであれば、日本もオーストラリアも初戦を落とすわけにはいかない。いや、引き分けでも決勝トーナメント進出の可能性は低くなる。是が非でも勝ち点3をとらなければならない、1次リーグ最大の山場とも言えるゲームだった。

 この試合、ジーコは3−5−2のシステムで臨んだ。真ん中を厚くすることより、最終ラインを安定させることを選んだ。5月30日に行われたドイツとのテストマッチも、このシステムで臨み、2対2の好ゲームを演じている。チームの指揮はトップ下の中村俊輔に委ねられた。
 先制点はこれ以上ないというほど幸運なかたちでもたらされた。前半26分、中村の左足から放たれた浮き球のクロスは絶妙の位置に飛んだ。FW柳沢敦と高原直泰がゴール前で激しく競る。それにつられるようにオーストラリアのGKマーク・シュワルツァーが前に出る。一瞬、高原と接触したようにも見えたが、ボールはそのまま密集地帯を越え、バウンドしてゴールへと吸い込まれていった。
 GKチャージにも見えたが、ここしかないというポイントにクロスをあげた中村の技術はさすがだ。世界屈指の左足を持つ、中村らしい“技あり”のゴールだった。

 しかし、皮肉にも、この先制点はオーストラリアの猛反撃を誘う呼び水となった。納得のいかないゴールということで、彼らの闘争心に火がついたことに加え、もう後がなくなったことで敵将は早々とパワープレーを仕掛ける準備に取りかからざるを得なくなった。そして、それは日本が一番恐れていたことでもあった。
 名将フース・ヒディンク。98年、オランダ、02年、韓国と2大会連続で率いたチームをベスト4に導いた世界屈指の指揮官である。
 オーストラリアの指揮を執るようになってからもヒディンク・マジックは冴え渡った。シドニーで行われたウルグアイとのプレーオフ第2戦で、ヒディンクは大勝負に出た。
 試合開始時はウルグアイにアウェーゴールを許さないことを重視してバランス型の3−4−3システムを採用した。ところが前半33分、0−0のスコアにもかかわらず、ヒディンクは早くもDFトニー・ポポヴィッチに代えてFWハリー・キューウェルを投入した。
 普通の指揮官では考えられない采配だ。このキューウェルが前半35分、貴重な先制点を演出したのは記憶に新しい。オーストラリアでは「あれはヒディンクのゴール」と言われたそうである。

 果たして、日本戦でもヒディンクは鮮やかなカードさばきを披露した。後半に入るなり、ヒディンクは矢継ぎ早にカードを切ってきた。猛暑の戦いを制するには、フレッシュな血が必要だ。
 後半8分には疲れの見えるマルコ・ブレシアーノをティム・カーヒルに、同16分にはクレイグ・ムーアを、193センチの長身FWジョシュ・ケネディに、そして同30分にはDFルーク・ウィルクシャーをジョン・アロイジに代え、猛反撃に打って出た。
 後半に入って、日本は劣勢に回ったが、それでも決定的なチャンスは許さなかった。洪水のような怒涛の攻めを、GK川口能活を中心に必死でしのいでいた。決壊する寸前の堤防のようにも見えたが、攻勢に転じたオーストラリアのアタッカーたちにも疲れと焦りの色が浮かび、どうにかしのぎ切れるのではないかとの淡い期待がふくらんだ。
 と、その時だ。後半31分、敵陣でボールを奪った高原がドリブルで持ち込み、ペナルティエリア内に侵入していた柳沢にラストパス。絵に描いたようなカウンターアタックが決まったかに見えた。
 ところが柳沢が放ったシュートは消えかけの線香花火のようにシュルシュルとGKの正面へ。GKへのパスかと思えるような力のないシュートだった。
 想像だが柳沢は高原がそのまま打つと思ったのではないか。それが証拠にシュートを打つ態勢が微妙に崩れ、踏み込みが甘くなった。
 ここで柳沢のシュートが決まっていたら、2対0となり、さすがにオーストラリアも戦意を喪失していただろう。そうなれば2対0で逃げ切っていた可能性が高い。反撃を許しても1点までだろう。

 しかし、あそこで決められなかったことが日本には高くついた。生き返ったオーストラリアはなりふり構わずパワープレーを仕掛けてきた。後半39分、ついに堤防にヒビが入った。ロングスローからのボールを長身のケネディに頭でつながれ、こぼれ球を途中出場のケーヒルに押し込まれた。それまでファインセーブを連発していた川口が前方につり出され、守護神不在のスキを突かれた手痛い失点だった。
 残念だったのは、まだ追いつかれただけなのに、ほとんど全員が下を向いていたことだ。30度を超える猛暑にスタミナを奪われていたとはいえ、白旗を揚げるにはあまりにも早過ぎた。
 こうなるとオージーたちは一気呵成に攻めてくる。続く44分、またしてもケーヒルにクリアボールを拾われ、ゴール左隅に逆転弾。ロスタイムの47分にはチェックに行った駒野友一、宮本がアロイジに易々とかわされ、とどめの3点目を奪われ、ついに堤防は決壊した。わずか9分間の惨劇だった。
 試合後のジーコのコメント。
「確かに1対0でリードを守りたかったが、ミスをしてはいけない。試合運びにミスがあって追加点が奪えず、オーストラリアが盛り返してしまった。リードしている時の時間の使い方が問題だった。非常に残念。相手のリスタートが常に日本に脅威を与えていた」

 それにしてもヒディンクのカードさばきは鮮やかだった。84分、89分、ケーヒル、92分、アロイジ。代えた選手が全得点を叩き出したから言っているわけではない。
 Aプラン、Bプラン、Cプラン、Dプラン……。ヒディンクには無数の引き出しがあり、点差や時間帯、あるいは試合の流れを的確に読みながら、ためらうことなく自らが信じたカードを切っていく。交代枠を含めた14人で戦うことは、最初から織り込み済みなのだ。
 ダメ押しの3点目を決めたアロイジの言葉は何よりもベンチへの強い信頼感を物語るものだった。
「同点になった時、中盤に下がって守るかと監督に聞いたら、そのまま勝ちにいけと言われた。そのとおりになった」
思うに指揮官に最も必要な能力はソリューション(解決力)である。難問を目の前で解いてみせないことには選手たちの支持は得られない。その作業を丁寧に行うことでヒディンクはオージーたちの信頼を勝ち取っていったのだろう。
 試合後、ヒディンクはしてやったりと言わんばかりの表情でこう言った。
「正義はなされた。(日本の)ゴールは明らかなファウルだった。ともかく交代がうまくいった。運もあったが、プランがなければ運も呼び込めない」

(この原稿は『月刊現代』06年8月号に掲載されたものを再構成しました)

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