「江夏の21球」といえば、今から30年前のことだ。1979年11月4日、大阪球場。広島対近鉄、日本シリーズ第7戦。近鉄が先に2連勝したが、地元に帰って広島が3連勝、大阪に帰って近鉄が星を戻し、日本シリーズは最終戦にまでもつれ込んだ。

 9回裏、得点は4対3と広島1点のリード。だが無死満塁。絶対絶命のピンチ。打席には代打の佐々木恭介。前年には首位打者を獲得したほどの強打者だ。

 3球目、佐々木のバットが快音を発する。サードの三村敏之が飛びつくが、打球は彼が差し出したグラブをかすめるようにして三塁のライン際へ切れていった。

 もし、この打球がラインの内側に入っていたら、二塁からもランナーが生還し、近鉄が5対4と逆転勝利を収めていた。だがファウルになったことで江夏は気を取り直し、2−2のカウントからヒザ元に曲がり落ちるカーブで佐々木を三振に切ってとる。江夏の21球の序章にあたるシーンである。

 数年前のことだ。広島市民球場の放送席で三村と同席した。当時、熱狂的なカープファンだった私は三村に、例の打球について訊ねた。

「三村さん、僕は心臓が張り裂けそうでしたよ。もし三村さんの差し出したグラブがちょっとでも当たっていたら、あれで終わりだったんですからねぇ。今、思い出しても心臓が縮み上がりそうですよ」
「……」
「どうしたんですか、三村さん?」
「実はこの話は、墓場まで持っていかんと、と思うとるんですよ」
「もしかして三村さん、あの打球……」

 会話はそこで途切れた。
 その夜、珍しく私はひとりで朝まで飲み明かした。

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