新入幕の平成8年初場所ではいきなり10勝を挙げて敢闘賞を受賞。初土俵からの連続勝ち越しも13場所まで伸ばした。玉春日の故郷の野村町は相撲の盛んな土地だけに、沸きに沸いた。場所中は商店街に「玉春日がんばれ」ののぼりが並び、町役場には星取表が設置された。そして、玉春日の勝敗は取組が終わると同時に有線放送で町民に伝えられた。酪農と養蚕を主産業とする人口約1万2000人の小さな町は、まさに玉春日一色。入幕2場所目に初の負け越しを喫しても、応援態勢がしぼむことはなかった。
 町民の興奮がさらに度合いを増したのは、平成9年夏場所、東前頭筆頭で迎えた幕内9場所目のことだった。2日目の横綱・貴乃花戦。この日は連続満員御礼が666日で途切れるという衝撃的な一日となったが、土俵上では玉春日が衝撃を与えた。

 立ち合いから右の強烈なのど輪で上体をのけぞらせると、左からはハズ押し、おっつけで一気に出た。実に横綱挑戦10度目で初の金星奪取。高く立ちはだかっていた厚い壁をついに切り崩した。
 引き揚げてきた支度部屋では「夢を見ているみたい」と繰り返したが、地力が増していたのは明らかだった。もちろん、下地になっていたのはたゆまぬ努力だった。関取になれば自分のペースで稽古ができるが、玉春日は決して妥協しない。

 場所前の2週間はほとんどのように出稽古に向かう。突き押しの威力をアップさせるため、徹底して自分より地位が上の力士の胸を借りる。コツコツ積み上げたものが実を結んだ瞬間だった。結局、この場所は千秋楽で勝ち越し、殊勲賞を獲得。玉春日は開口一番に「地元の人々の応援に応えられてホッとしています」と細い目をさらに細くして喜びに浸った。

 翌名古屋場所では新三役の関脇に昇進。愛媛県出身としては前田山以来の躍進を果たした。この場所では4日目に大関・武蔵丸を初めて下すと、6日目にはやはり横綱・曙から初勝利を奪った。場所前に首を痛めた影響で最終的には負け越したが、“大関候補”と呼ばれる存在になった。

 玉春日の突き押し一筋の相撲は見る者に爽快感を与える。攻め込まれて引き、はたきを強いられることはあっても、立ち合いでは決して変化はしない。潔いがために相手の術中にはまることもあるが、それでも玉春日は真っ向からぶつかっていく。「自分は器用なタイプじゃないから」。今後もその姿勢は変わらない。

 三役から陥落して丸2年。その間に千代大海、出島といった若い力が大関に昇進した。だが、玉春日はあきらめてはいない。「もう一度三役に上がりたい。そして、狙える限りは上の番付にも挑戦していきたい。まだまだ27歳。老け込むには速すぎますからね」
 名古屋場所では今年初の勝ち越しとなる9勝を挙げ、復活の土台を築いた。9月の秋場所の番付では前頭筆頭が予想される。

 たゆまぬ稽古と引き換えに数々の夢を手に入れてきた玉春日が、再び夢に向かって挑戦を始める。

(おわり)
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<この記事は1999年7月「FORZA EHIME」で掲載されたものです>
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