二宮: 幼い頃はどんな子供だったんですか?
中村: 勉強しない子供(笑)。勉強では、どんなに頑張っても一番になれないから、絶対に。やっぱり勉強の才能を持っている人は持っていますよ。何もしなくても、頭がいい人はいいじゃないですか。
二宮: 何人兄弟ですか?
中村: 4兄弟の一番下です。

二宮: 末っ子っていうのは成功するんですよね、スポーツ選手の中では。
中村: 人見知りが激しくて、1回外から見ちゃうんですよ、そういう集団を。一歩引いてみて「ああ、あの人はああいう感じなんだな」って感じた上で、仲良くなれそうな人と喋る。それより先に自分を出した方がいいし。
人付き合いでも、何かを持ってる人がなんでも中心になれる感じがします。(小野)伸二とかは生まれ持っていて、何にもしなくても人が寄ってくる。それでサッカーをやってれば、あいつに付いていこうと思われる。でもトルシエのおかげで、最近はそういうところもなくなりましたね。

 天才幼稚園児も中学で挫折

二宮: サッカーを始めたのはいつ?
中村: 幼稚園の頃ですね。

二宮: その頃からうまかった?
中村: うまかった。すごかった。今よりすごいですよ。自分で言うのもなんですけど(笑)。

二宮: 天才幼稚園児だったんですね。
中村: その頃は県レベルですからね、全国じゃなくて。

二宮: 思うように足を動かすことができたと?
中村: キックオフゴールとかやりましたよ。今は無理ですけど。

二宮: 昔の水島武蔵みたいに11人全部を抜き去って?
中村: 11人がわざわざ回ってこないけど、真ん中を普通にドリブルしていってシュートとかは、幼稚園、小学生の頃によくしていました。でも、だんだん壁にあたりますけど。

二宮: クラブに入ったのは?
中村: 幼稚園のクラブからそのままです。幼稚園の先生が、そのまま小学校まで。小学校のグラウンドで、部活じゃなくクラブ。何校かの小学校が集まった深園クラブというところでした。

二宮: その頃から、ずっと左利き?
中村: そう、足は左。兄貴には手が左利きとかいますけど。

二宮: 4人兄弟で男の子は何人?
中村: 4人全員です。僕のひとつ上の兄が、サッカーでフリューゲルスのジュニアユースに入っていました。で、その上が野球で甲子園に行って。

二宮: えっ、どこの高校?
中村: 横浜商大です。1回だけあったんです。いつもは横浜とかでしょ。甲子園では優勝候補に1点差で負けちゃったんですけど。

二宮: スポーツ一家ですね。次男が甲子園、三男がフリューゲルス。
中村: 一番上はテニスで部活程度。みんな私立です。他は途中でダメでした。最後で当たったね(笑)。

二宮: みんな私立っていうのは、中学から?
中村: 高校から私立の桐光学園です。一番上は公立だったけど。

二宮: 最初から桐光を目指していたと?
中村: いや、ないないない。帝京もセレクションを受けてみようと思ったんですけど、雨でやめたんですよ。結果的にはよかった。これは当たった。
それでユースに行こうと思ったけど、中3でみんな体が大きくなっていくのに自分が追いつけなくて。技術でもねじ伏せられちゃうんで。中3になるとサブだったんですよ。やっぱり、それじゃユースとか上がりにくいじゃないですか。

二宮: 中学からマリノスのジュニアユースに入って、レベルの高さは感じましたか?
中村: 中1、2の頃は10番とか9番、8番をつけて試合に出ていたんですけど、中3で挫折しました。年下に抜かれて、その途端に引退の試合で負けちゃったから。もう一回やり返そうっていう時に負けちゃったんで、結局そのままになってしまいましたけどね。

 ボールを持たない動きに評価を

二宮: 中村さんは人を生かすのがうまい。でも自分ももっと行きたいというのもあるのでは?
中村: うーん、ドリブルで行ったら絶対に抜きたいし、ゴール前ではそういう気持ちもある。でないと評価されないし、点を取ってなんぼみたいなポジションですから。

二宮: 相当筋トレもやっているでしょ?
中村: なかなか筋肉はつかないですね。でも、重くしてもしょうがないし、選手はバランスが大事ですよ。トレーナーには「体幹をしっかり鍛えないと」ってよく言われます。

二宮: フォワードは誰がやりやすいですか? 一長一短あるでしょうけど。
中村: 柳沢(敦)さん、平瀬(智行)くん、城さん。その3人は、ちょっときついパス出しても届く。あと、動き出しが一番速いのは柳沢さん。一番幅広いのが城さん。ちょっと高くて自分が届かないと思っても届く。平瀬くんは一番僕のプレーを理解しているから、動き出しが速いっていうより、動きの質が的確って感じかな。今、クサビやろうかなと思ったら来てくれるし、その時、その時の動きだしが的確。

二宮: ボールを持ってない時は苛立ったりしない? 早く来ないかなとか。
中村: あぁ、最初はありましたけど、その分、考える時間も多くなるから。長い距離を走る時間と考える時間があるから、ボールが来たときにはもういっぱいイメージがたまっている。だから、1試合終わったときに体は疲れたなって感じはしたんですけど、満足感みたいなものはないんですよね。相手に合わせた動きをしないといけないから、いつも右サイドの選手を狙っている。なんかおもしろいことを考えていないとつまんないですね。

二宮: やっぱりボールに触れることが好きなんだろうね。ボールに愛されたいし、ボールを愛したいでしょ?
中村: ボールが来たときに評価されるようなプレーに、自分自身ではこだわりますね。ディフェンスだったら、ヘディングとか良いカバーリングだとかだけど、僕の場合はボールのないところでの動き。水沼(貴史)さんとかサッカーやっていた人は評価して書いてくれますけど、それは見ている人しか見ていない。
(シドニー五輪最終予選の)カザフスタン戦の時とか、相手の10番があんなに張っているから守らないといけなかった。それでボールを取ったら、その10番より早く前にいかないといけなかった。僕の前に右サイドバックがいる状態だから、ボール以外のところでどうやったら貢献できるのかみたいな感じでした。どうしてもボールを触らないと、いい動きをしても評価が……。「ボールに絡めず」って見た人には勘違いされるんです。

二宮: ボールを持っていない時の動きも大事なんだと。
中村: それで貢献している選手もいるけど、僕は普段もっと中で目立つことをやってたから、あんな風に書かれると困りました。

二宮: 最後に自分の理想、描いているサッカー人生を。
中村: うーん、やっぱりよその国でやって、代表の時は帰ってきて、という感じでやりたいです。それには、まずフル代表に入らなくてはいけないし、強いところだったら、どこでもプレーしたい。強いところでというか、自分の力にあったクラブでやりたい。自分がこれから上にいって、マリノスのレベルも上がればマリノスにいるし。上達したら、さらに上のクラブにいってやらないと伸びないので、自分にあったところでやりたいと常に思っています。

(おわり)
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<この記事は1999年12月に行われたインタビューを構成し、00年12月に掲載されたものです>
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