ボクシングのバンタム級は軽量級の中でももっとも権威と伝統のあるクラスである。これまで日本からは48人の世界チャンピオンを輩出しているが、このクラスで戴冠を果たしたのは、ファイティング原田、六車卓也、辰吉丈一郎、薬師寺保栄の4人しかいない。
 80年代中盤から後半にかけて、高橋ナオトはこのクラスに出現した久々の俊英として大きな期待がかけられていた。なにしろこのタイトルマッチまで12戦全勝、12勝のうち8つまでがKO勝ち。持ち味は華麗なフットワークと精緻なカウンター。そのスタイリッシュなボクシングは、甘いマスクとも相まってファンを魅了してやまなかった。
 当時19歳の高橋にとって、2度目の日本バンタム級王座防衛戦。チャレンジャーは同級2位の小林智昭、当時23歳。戦績は10勝4KO3敗。ちょうどその2年前の同じ日(10月3日)、内藤睦美を判定で下して以来、8連勝中と波に乗っていた。

 タイトルマッチのゴングは午後3時。これはテレビの生中継に合わせたもので、日本タイトルマッチとしては異例中の異例だった。いかにテレビ局が高橋ナオトに期待をかけているかの表れだった。
 この試合に勝ち、タイトルを防衛すれば、その次は東洋太平洋、そして世界戦へとレールは敷かれていた。いわば高橋にとって智昭とのこの一戦は夢への一里塚であり、問われているのは結果よりも内容だった。

 事実、試合前、高橋の育ての親である76歳の阿部幸四郎はこう述べている。
「いろんなタイプのボクサーとやらせてみたいんです」
 高橋サイドにはハードパンチャーの今里元男(前王者)を2度続けて倒した自信ゆえか、チャレンジャーである智昭を軽視する発言が少なからず見受けられた。
 試合前日にはボクシング好きのタレント・片岡鶴太郎が「明日は高橋ナオトのKO勝ちを観に後楽園ホールに行きます」とテレビの生番組で発言して、小林智昭サイドを怒らせるというハプニングもあった。

「高橋君には次があるが、僕には次がない」
 普段は無口な男が、珍しく決意を秘めた言葉を口にしたことには少々驚きもしたが、それでも奇跡が起きる可能性は少ないように感じられた。なにしろ高橋ナオトと言えば、飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っており、変則的な智昭のボクシングに苦しめられることはあっても、そのまま押し切られてしまう光景を脳裏に描くのは容易ではなかった。
 大方の予想はナオトの早いラウンドでのKO勝ち。長引けば智昭にチャンスはあるが、その可能性はきわめて薄いだろう、というものであった。

 1ラウンド、試合開始を告げるゴングとともに仕掛けたのはチャレンジャーの智昭だった。、セミ・クラウチングの低い姿勢のまま、ナオトの懐に飛び込み、ボディを狙い打った。しかし、さすがはチャンピオンだ。軽快なフットワークでスッと体勢を入れ替えると、速射砲のようなジャブ、ワンツーを叩きつけた。
 ともに決め手がないまま、1ラウンドが終了した。どちらにもクリーンヒットはなかった。しかし、攻撃の意図を観る者にしっかり感じさせたのは、智昭の方だった。接近戦に持ち込み、まずボディを攻める。この攻撃でスタミナを奪っておいて後半勝負に持ち込む――あらかじめ予想された攻撃ではあったが、智昭は愚直なまでにそれを実行した。

 2ラウンドに入って、智昭の攻撃の意図はいよいよ明確になる。頭を低くした体勢で強引に突っかけていき、しばしばナオトをロープに追い詰めた。まさに「なりふり構わず」という表現がぴったりの泥臭い攻撃。私の持ち点では、このラウンドは智昭に軍配があがった。
 この対戦、スピード、フットワーク、パンチの切れ、カウンターの精度……どれを比較してみてもナオトに分があった。智昭が上回るとすれば、打たれ強さとスタミナくらいのもの。しかし、これも本当のところ、智昭のアドバンテージであるかどうかはわからなかった。なぜなら“打たれずに打つ”ボクシングを展開するナオトの打たれ強さは、これまでクリーンヒットをもらったことがなかったために測りようがなく、同じように、いつも早いラウンドで相手を倒していたため、スタミナについても未知数であった。

 3ラウンドに入って、俄然、試合は熱を帯びてきた。智昭の大振りのフックを見切ったナオトは小気味のいいショートフックで攻撃し、主導権を奪い返しにかかる。もちろん智昭も負けていない。大振りのフックを巧みなウィービングでかわされ、ロープを背負うや、左のグローブを「カモン!」とばかりに小さく回して、チャンピオンを誘った。

 足を止めて打ち合おう。このメッセージだ。
 逆に言えば、足を止めて打ち合う展開に持ち込まなければ、智昭にチャンスはない。乱気流に巻き込み、その中でチャンスを探る――一見乱暴な策に映るが、智昭が奇跡を起こすにはそれしかなかった。

 中盤の4、5、6ラウンドはチャンスとピンチが交錯するスリリングな展開となった。ナオトはスタイリッシュなボクシングを身上とするボクサー・ファイターだが、根は負けん気の強い男である。なにしろ無敗の王者なのだ。KO率も7割近い。
 リング中央で、ふたりは何度となく足を止めて打ち合った。戦端を切ったのは、スピード、パンチの精度で勝るナオトの方だった。普通のボクサーなら、とっくに倒れていただろう。ナオトのコンビネーションはアゴこそ射抜けなかったものの、顔面やテンプルを確実にとらえた。

 しかし、打ち合いの終盤、決まってナオトは智昭の左フックを浴びた。ナオトがストレート、フック、アッパーと多彩でスピーディーなブローを持つのに対し、智昭はフック一本槍。しかもスウィングが大きく、スピードも遅い。誰がどう見ても当たりっこないパンチなのだが、これがむしろ智昭には幸いした。
 大きく、くの字型のスウィングは、ナオトの視線から軌道が消えるという特性を有していた。これに遅さが加わると、智昭のフックは“時間差攻撃”となった。19歳のチャンピオンが、この変則的な攻撃に面食らったことは言うまでもない。

 ラウンド終了を告げるゴングが鳴り、セコンドに戻るなり、ナオトは何度も何度も首を傾げた。なぜ、あの遅いフックをくってしまうのか……不安げな表情が4歳年長のチャレンジャーを一躍勇気づけた。
 中盤の打ち合いは互角か、ややチャンピオンが上回っていたように見えた。足を止めての打ち合いはチャレンジャーが望んでいた展開ではあったが、ラウンドを制するまではいっていなかった。

 しかし、後半の7ラウンドに入って以降、ポイントには明確な差がつくようになる。チャンピオンにはこれまでにもまして、不用意にロープやコーナーを背負ったり、ノーガードでチャレンジャーのブローをかわすシーンが多くなった。
 チャレンジャーに油断させておいて、一気にカウンターを決めて乱戦にケリをつけるつもりか、それとも、ただ疲れているだけなのか……。私の古い取材ノートには、クエスチョンマークが打たれている。
 いずれにしても、ノーガードでだらしなく智昭の攻撃をやり過ごすチャンピオンの態度は見た目の印象も悪く、明らかにポイントを失った。振り返れば、このラウンドが勝負の分水嶺となった。

 8、9ラウンドも智昭の攻勢が目立った。時折、左のグローブを自らの顔につけるシーンが見られたが、これはナオトの強烈な右カウンターを警戒してのものだろう。チャンピオンのナオトは自慢のフットワークももつれ始め、もはや劣勢は疑いようもない。インターバルの間、足を前に投げ出し、ガックリとうなだれる姿は、既に敗者のそれだった。

 そして最終ラウンドを告げるゴング。いったい誰がこんな展開を予測しただろう。誰が10ラウンド開始のゴングを聞くと想像し得ただろう。
 智昭が創出した乱気流に巻き込まれたのは、リング上の19歳のホープだけではなく、記者席にいた私たちジャーナリストも同様だった。
 奇跡は、もう間近に迫っていた――。

「胃が痛くて私、あの試合、まともに見ていないんです。6ラウンドくらいまでずっと、廊下に立っていた。怖くって息子の試合なんて、見ていられませんよ……」
 母・ちづ子は振り返って、こう言った。
「不安だったので、6ラウンドが終わった後、廊下に出てきた見ず知らずの人に『どっちが勝ってますか?』ってたずねたんです。そうしたら、その人、『このままだったら小林が勝つだろうね』って。それで途中から見始めたんですが、私にはどっちが優勢かわからない。だから智昭が勝ってベルトを巻いている時も、勝ったんだなという実感はなかんですよ。
 ただね、あんなにキラキラ輝いている目を見たのは、初めてでした。自分の子なのに自分の子じゃないみたい……。私、リングを降りてくるあの子に話しかけようとしたんですけど、話しかけられなかった。そのくらい輝いて見えたんです」

 試合終了直後のコントラストは、あまりにも残酷だった。10ラウンド、残り30秒を切ったところで智昭は一気にラッシュした。ボディをえぐり、顔面への左右のフックを叩きつけた。まるで何物かにとりつかれているような、見事な攻撃だった。
 試合終了を告げると同時に、智昭は勝利を確信しているかのようにその拳を高々と突き上げた。一方のナオトは、精も根も尽きたような表情を浮かべ、キャンバスに両手をついた。もう立っているのがやっとの状態だった。

 赤コーナーに戻ってくるなり、ジムの阿部会長はナオトに数発、平手打ちを見舞った。愛弟子の不甲斐なさをなじったのだろうが、公衆の面前でわざわざやることだろうか。76歳の師と19歳の弟子。美談づくめの師弟関係の物語の背景にあるゾッとするような冷たさを、私はこの時、初めて知った。

「今の気持ちは?」
 腰にチャンピオンベルトをしっかりと巻いた智昭に、アナウンサーがマイクを向ける。
「お母さん、これで何とか、チャンピオンベルトを持って、田舎に帰れそう」
 つい先程まで死闘を展開していた分草とはとても思えないさり気ない口調で、智昭は言った。

 試合後すぐに飯山に戻ったちづ子に電話が入ったのは、夜中の1時を少し回ったあたりだった。
「かあさん、俺、勝ったんだ。見ただろ」
「うん、見たのは見たけど、お母さん、実感ないのよ。あんた、本当にチャンピオンになったの?」
「何言ってるんだよ。だって、見ただろ、ベルト巻いたところ」
「…………」
「かあさん、これがちょっと早い誕生日プレゼントだよ。今まで僕を育ててくれて、ありがとう。これでやっとひとつ、恩返しができたよ」
「ありがとう。もういいから、今日はゆっくり休んで」

 ちづ子は今でも、この夜の電話での会話を忘れることができない。
「私には、まだついこの間の出来事のように感じられるんです。もちろん智昭が亡くなったなんて、今でも信じられない。なんだか悪い夢を、ずいぶん長い間、見ているようで……。今でもフラッとあの子が帰ってきて、『かあさん、冗談だよ』って言いそうな気がしてならないんです。いたずらが大好きな子でしたから……」

 ちづ子がひとりで住む飯山の市営住宅には、今でも智昭の部屋が残されている。いつ帰ってきてもいいように、部屋は片付けずに昔のままにしてある。
 事故死した時に乗っていた赤いカート。ヘルメットは、そのまま壁に立てかけられるように飾ってある。微笑を浮かべた遺影、彼が愛読していた専門誌、数多くのビデオテープ……。この空間だけは時間が止まったままだ。
 1月20日。10回目の命日が巡ってきた。

(つづく)
>>第1回はこちら

<このコラムは二宮清純「Boxer's Profile」のコーナーで2003年3月に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから