二宮: 親方といえば、アマチュア時代から勢いのある突き押しが持ち味でした。大相撲に入って取り口に変化はありましたか?
楯山: スタイル自体は変わっていません。ただ、大相撲になると張り手が加わる(アマチュアでは禁止技)。相手から張り手をバーンとくらうと一瞬、グラッとくることがよくありました。
二宮: 意識が飛んで、ボクシングのKO状態になると?
楯山: はい。気絶しそうになったこともあります。だから自分で張り手対策を考えました。張り手をされそうになったら、両腕を前に出して、あごを引く。まともに張り手があごに入るとキツイですから、その部分を腕で隠すようにしていました。

二宮: 相手が張り手をしそうな雰囲気をすばやく察知するわけですね。
楯山: そうです。さらに相手との距離を詰める。張り手をされて逃げ腰になっては相手の思うツボです。1、2発の張り手は覚悟で前に出る。懐に入ってしまえば、張り手は使えませんから。

二宮: 昔は“フックの花”と呼ばれた福の花関(元関ノ戸親方)、近年では国会議員になった旭道山関など張り手を武器にしていた力士もいました。対して親方は正統派の突き押し相撲を貫かれましたね。
楯山: 張り手一発で勝負がつくことは滅多にありません。むしろ脇が空いて、懐に入られるリスクが高い。基本的に張り手は、そのスキにまわしをとったり、強い相手、大きな相手に対して先手をとりたい時に使う勝負手みたいなものだと僕は考えています。

 理想の立ち合いは45度

二宮: 特に突き押し相撲は立ち合いが命と言われます。親方にとっての理想の立ち合いを教えてください。
楯山: 45度の角度で相手を下からバーンと起こすのが一番です。やはり、しっかり当たらないと手も足も次の流れが出てきませんから。当然、いつもいい立ち合いができるとは限りません。立ち合い負けした場合も最後まであきらめないことが大切です。

二宮: 横綱の若乃花や貴乃花などは立ち合いで相手の勢いをがっちりと受け止めてから、自分の体勢に持ち込んでいました。守勢にまわっても強かった要因はどこにあったのでしょう?
楯山: バランスの良さです。車のエアーサスペンションみたいに相手に応じて体勢を合わせられる。大きい相手はもちろん、小さい相手にもひざを畳んで腰を低くして相撲をとれる。人一倍の稽古で足腰を鍛えたからこそ、なせる業でしょう。

二宮: 親方がイメージ通りの相撲がとれた時期はいつ頃ですか?
楯山: なんといっても関脇に上がった(1997年7月場所に昇進)前後ですね。三賞を連続でもらって、番付も上がって相撲が楽しかったですよ。どんな強い相手でもやりがいがありました。

二宮: とはいえ30歳を過ぎても初日からの6連勝が2度あったり、勢いは全く衰えませんでした。ただ、意外なことに1場所では11番勝ったのが最高なんですね。
楯山: そうです。連勝が多かった代わりに連敗も多かった(笑)。初日から12連敗したこともありましたから。

二宮: 波に乗るとドドーッと勝てる反面、歯車が狂うと連敗してしまう。これは突き押し相撲の宿命でしょうか。
楯山: そう言われますが、何より大切なのは気持ちのコントロールです。勝ちたいと思いすぎると焦ってしまうのでダメですし、負けが込んだ時に考えすぎても「今日も負けるのではないか」と弱気になって良くない。土俵に上がったら、何も考えずに開き直るのがベスト。でも、それが一番難しい。

二宮: 相撲は心技体といわれるように、メンタルコントロールも重要なんですね。
楯山: 僕はヒザの靭帯をケガをした時に、トレーナーの方からトレーニングの方法のみならず、心についてもアドバイスをいただきました。ケガをすると、どうしても今までの力が出せなくなる。その際に、過去の自分と比べてはいけないと言われました。「もし10あった力のうち、3しか出せないなら、その3の力をフルに出すことを考えよう」「まず目の前の現実に、自分がどう対応できるかを考えよう」と。おかげで一番一番、悔いのないよう相撲に集中できたんです。これが最終的に36歳まで現役を続けられた理由だと思います。

 怖かった魁皇の怪力

二宮: 親方の年代で今も現役バリバリなのは?
楯山: 魁皇関と土佐ノ海関くらいですね。アマチュア時代から一緒にやってきた主な人間で、最初に辞めたのは武双山(2004年引退)。その時はやっぱり寂しかったです。自分が辞めてから、彼らには1年でも長く頑張ってほしいという気持ちが一層、強くなりました。それでも、もし辞める時が来たら、その時は温かく迎え入れてあげようと思っています。
 
二宮: 全盛期の魁皇関は本当に強かった。かいな力が強くて、右からの投げは強烈でした。りんごも片手でつぶしていましたね(笑)。
楯山: 彼は結構、おとなしそうに見えて負けん気がものすごく強い。私がバーンと突っ張ってくるとイラッときたのか、パッと腕をつかまえて小手投げを打ってきたことが何度かありました。あの怪力ですから腕が極まって、ものすごく痛い。全盛期は対戦するのが怖かったですね。

二宮: 魁皇関はお酒も強い。以前、取材させていただいた時には、ドンブリ鉢にビールを注いで、一口で飲んでいました。それでも「最近はお酒に弱くなった」と言っていましたが(笑)。
楯山: 僕はお酒が弱い人間なのでうらやましかったです。やはり力士はお酒に強いイメージがありますからね。魁皇関ほど、土俵の中でも外でも昔ながらの豪快さを感じさせる力士は、今後なかなか出てこないかもしれません。

(最終回につづく)
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<楯山良二(たてやま・りょうじ)プロフィール>
1972年1月7日、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)生まれ。本名:松本良二。現役時代の四股名は玉春日。野村高、中央大を経て、片男波部屋に入門。94年初場所、幕下付出で初土俵を踏む。翌年、十両に昇進し、96年初場所新入幕。得意の突き、押しを武器にその場所で10勝をあげ、敢闘賞に輝いた。翌年、夏場所には横綱・貴乃花(現・親方)から初金星。名古屋場所では自己最高位となる関脇に昇進した。その後はヒザ、首などのケガもあり、十両落ちも経験するが、06年名古屋場所では11勝4敗の好成績で技能賞を受賞。55場所ぶりの三賞は最長ブランク記録だった。同年と07年はいずれも6場所中4場所で勝ち越し。35歳を超える年齢を感じさせない相撲で土俵を沸かせた。08年秋場所をもって引退。年寄・楯山を襲名し、後進の指導にあたる。通算成績は603勝636敗39休。十両優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星7個。




(構成:石田洋之)
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