いよいよ、この時がやってきました。衆議院の解散総選挙は8月30日投開票に決定。40日間の熱い戦いが始まりました。解散当日は、ちょうど同時刻に国会内で議員総会が開かれていたため、会場のテレビで、その瞬間を見ていました。あれだけ与野党が対立した議会が「日本国憲法第七条の規定により、衆議院を解散する」との議長の一言であっさりと解散してしまったのは、少し不思議な感じがしましたね。
 就任直後の解散を予定して麻生太郎内閣が発足して約1年。その間、2008年度1次補正予算、2次補正予算、2009年度本予算、補正予算と4度の予算編成が行われました。その中には定額給付金や、エコポイントの実施など、さまざまな政策が含まれています。果たして、この結果、国民の暮らしは良くなっているのでしょうか。僕の目には、ただハコモノができ、特殊法人が得をして、途方もない借金が積み重なっただけのように映ります。

 税金のムダ遣いをなくし、国民目線の政策を実現するため、僕はこの春より民主党の「事業仕分け」の作業に携わらせていただきました。この「事業仕分け」は今年度予算に計上された2767事業のうち、87項目を抽出し、その必要性、合理性を調査するものです。僕は文部科学部門担当のひとりとして、担当部署からのヒアリングや有識者からの意見を参考にしつつ、各事業を「廃止」、「民間実施」、「地方移管」、「改善」、「継続」とそれぞれ分類していきました。

 結果、文部科学部門では廃止が3事業、民間実施が1事業、改善が7事業(うち1事業は現行のままなら廃止)という結論に達しました。もし、この仕分けをそのまま実行すれば、予算は170億円以上削減することが可能です。他の部門も含めると、全体の改善見込み額は1847億円。割合として26%もの予算が削れる計算となりました。

 これはあくまでも一部の抽出調査であり、すべての予算を見直せばまだまだムダが出てくるかもしれません。もちろん実際には、即廃止できる事業と、打ち切りまでに時間が必要なものがあります。一気に26%もの予算削減は無理だとしても、民主党が掲げている10%強のカットは充分可能なレベルと言えるのではないでしょうか。

 今回の仕分けのもうひとつの意義は、官主導ではなく政治主導で作業ができたことです。通常、役人のみなさんから事業説明をお願いする際には、先方がつくったプレゼンテーションの資料に基づいて話を進めます。当然のことながら、事業の必要性をあれやこれやとアピールするのがお役所の仕事です。向こうの土俵に乗ってしまっては、隠されたムダや問題点をすぐに指摘することができません。

 そこで、僕たちはこちらで事前に決めた質問事項や書式に従って、資料を作成するよう各部署に要請しました。これだと問題点をうやむやにすることはできませんし、関連事業との比較もできます。おそらく、いつもとは違うスタイルで役人のみなさんは資料作りが大変だったことでしょう。おかげで、これまでは見えなかった予算の使い道が次々と明らかになっていきました。たとえば、各省が似たような事業をやっていたり、ほとんど不用な項目に予算がつけられていたり、一度廃止になったものが形を変えて復活していたり……。

 実際に役人の方と話をしてみると、ひとりひとりの理想は高く、税金をムダ遣いしようと考えている人間などひとりもいません。しかし、彼らが大きな官僚システムの中に入った途端、組織の論理で身動きがとれなくなってしまう。これが日本の行政の現実です。悪いのは官僚ではありません。システム、構造の問題なのです。

 そのシステムを変革するために必要なのは、やはり政権交代でしょう。政権が変われば、埋蔵金の内訳をはじめ、これまで自民党と官僚の馴れ合いで覆い隠されてきたものはすべてオープンになります。もう、これまでのように野党だからといって情報を隠すことはできません。そうやって政権交代を繰り返すうちに、官僚組織は変化を恐れない風通しのよいものに生まれ変わるはずです。

 8月の総選挙は日本をチェンジする可能性が出てきた初のチャンスです。もちろん僕たちが目指すのは民主党を中心とした新政権の誕生。しかし、仮に与党が過半数をとったとしても、これまでのように数で押し切る政治はもう無理でしょう。いずれにしても、日本のこれからにとってプラスへ働く選挙となることは間違いありません。

 そして、この国の針路を最終的に決めるのは国民ひとりひとりの1票です。これから約1カ月、僕も愛媛を中心に、志を同じくする方の応援をさせていただきます。先日の街頭演説では大勢のみなさんに集まっていただき、政治に対する期待の大きさをひしひしと感じました。これからも多くの人と握手をし、話をさせていただく中で、新しい日本の設計図を描ける選挙戦になればと考えています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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