続くロシア戦は6月9日、横浜国際総合競技場。日本は勝ち点1、ロシアは初戦でチュニジアに勝ち、勝ち点3。日本にすれば負けは許されない。是が非でもロシアを叩き、勝ち点3を奪いたい。最悪でも引き分けによる勝ち点1は死守したい。そういうゲームだ。

 結論からいえば、空中戦は不得手でも、地上戦なら負けない。日本、ロシア、ともに速いパス回しを得意とするチームだが、スピードと勤続性、そして運動量で日本が上回っていた。
 逆説的にいえば、たとえばロシアのカルピンは「日本の試合はビデオで研究している。と語っていたが、たいして研究しているように感じられなかった。彼らは「日本ごときにキメの細かいパスをつなぐ自分達のサッカーを変える必要はない」と考えたのかもしれない。それが墓穴を掘った。
 局面を打開するはずのショートパスの少ない数が日本の網にかかった。ラインの上がりを待って冷静に裏にパスを出したり、ハイクロスを意識的に入れてきたベルギーのようなしたたかさは、この国にはあまり感じられなかった。
 日本の決勝点は後半6分。左サイドを上がった中田浩二がグラウンダーのクロスを前線に送り、柳沢が相手DFを欺く見事な壁パス。これをペナルティエリアに侵入していた稲本が右足で蹴りこんだ。またしてもヒーローはこの男だった。
 その後、逆襲に転じたロシアは激しく攻め立てたが、日本の最終ラインを崩すことはできず、ためにミドルシュートに頼った。その多くがクロスバーを越えていったのは、日本のマークがタイトで、きっちり踏み込めなかった証拠だろう。
 日本はあらゆる局面で数的優位を保ち、スキあらば忍び込もうとするロシアのアタッカーたちを駆逐し続けた。すべての青い戦士たちがたくましい働きバチに見えた。欲をいえばキリがないが、長年、日本が追いかけてきた理想のサッカーの姿がそこにあった。
「武器のない戦争」といわれるサッカーと本物の戦争を関連づけるのはどうかと思うが、国際間の戦争で日本が初めて大国を破ったその相手はロシアであり、日本海海戦で壊滅的な攻撃を受けたバルチック艦隊の隊員は極東への長旅で疲れ切っていたといわれる。まさかロシアの選手たちもそうだったとは思わないが、この島国特有の湿気と蒸し暑さに辟易している様子はプレーの随所から窺えた。
 台湾の有力紙・聯合報は決勝ゴールを決めた稲本をバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官・東郷平八郎になぞらえ、こう書いた。
「大国ロシアを下した稲本は大和の英雄である」

 6月14日、対チュニジア戦。大阪・長居陸上競技場。
 2試合を戦い終えた時点での勝ち点は日本が4でトップ。以下ロシア3、ベルギー2、チュニジア1。日本は負けても1点差以内なら決勝トーナメントに進出できる。
 そうと知ってはいても、安心して試合が見られるわけではない。試合が始まってすぐに「ベルギー、ロシアに1点先制」のニュースが入る。
 このまま日本がスコアレスのままチュニジアと引き分け、ベルギーが1対0でロシアに勝利すれば、総得点でベルギーが1点日本を上回り、H組1位となる。相手はトルコだ。逆に日本が2位通過となれば、相手はワールドカップ最多の4度の優勝を誇るブラジルだ。トルコも強豪とはいえ、ブラジルとは格が違う。早く1点が欲しい。カナリアカラーとサンバのリズムを頭から消し去りたい。
 後半3分、柳沢に代わって入った森島がやってくれた。値千金の先制ゴール。きれいに振り抜かれた右足から放たれたシュートはカーブを描いてゴール左に吸い込まれた。
 この日の大阪は気温33度、湿度66%。いくら逆転進出に一縷の望みを託すチュニジアとはいえ、蒸し風呂の中でベストのパフォーマンスは保てない。網の目を縫う小魚をチュニジアDFは捕まえきれない。後半30分には市川大祐のクロスを中田英寿が頭で合わせ、とどめを刺した。
 2勝1分け、勝ち点7。堂々のグループリーグ1位通過。対チュニジア戦の視聴率は平日の昼間だというのに平均で45.5%を記録した。日本中が代表チームの決勝トーナメント進出に酔いしれた。
「日本のサッカーはこの4年間で大きく成長した。選手が野心を持って最後までアタッキングサッカーを貫いた結果だ」
 指揮官は胸を張ってインタビューに答えた。この夜、道頓堀川には、喜びをおさえられない若者が600人もダイブした。

「日本代表はよくやったよ」
「勝てた試合だったけど、これ以上は高望みというものだよ」
 仙台の街はずれのスタジアムから仙台市内のホテルに向かうプレス用のシャトルバスの中では、そんな声が飛び交った。メディアを含め関係者の空気が一変するのは、その日の夜のことである。
 ホテルに戻り、テレビをつける。ベスト8進出をかけ韓国とイタリアが戦っていた。前半18分にビエリのヘディングシュートでイタリアが先制。後半に入り、韓国は怒涛の攻めを見せたが、イタリア自慢のカテナチオ(かんぬき)をこじ開けることができない。善戦もここまでか……。
 と、その矢先である。後半43分、ゴール前の混戦で薛鉉が左足を振り抜いた。奇跡の同点ゴール。そして試合終了直前の延長後半12分、李榮杓のクロスを安貞桓が頭で叩き込んだ。この直後の選手、関係者、サポーター一体となっての喜びようといったら、ちょっと言葉が見当たらない。スタジアムの熱気は完全に沸点を超えていた。
 奇跡を演出したのは監督のフース・ヒディンクだった。前大会で母国のオランダをベスト4に導いた名将は、後半、これでもかといわんばかりに攻撃のカードを切った。18分、金泰映に代えて黄善洪を、23分、金南一に代え李天秀を、そして38分には洪明甫に代え、車ドゥリをピッチに送り出した。
 前代未聞の2バック、5トップ。指揮官は退路の橋を自ら断ち切って、勝負に出た。攻めて攻めて攻めまくるぞという無言のメッセージ。これがチャレンジャーの姿である。追う者の姿である。ここまで最善の手を尽くして、それで負けたのなら仕方がない。鬼気迫る采配がイタリアを追い詰めた。

 翻って、我が日本。決勝トーナメント進出は確かに立派な成果だが、登山にたとえれば、まだ5合目に過ぎない。これは日本人の悪いクセだが、最初に立てた目標を達成すると、そこで安心して、さらに上を目指そうとしなくなる。受験生がその典型だ。本来はその学校に入ることにより、そこで何を学ぶかのほうが大切であるはずなのに、合格した時点でフッと気を抜く。社会人も同様だ。俗にいう5月病。世界中で日本にしかない奇妙な病気である。
 日本代表の選手たちが、そして指揮官のフィリップ・トルシエが決勝トーナメント進出を果たした時点で、充足感に浸り、肩の荷を降ろしたとは言わない。しかし、トルコ戦には何かが欠けていた。闘志なのか野心なのか、それとももっとスピリチュアルなものなのか、それは私にもわからない。ただ、こうは言える。決勝トーナメント進出を果たした瞬間、この国全体にエアポケットのような空白が生じはしなかったか。その心象風景がトルコ戦で、敵の重要人物をフリーにした魔の一瞬と重なり合う。ゆえにあれは起こるべくして起きた、必然ともいえる「事故」だった。日本代表が再出発するにあたり、この点だけはクリアにしておく必要がある。

<この原稿は2002年8月号『月刊現代』に掲載されたものを再構成したものです>

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