1960年生まれの筆者にとって70年代の記憶は今なお鮮明だ。たとえばスポーツ、たとえば音楽、たとえば事件。あさま山荘事件の一部始終は小学校の視聴覚教室で見た。長嶋茂雄の引退セレモニーでの名ゼリフ「我が巨人軍は永久に不滅です」にはジンとした。そして街にはポップスがあふれていた。
山本リンダが“うぅ、わぁ、さぁ、をぅ、しぃ、ん、じぃ、ちゃぁ”と歌っていたのは七二年のことだ。彼女が腰をクネクネさせるたびに母は眉をひそめていた。リンダに似せて“もぉお、どぅお、にぃ、むぉ、とぅお、まぁ、らぁ、なぁ、いぃ”とやったら父に頭をしばかれた。しかし軽快なメロディはまるで流行感冒のような勢いで列島を覆いつくし、この国の人々の耳に棲みついた。
 曲を書いたのは都倉俊一だ。世に出したヒット曲は千曲以上。レコード売上枚数四千万枚。故・阿久悠とのコンビはひとつの時代をつくった。社会の空気を寸分漏らさず読み取りながらも、しかし従属はせず、音符のひとつひとつに挑発的なメッセージを地雷のように埋め込む。その作業はきっと至福なものであったに違いない。読み応えのある一冊。 「あの時、マイソングユアソング」 (都倉俊一 著・新潮社・1500円)

 2冊目は「儒教・仏教・道教」(菊地章太 著・講談社・1500円)。日本を含めた東アジアの思想の本質は「シンクレティズム」にあると著者は喝破する。儒・仏・道の「習合」あるいは「ごたまぜ」。軽そうで深い独特の筆致が冴え渡る快著。

 3冊目は「恋する西洋美術史」(池上英洋 著・光文社新書・880円)。 時間があると美術館に足を運ぶが、この本に出会うまで絵画は「観る」ものだとばかり思っていた。「読む」ものだとは気づかなかった。絵画を巡る「死と愛」の物語。

<1〜3冊目は2009年1月21日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>


14代将軍・家茂を軸に事績追う

 4冊目は「幕末の将軍」(久住真也 著・講談社・1600円) 。 冒頭の問いかけが、本書の性質をよく表している。<江戸時代「最後の徳川将軍」は誰かと問えば、誰もが徳川慶喜と答えるであろう。しかし、それは本当なのかという問いを最初に発しておきたい>。まずギョッとする。
 基本的には十二代・家慶から十五代・慶喜まで、四代の幕末の将軍の事績を追っている。しかし、ただ追うのではなく、激動する社会の様相と各々の将軍のあり方を、重ね合わせながら叙述していく。なかでも十四代・家茂の時代を歴史のターニングポイントとして捉える視点がおもしろい。
 家茂は皇女和宮の夫として有名だが、若くして病死したためひ弱な印象があり、それほど重視されてこなかった。
 だが著者によれば、家茂は三代・家光以来の上洛を決行している。これは民衆には見えない存在であった将軍の生身の姿を、意図的に「見せる」演出だった。将軍みずからが内外の政治課題(「国事」と呼んでいる)に乗り出す宣言であり、そこに歴史上の意味があるというわけだ。
 もちろん江戸幕府「最後の将軍」は慶喜である。では著者は冒頭の問いで何を言いたいのか。それは読んでのお楽しみ。

 5冊目は「ドラフト1位」(澤宮優 著・河出書房新社・1600円)。 希望と絶望は紙一重。ドラフト1位に指名されながらプロでは大成できなかった選手は少なくない。拒否した者もいる。そんな9選手の物語を丹念に綴った一冊。

 6冊目は「拳の真相」(金平桂一郎 著・双葉社・1400円)。世界チャンピオンはつくるもの」。11人の世界王者を輩出してきた名門ボクシングジムの会長が、その歴史と哲学を語る。袂を分かった亀田一家に対する見解も興味深い。

<4〜6冊目は2009年2月18日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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