バンクーバー五輪も残すところ、あとわずか。日本人選手の活躍に一喜一憂している方も多いことでしょう。僕は国会開会中のため、なかなかリアルタイムで観戦できていませんが、ハイライトで随時チェックしています。大会前には愛媛県人初の冬季五輪代表、スノーボードハーフパイプの青野令選手と偶然、東京行きの飛行機で一緒になりました。結果は9位だったとはいえ、南国・愛媛から世界と戦える選手が出たこと自体が快挙だったのではないでしょうか。
 五輪の時期になると、新聞もテレビもトップニュースで選手の動向や結果を伝えます。そして必ず掲載されるのが、日本のメダル獲得数。確かに選手のみなさんは大会に出る以上、メダルを目指して勝負をかけているのは間違いありません。しかし、それを見守る僕たちが、メダル、メダルとプレッシャーをかけることに違和感を感じています。

 もし、そこまでの結果を求めるのであれば、それなりのバックアップが必要であることは言うまでもありません。ところが、これまでも紹介してきたように日本のスポーツ行政は、不十分なところがたくさんあります。スピードスケートの清水宏保選手が朝日新聞のコラムで「日本はまだまだスポーツ後進国というしかない。五輪の期間中、国中が注目しメダルの数を要求される。選手が責任を感じるのは当然だが、ノルマを課せられているような感じにもなる。それまでの4年間のフォローを国やJOCはきちんとしてきたのだろうか」(2月23日付夕刊)と書いていました。まさしく、その通りです。

 今回の冬季五輪の代表でも、競技に何不自由なく打ち込めるアスリートは、ほんの一握りしかいません。アルバイトや派遣労働で遠征費を稼ぎながら、何とか競技を続けている選手もいるのが実情です。海外に目を移すと、たとえば英国では世界で一定の成績を残した選手は、常時トレーニングできるよう、最低限の生活保障がされています。近年は海外を転戦する日本人も増えてきましたから、こういった海外との格差に問題意識を持つアスリートは少なくありません。国や競技団体が動く前に、選手自身で少しでも地位向上を図ろうと、横断的にコミュニティをつくる動きも出ています。

 国政に携わるひとりとして、こういった選手の声にはしっかり応えていく責任があります。トップアスリートはもちろん、スポーツに汗を流すすべての人を応援する体制づくりは大きな課題のひとつです。その設計図とも言うべきスポーツ基本法を今後1年かけて形にし、来年の通常国会では成立させたいと考えています。21世紀型の日本のスポーツがそこから、ようやくスタートするはずです。

 スポーツ政策に限らず、日本のスタンダードは世界のスタンダードではありません。日本には日本の方法論があるとはいえ、政治、外交、メディアなど、あらゆる分野で「井の中の蛙」になっていないか、検証が必要です。それが五輪のみならず、世界で結果を残すために、最も求められていることではないでしょうか。

 さて、国会では変わらず「政治とカネ」が話題の中心を占めていますが、メディアで取り上げられないところでは、さまざまなテーマに基づいて政策論争が繰り広げられています。たとえば参議院では、現在、2010年度の予算案が衆議院で審議されているため、週1回ペースで調査会を開催しています。この調査会は3年間のスパンで、ひとつのテーマに基づき、議論を深めていきます。解散がなく、じっくりと国政に取り組める参議院ならではの制度です。
 
 先日は、少子高齢化・共生社会に関する調査会で、保育の現状について関係者から話を伺いました。日本の育児政策はご存知のように、諸外国と比べれば立ち遅れている面は否めません。保護者に代わって3歳未満の子どもの面倒をみる保育ママ制度では、ひとりで幼児を担当する仕組みのため、保育ママにかなりの負担がかかっています。同様の制度をとっている外国では、複数の保育ママで対応し、預ける側も預けられる側も安心して子育てできるスタイルになっているようです。こういった課題は、大きく報道されることはありませんが、政治が取り組まなくてはならないことのひとつでしょう。

 このように調査会は長期的な会のため、政争の具にもならず、与野党が自由闊達な議論を交わしています。調査会を経て、実際に法律の改正や立法化につながったものも少なくありません。本来、国会はこうあるべき――会に参加していると、そんな思いを強くします。来月はいよいよ参議院でも予算審議が始まる予定です。僕もどこかのタイミングで質問の機会をいただくことになるでしょう。政争ではなく政策に注目が集まる質疑を展開したいと思っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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