W杯イヤーが幕を開け、6月の本大会に向け盛り上がるはずのサッカー界。しかし、2月上旬に行なわれた日本代表戦の内容は散々なものだった。
 とにかくゴールが遠いのだ。シュートがポストに嫌われる場面もあったが、チャンスを作っても決めきれない。このような状態では、岡田武史監督が口にした“ベスト4”など夢のまた夢だ。

 ドリブル突破で守備陣をかく乱する者もいなければ、ゴール前でDFを弾き飛ばすような者もいなかった。要するに一芸に秀でたオンリーワンがいないのだ。
 なぜ似たような選手ばかりがピッチに立つのか。起用する監督の好みもあるだろうが、これは日本サッカー界が長年取り組んできた強化方針がうまくいっていないということではないのか。

 日本サッカー協会は日本代表チームへの準備段階としてトレセン制度というものを作り、各年代で選手を一元的に育成している。
 若年層の強化を加速するという方向性は間違っていないが、判で押したような画一的な指導方針に陥っていやしまいか。
 さらには、子供たちにサッカーを教える指導者もライセンス制で管理している。協会のライセンスがなければクラブを率いることもできない。
 当然のことながら、ライセンスを取るためには長時間の研修受講が必須となる。全国の指導者に向け協会が作成したテキストが配布され、北は北海道、南は九州・沖縄まで同じ指導法が伝授されるのだ。
 このキメの細かい指導者育成システムはサッカー全体のレベルアップに寄与している反面、突出した選手の成長を阻害しているとの声も聞く。

 あるサッカー関係者はこう語る。
「トレセンの講義で子供たちが観るビデオを拝見したことがあります。ストライカー養成のための映像です。
 その内容ははっきり言ってナンセンス。“シュートを決めるためにはシュート練習が必要”などと言っている。そんなことは当たり前です。わざわざ全国から子供達を集めて見せるようなものではありません。
 練習してもゴールが奪えないなら、どうしたら入るようになるのか。頭で考えることが必要なのか、メンタルなものが足りないのか。その解決策がビデオから見えてこないんです」
 サッカー評論家・セルジオ越後氏の指摘はもっと手厳しい。
「昔は各県のサッカー協会が独自の色を持っていたのに、今はそのエネルギーがない。県と県のプライドがぶつかり合わないからいいアイディアも優れた選手も生まれてこない。
 協会は指導者にライセンスを与えているから、彼らを全て掌握してしまっている。そうすれば、組織の弱体化は目に見えている」

 日本がアジアで戦えるようになったハンス・オフト時代にはFWに三浦和良(横浜FC)や中山雅史(札幌)という自分の色を全面に押し出す選手がいた。
 3大会連続でW杯に出場した中田英寿は彼の強烈な個性とカリスマ性で無色になりがちな代表チームに独特の色をつけていった。
 野球の世界に目を向けても、イチロー(マリナーズ)や野茂英雄といった個性豊かな選手がメジャーリーグでのパイオニアとなり国民を熱狂させた。
 育成段階で大きな方向性を示すことは必要だが、ハシの上げ下げにまで口出しするような“指導”は、才能豊かな子供たちの将来性を摘むリスクも包含している。
 かつてラグビー日本代表を率いた宿沢広朗氏(故人)は自著『テストマッチ』(講談社)の中で「弱い組織ほどチームワークを大切にしたがる」と語っている。その背景には「優れた個性を束ねてこそ、より高度な組織が創造される」という思想があった。

 この国では「個人」が大切か、「組織」が大切か、という議論が盛んだが、AかBかという二者択一型の発想は、もう古い。AもBも大切なのだ。
 要するに光輝く個性がなければ、強い組織は成立しない。逆説的に言えば、魅力的な組織でなければ、優れた個性は育てられないということだ。
 先述したように、この国のサッカーにはパサーが多いが、意地悪な見方をすればパスは「結論の先送り」に過ぎない。自らの意思と技術で「決定」できるFWが欲しい。

<この原稿は2010年3月9日号『経済界』に掲載された原稿を再構成したものです>

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