救いようのない一戦だった。
 4月7日、ホームでのゲームながらセルビアに0対3と完敗。南アフリカW杯開幕まで2カ月を切ったというのに、日本代表はお先真っ暗な状態だ。
 試合後、岡田武史監督は「我慢する戦い方が必要だとわかった。最初から3バックは考えていないが、よほどメンバーが欠けた場合は考える」と守備的な3バックへのシステム変更も口にした。

 セルビアはFIFAランキング15位の強豪とはいえ、この日のメンバーは若手主体で、現在の代表は数人しかいなかった。
 監督のアンテッチはベンチにさえ入らず、スタンドから観戦していた。
 物見遊山とは言わないが、彼らにとっては「何が何でも勝たなくてはならないゲーム」ではなかった。
 にもかかわらず、日本代表は一矢も報いることができず、遠来のゲストの引き立て役に甘んじた。
 場内を一周する選手たちにはブーイングだけでなく紙コップまで投げつけられた。
 不甲斐ない日本代表に対するサポーターたちの怒りは募る一方で、岡田監督への不信感は極限に達している。

 そんな折、一冊の本を読んだ。2002年の日韓W杯で日本代表をベスト16に導いたフィリップ・トルシエが著した「トルシエの眼力」(徳間書店)だ。
 セルビア戦で喫した3点のうち2点はDF陣の裏をとられたものだが、トルシエは日本代表の失点パターンを構造的なものだと考えている。
<今の岡田ジャパンは、1つのゴールチャンスを作り出すために、できるだけ多くの人数が攻撃に絡んだほうがいいという考え方を持っている。全員で前線に攻め上がれば、後ろに残っている守備要員が少なくなり、どうしてもピンチに陥りやすくなる。
 エネルギーがあるときはそれでもいいだろうが、90分間を戦い抜くには緩急も大事だ。ときには強固な守備ブロックを作り、相手に持たせてしのぐ場面もあっていい。相手が攻め込んできても、安定した守りの組織があれば、カウンターを抑えることができるのだ。そのうえで、3〜4人の攻撃陣で有効な攻めを仕掛ければいい。>

 岡田監督が新しいポジションとして口にした3バックシステムについてもトルシエはこんな持論を展開している。
<正直、現在の4バックで戦うのは難しいと言わざるを得ない。強豪相手では守りきれないと、私は考えている。
 99年ワールドユースを戦ったとき、私のチームには岡田ジャパンと同じタイプの攻撃的なMFが数多くいた。彼らを活かしながら、守備文化の欠如をどう補えばいいかを考える必要があった。
 ラグビーのように1対1の局面が多くなると、フィジカル能力の高い相手には簡単に負ける。体力や身長では日本人選手は劣っている場合が少なくないから、やはり厳しい。
 その差を少しでも小さくするために、思い当たったのが、3バックを採用することだった。ただの3バックではなく、オフサイドトラップを使いながら相手の攻撃のメカニズムを寸断する戦略を考えた。
 3バックを高い位置で保てば、チーム全体がもっと上へ行けるし、高い位置で攻撃を仕掛けることができる。準優勝できたのも、これがうまく機能したからだ。
 もちろん、岡田監督に同じシステム採れとは言わない。10年以上の時間が経過し、サッカーの質も変化しているので、まったく同じことをやっても通用しない可能性は大いにある。
 ただ、3バックは1つの解決策になり得ると私は考える。>

 若手主体のセルビアに0対3と完敗しながら、協会内に「岡田監督を解任せよ」という声は上がっていない。
「ヨーロッパの列強で、W杯直前に監督を代えるような国はない」
 ある協会幹部はこう言った。
 言葉を返すようだが、日本はサッカーにおいては新興国であり、ヨーロッパの列強と同一視すべきではない。
 チームに良化が見られないのなら、思い切って監督を代えてみるのもひとつの手だ。
 一番悪いのは「もう時間がない」といって何の手も打たず、何の策も講じないことだ。
 監督を代えるリスクと代えないリスクを秤にかけ、その結果、「岡田をとった」というのならまだわかるが、議論すらしていないのではないかと不安になる。
 トルシエについても「ポスト岡田」に適格か不適格か、その“品定め”くらいはしてもいいのではないか。

<この原稿は2010年5月11日号『経済界』に掲載されたものです>

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