長嶋茂雄はサインを求められると決まって「野球というスポーツは人生そのものだ」と書く。それからタイトルとなった。
 今から10年前のことだ。長嶋の背番号が「33」から「3」に戻ったと聞いて巨人のキャンプ地・宮崎に出向いた。
 長嶋は「33」を継ぐ江藤智にノックをしていた。スイングした瞬間、右肩から左腰にかけてユニホームに流線型のシワが寄った。このシワは動的な美しさの記号であり、まさにバットを振り抜いた直後、私たちの目は「3」に釘付けになるのだ。
 26年ぶりの背番号「3」を目の当たりにして、なぜ少年時代、あれほどまでに長嶋が好きだったのか、やっと謎が解けた。つまり「3」は躍動の象徴だったのだ。
 長嶋に関する著作は星の数ほどあるが、やはり自叙伝は一味違う。余計な修辞がない分、ストレートに著者の思いが伝わってくる。
 こんなくだりがある。<お客様にいい夢だけを売っていく。これが僕の考え方だったし、それを実践してきたつもりだ。しょせん職業野球ですよ>。サラッと書いているが、これこそがエンターテインメントの真髄だろう。 「野球は人生そのものだ」( 日本経済新聞出版社・1600円)

 2冊目は「エンブリオロジスト」( 須藤みか著・小学館・1500円)。エンブリオロジストなる職業をご存じか。受精卵を育む役割を担い、不妊治療が進む現代に不可欠な存在となっている。その知られざる実態から日本の医療の問題点がみえる。

 3冊目は「トレーナーはマル暴刑事」( 山下正人著・ベースボール・マガジン社・860円)。今や日本が誇るボクシングの世界王者・長谷川穂積を育てた著者は元刑事という異色の経歴。常識にとらわれない指導法や連続KO劇の秘密を明かす。

<1〜3冊目は2010年2月3日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>


性の文化の歴史にスポット

 4冊目は「性的なことば」( 井上章一ほか編・講談社現代新書・950円) 。 むかしむかし、といっても本書によれば1960年代のことだったらしいのだが、「アイレン」という、たぶん少々気取った言い方があった。漢字で書けますか? 正解は「愛人」である。では柴田翔は名作『贈る言葉』で「アイレン」をどう説明しているだろうか。本書の項目「愛人」でぜひ。
 さらに言えば、50年代には、この言葉は婚姻外の恋人を指すのではなく、「肉体関係のない、ただあこがれているだけの異性にも、もちいられた」。項目の執筆者・井上章一は、井上靖の小説を引用して、このことを証明している。並々ならぬ探究心である。
 このような営為を、編者たちは「性の文化史」と名づけている。言葉が担ってきた性の文化の歴史を明らかにしようというプロジェクトだ。本書はさしずめ、その最新報告書である。
 不倫、女王様、生足、ちちくる、薔薇、百合、しとど、花電車、人工女性……。数えてみると53項目ある。どれも読んでいて楽しい。しかし、真に評価すべきは、いわば「性の日本国語辞典」を編もうとでもいうような、ある種、気宇壮大な学際的態度にあるのではないか。いやはや読み応え十分。

 5冊目は「徹底マネジメント」( 植田辰哉著・総合法令出版・1600円)。 バレーボールの男子日本代表を16年ぶりに五輪に導いた著者は理論家であると同時に行動派のリーダーでもある。“負け組”はいかにして生まれ変わったのか。

 6冊目は「ヘッテルとフエーテル」( マネー・ヘッタ・チャン著・経済界・1000円)。 「むかしあって、これからもおこるおはなし」との書き出しで8つの物語を収録。寓話の形式ながら円天詐欺に年金問題、貧困ビジネスなど現代社会への風刺が効いている。

<4〜6冊目は2010年2月24日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから