8月31日に代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニは就任会見の席で「攻守におけるバランスの取れた哲学を持ったチームをつくりたい」と持論を展開した。その一方で「長い名前なのでイタリアでは“ザック”と呼ばれていた」「早く日本に慣れるように努力する。次の会見には日本語で臨むよ」など、ユーモア溢れる受け答えで場を和ませることも忘れなかった。

 このザッケローニという男、カルチョの国からやってきた名将と言われても、多くの日本人はこれまで名前も知らなかっただろう。
 1953年生まれの57歳でプロ野球監督の梨田昌孝や真弓明信と同じ年齢である。ちなみに岡田武史前監督よりも3歳上になる。
 サッカー選手としての実績はほとんどない。30歳でプロクラブを率いたのが指導者としてのキャリアのスタートだ。
 彼が注目を浴びるようになったのは95−98シーズン、当時セリエAで下位争いをしていたウディネーゼを変貌させてからだ。守備的といわれるイタリアサッカーにおいて、3−4−3という攻撃的な布陣で果敢に上位クラブに挑み、97−98シーズンにはクラブを3位に躍進させた。
 その功績が認められ、翌シーズンからイタリアのみならず世界を代表するビッグクラブACミランの監督に就任する。ザッケローニはここでも攻撃的な姿勢を崩さず、オリバー・ビアホフ(ドイツ)やズボニミール・ボバン(クロアチア)らを擁しセリエAを制した。
 その後もラツィオ、インテル・ミラノなどイタリアの強豪を率い、昨シーズンは下位に低迷したユベントスをシーズン途中から指揮した。

 イタリアではザッケローニに対し“終わった指揮官”との評判も少なからずあるようだ。
 ザッケローニのキャリアで最も輝いていたのは97−99シーズンであり、今から10年以上前のこと。さらにACミランを解任された01年以降、監督に就任したのは全てシーズン途中での代打起用だったことがその理由だ。
 それでも、ザッケローニのサッカーに対する真摯な姿勢は評価に値する。ACミランではワンマンオーナーのシルヴィオ・ベルルスコーニ(現イタリア首相)とサッカー観の違いで対立し、自らの信念を曲げず解任された過去を持つ。温厚な人柄も広く知られており、日本をリスペクトしようとする姿勢にも好感が持てる。

 ザッケローニのサッカーをもう少し掘り下げてみよう。彼のサッカーについて『3−4−3』『攻撃的』という言葉がよくついて回る。
 ただ、フォーメーションについては「試合によって柔軟に変えていくものであり、一つにこだわることはあり得ない」と就任会見で述べている。
 実際、昨シーズンのユベントスは4バックを採用しており、日本のスタイルに合わせた形を模索することになるはずだ。
 攻撃的という言葉についても、固い守備を基本とするイタリア国内で攻撃に比重を置いたという意味であり、スペインのポゼッションサッカーのような攻撃性とは意味合いが異なる。少ない手数でシンプルに攻撃しようとする姿勢が強く、いわゆる「堅守速攻型」に近い。
 監督選出に尽力してきた原博実強化担当技術委員長はスペインサッカーの信奉者として知られている。彼が交渉した人物として明らかにしたのは前レアル・マドリッド監督のマヌエル・ペジェグリーニ、元アスレティック・ビルバオ監督のエルネスト・バルベルデと、ともにスペインサッカー界に身を置く人物だった。
 南アW杯で「堅守速攻型」で結果を出した日本にとって、優先順位の高かったスペイン人よりも、戦い方の合うイタリア人指揮官を選んだことは結果的によかったのではないか。

 ザックジャパンのお披露目は10月8日のアルゼンチン戦(ホーム)、12日の韓国戦(アウェー)となる。おそらく原代行監督が指揮した9月の2戦同様、4−2−3−1の布陣になるだろう。中盤の3の両サイドが高い位置をキープすれば、新監督の好む3トップに近い形となる。
 日本には中盤の3に入る人材はたくさんいる。W杯で活躍した松井大輔(トム・トムスク)や本田圭佑(CSKAモスクワ)、さらには成長著しい香川真司(ドルトムント)。ここは才能の宝庫だ。
 しかし、1トップ(もしくは3トップの中央)に位置するストライカーはいまだに育っていない。W杯では急造1トップ、もしくは0トップという形で本田が入り、決勝トーナメント進出を果たした。結果を出したと言っても、急場を凌いだにすぎない。 
 表紙が変わっても中身が変わらない――。これでは困るのだ。
 大物監督招聘に成功した日本にとって、次に取り組むべきは、長年悩まされ続けている“決定力不足”の解消だ。
 永遠のテーマにザックはどう対応するのか。まずは名将のお手並み拝見といきたい。

<この原稿は2010年10月5日付『経済界』に掲載されたものです>

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