紀州は後期シーズンで初の優勝を飾ることができました。前期優勝の神戸や明石を上回った最大の要因は投手力でしょう。藤井了最上奨吾新田秀信と先発3本柱が揃ったことが大きかったですね。チャンピオンシップは神戸に2連敗して年間王者は逃しましたが、投手は良く頑張ったと思います。
 中でも最上は後期は8連勝をあげ、大活躍をみせました。前回ご紹介した通り、彼はまだ高卒1年目の右腕です。実は当初、彼には自信をつけてもらうため、あえて戦力の落ちる韓国戦を狙って先発させていました。そこで勝っていくうちに、打者を抑えるコツを自分なりにつかんだのでしょう。スライダーやフォークは、まだ完璧な決め球とはなっていないものの、コンビネーションで相手を打ちとれるようになりました。そして神戸や明石相手でも白星をあげられるようになったのです。

 ただ、彼には今のまま、小さくまとまってほしくない気持ちがあります。鍛えればストレートの球速も増すはずですし、変化球でも直球同様、腕をしっかり振って投げれば、もっといいボールがいくはずです。コントロールでかわすのではなく、力でねじ伏せて三振を奪う。そんなピッチャーに最上はなれるとみています。今季はチーム事情もあって先発を任せる形になりましたが、短いイニングで力を発揮する中継ぎや抑えを経験するとまたひとまわり大きくなるのではないでしょうか。 

 また8勝(4敗)をあげた新田は5月に1度、登録を抹消していた選手です。ストレートが遅く、変化球もうまく使えない。結果も出ないため、戦力外を通告しました。ところが本人の強い希望で練習生としてチームには残した経緯があります。この戦力外は彼を大きく変えました。まず、“クビ”を言い渡されたことで心を入れ替えたのか、練習にそれまで以上に熱心に取り組むようになりました。

 また自らに力がないと知ったことで、ようやく彼の目指すべき投球スタイルが分かったのでしょう。遅いストレートで無理やり押すのではなく、緩いカーブを駆使し、コーナーを幅広く利用する。そんな投球術を模索するようになりました。内容も良くなってきたため、6月には再び選手登録をすると、そこから8勝をマークし、後期は完全に先発の一員です。戦力外から、ここまでの存在になるとは想像していませんでした。

 関西独立リーグは今季も経営難に揺れました。シーズン途中より選手給与が支払えない事態に陥り、辞めていく選手も現れました。それでも多くの選手がチームに残り、最後までプレーをしたのは、「野球をやりたい」「夢をかなえたい」という強い気持ちがあったからだと思っています。その気持ちに応えるのが我々の仕事です。

 今回、リーグでは新たに球団数を増やし、可能なら来季を6球団でスタートさせたいと考えています。現状では、残念ながら神戸9クルーズが活動休止となったものの、三田を中心とする兵庫ブルーサンダーズ、大阪に本拠を置く大阪ホークスドリームの2球団が加わることになりました。現在、残り1つの参加球団を募集中です。

「赤字を抱えて続けるよりもやめてしまった方がいいのでは?」
 リーグに対しては、そんな声も聞こえてきます。確かにビジネス面では当初の計画通りにはうまくいかなかったことは事実です。しかし、野球を通じた青少年の健全育成や地域の活性化といったリーグの理念までもが誤りだったとは思いません。継続しなければ、何事もうまくはいかないものです。どんなに大変でも選手たちが野球を続けられる環境、上のレベルを狙える環境を来季以降も、このリーグは提供していきたいと考えています。

 11月末には来季に向け、トライアウトを行う予定です。また、春にはファンの皆さんへいい野球をお見せできることでしょう。今年1年間、本当に応援ありがとうございました。2011年も温かい声援、ご支援をよろしくお願いします。


石井毅(いけし・たけし)プロフィール>:紀州レンジャーズ監督
1961年7月10日、和歌山県出身。現在の本名は木村竹志。箕島高時代にはエースとして春夏連覇を達成。住友金属時代にも都市対抗野球で優勝し、橋戸賞(MVP)を獲得した。83年にドラフト3位で西武へ入団。故障もあってプロ生活は6年で終わったが、故郷に戻り、少年野球の指導に携わる。08年に独立リーグ参加を目指して紀州レンジャーズが立ち上がると、球団代表兼監督に就任。09年に創設された関西独立リーグの運営会社が撤退した際には、新会社の代表取締役を務めた。今シーズンより紀州の監督に復帰。現役時代の通算成績は85試合、8勝4敗4セーブ、防御率3.63。

※当コーナーは今回をもちまして終了となります。ご愛読ありがとうございました。
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