「地球の裏側にもうひとつ別の野球があった」。そんな名言(迷言)を残して日本を去ったのが「赤鬼」と呼ばれた元ヤクルトのボブ・ホーナーである。
 それにならっていえば、私が少年の頃、日本にはセ・リーグとは別のもうひとつの野球があった。
 今から36年前の話。プロ野球中継は巨人戦がほとんどで、パ・リーグの試合が放送されることは稀だった。地方に住んでいると球場に足を運ぶことも容易ではなく、オールスターと日本シリーズくらいしかパ・リーグの試合に触れる機会はなかった。

 1974年の日本シリーズは中日とロッテの間で行なわれた。巨人のV10が潰えた直後の日本シリーズとあって盛り上がりが心配された。ONの不在は、映画にたとえるなら、銀幕に石原裕次郎も三船敏郎も登場しないようなものである。主役なき映画を誰が見るのか。そんな声も聞こえてきた。
 だから、余計に度肝を抜かれたのだ。目からウロコがはがれ落ちたのだ。カルチャーショックというよりもカルチャーギャップ。これまで見てきた野球とは別の野球が、そこにはあった。

 シリーズの主役はロッテ投手陣だった。木樽正明のシュートは猛禽のように右打者の内角をえぐった。成田文男のスライダーは川面での水切りのようにビュッと滑った。金田留広のカーブはUFOのようにフワリと浮かび、そして消えた。村田兆冶のフォークボールはうなりを発して垂直に地面を突き刺した。三井雅晴の投げおろしのストレートは打者に満足なスイングすら許さなかった。
 こんな痛快な野球が滅多に見られない不幸を、中学生の私はしみじみと感じた。それもあって、全試合をダイジェストで放送する「プロ野球ニュース」の登場は衝撃的だった。

 36年ぶりの中日−ロッテ戦。初戦、2戦目、5戦目と地上波では放送されない。「視聴率が取れない」「スポンサーが付かない」とテレビ関係者はこぼすが、これまでテレビ局はプロ野球のおかげで随分、いい思いをしてきたはずだ。私に言わせれば晴れの日にカサを貸し、雨の日にそのカサを取り上げるようなものだ。「国民感情」よりも「ソロバン勘定」ということなのだろうが、日本シリーズをもう国民的イベントとみなしていないのだとすれば、少々割り切れない思いが残る。

<この原稿は10年10月27付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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