昨年10月、大きな期待を寄せられた日本代表が世界と戦うためにナイジェリアへと渡った。彼の地で開催させたのはU−17ワールドカップ。池内豊監督が率いるチームには才能溢れる選手が揃い、彼らは小野伸二、高原直泰、稲本潤一ら1979年生まれの「黄金世代」になぞらえて「プラチナ世代」と呼ばれている。この才能ひしめくチームの中に、高木善朗も名を連ねていた。グループリーグで戦う相手はブラジル、スイス、メキシコ。各年代の国際大会で場数を踏んできた若き日本代表は「自分たちは勝てるんだ」という強い気持ちでアフリカへと乗り込んでいった。
 しかし、大会の結果からいえば、日本は大きく期待を裏切った。グループリーグで3戦全敗、世界の壁は想像以上に厚かった。
 ただ、チームがナイジェリアから持ち帰った成果は、数字以上のものだったと言える。初戦のブラジル戦ではセレソンの時代を担うスター、ネイマール(サントス)やコウチーニョ(インテル・ミラノ)を擁するチームと戦い、試合終了間際のロスタイムに勝ち越しゴールを許すまで、サッカー王国と互角の勝負を繰り広げた。
 高木は中盤の左サイドとしてグループリーグ全試合に出場し、ブラジル戦では反撃ののろしとなる1点目のゴールをあげている。同年代の世界トップレベルと戦い、個人としては結果を残した。
「内容全てが劣っていたわけではないと思うんです。世界を相手にしてもやれるという手応えはあった。ただ、通用する部分があっても、結果が出ないという現実がありました。彼らとは少しの差が、3連敗という結果に出たのかなと感じています」

 勝敗を決めた“少しの差”はどこにあるのか。高木はピッチ上である違いを感じていた。
「ブラジルなどのトップ選手は、おそらく頭でイメージしているプレーは僕らと変わらない。でも、彼らはそれを簡単に実行してしまうんです。相手の動きの2つ先くらいを読んで、自分がすべきプレーを的確に判断している。しかも、その決断がすごく速い。僕らはイメージできていても、そこでミスが出てしまう。この差は日々の練習の厳しさや置かれた環境で身についていくんでしょう」
 ナイジェリアで学んだことは厳しさと勝利への執念。それが自分たちには足りなかった。そう答えた高木。「僕らも日頃から一つひとつのプレーの重みを感じなければいけない。そうすることで、少しでも彼らを倒すチャンスが拡がると思います」。

 サッカー文化を肌で感じた10日間

 高木が世界を意識するのは代表のユニフォームを着た時に限った話ではない。今年1月、ドイツ・ブンデスリーガの名門ボルシア・ドルトムントでトレーニングする機会に恵まれた。19歳以下のチームに合流し、10日ほど練習に参加した。
 練習の指示はもちろんドイツ語のみ。ドイツ語のわからない高木は、英語を話せる選手を経由して、身振りを交えながらコミュニケーションを図った。それでも、最初の3日間はパスも来なかった。周りの選手の名前もわからず困惑した。
 しかし、結果を残せばサッカーが仲間との距離を縮めてくれる。参加4日目に組まれた練習試合、相手は5部リーグに所属するクラブだった。両者得点を奪い合い3対3の場面で途中出場した高木は決勝点となる4点目のゴールを決めた。得点直後からそれまでなかなか話すことができなかったチームメイトが声をかけてくれるようになった。言葉は完全にわからなくても、英語と身振りで十分にやり取りができるようになっていく。すると自然とパスがでてくる。自分のプレーを表現することもでき、やっと自分が出せるようになっていった。
 互いのプレーが理解できたところで練習期間の10日が終了し、日本へ帰ることとなった。「もう少し早く、自分を出すことができればよかったかな……」。ドイツでの日々を高木はこう振り返った。

 ドルトムントの練習へ参加した期間、残念ながら生でブンデスリーガを観戦することはできなかった。週末に行われた試合は1.FCケルンとのアウェーマッチだったためだ。高木はその試合を練習場に併設されたクラブカフェで観戦した。
「ライブで観ることができなかったのは残念だけど、地元のファンと一緒に観戦したんです。その中には白髪のおじいさんがいた。試合を見ながら「あのプレーはダメだ」とか他のお客さんと話しているんです。それがすごく的確で、本当にサッカーを知っているだなと感じました。そして、ゴールが決まった瞬間は、そのおじいさんも若者に混じって声を上げて大喜びしていた(笑)。日本と歴史の差もあるんでしょうが、ドイツにサッカー文化が根づいている証拠ですよね」
 ドルトムントといえば、現在、香川真司がセンセーショナルな活躍を見せている。昨年までJ2で戦い、自分と4つしか違わない香川の活躍は高木の目にどう映るのか。
「自分が行ったことのあるクラブだけに、そこで活躍することがどれだけすごいことか分かるので、すごいですね。うらやましいです」

 同学年揃ってフル代表に

 世界を見据える高木には国内のライバルも豊富にいる。前述のU−17ワールドカップに出場した日本代表には宇佐美貴史(G大阪)、柴崎岳(青森山田、鹿島への入団が内定)、宮市亮(中京大中京、英プレミアリーグ・アーセナルと仮契約)など、将来の代表を背負うであろうタレントが揃っている。「彼らの存在が刺激になる」と高木は言う。
「同学年でも自分より先にプロになっている選手が何人もいましたから、早く自分もそうなりたいと思っていました。宇佐美はJ1でも得点を取っているし、自分も負けていられない。うまい選手がたくさんいるから、同年代の代表でもスタメンが確実ではないし、メンバーに入れるかもわからない。だから、もっとがんばらなきゃという向上心が生まれるんです。去年の大会では“みんなでA代表になれたらいいね”と話していたので、互いにライバルがいるのはいいことだと思います」

 ライバルがいるのは代表に限ったことではない。自身も育ったヴェルディの下部組織からは多くの選手が輩出される。高木にとって小林祐希、南秀仁といったユース時代からのチームメイトも好敵手だ。さらに、俊幸、大輔といった兄弟もいる。「本当に周りに恵まれています。競う相手がたくさんいますから、それがユースの頃からモチベーションになっています」。
 多くの競争相手がいる高木にとって理想の選手とは、どのような選手なのか?
「シュートを打つ瞬間に『コイツなら何かやってくれるんじゃないか』という選手になりたい。そのためには、もっと得点力というものを身につけたいですね」
 常にゴールを狙い続ける17歳は、自らの得点力で世界を震撼させる時を虎視眈々と狙っている。

(おわり)

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(写真:(c)TOKYO VERDY)

高木善朗(たかぎ・よしあき)プロフィール>
1992年12月9日、神奈川県生まれ。幼稚園の頃からサッカーボールに触れ、あざみ野FC、東京ヴェルディジュニアユースを経て、東京ヴェルディユースでプレー。2010シーズンスタートからトップチームに帯同し、開幕戦のロアッソ熊本戦でJリーグデビューを果たした。その後もコンスタントに出場を続け、第25節横浜FC戦でJリーグ初ゴールを記録。今年9月にはヴェルディとプロ契約を結んでいる。また各年代の日本代表にも選出され、昨年10月、ナイジェリアで行われたU−17ワールドカップでは予選グループ3試合に先発出場。チームは3連敗を喫したものの、ブラジル、スイスなどを相手に、世界でも通用するプレーを随所で見せた。高い戦術眼を持ち中盤から前線まで、どのポジションでもプレーできるユーティリティ性を兼ね備える。ヴェルディでのポジションは主にサイドハーフ。身長169センチ、体重64キロ。Jリーグ通算29試合出場4得点(2010年11月9日現在)。

(大山暁生)
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