現在、日本のやり投界の第一人者といえば、海老原とともにアジア大会を制した男子の村上幸史である。2009年の世界陸上ベルリン大会で、同種目では日本人初のメダル(銅)を獲得したのは記憶に新しい。アジア大会では83m15の自己ベストを投げ、今年の世界陸上大邱大会、来年のロンドン五輪でのビッグスローに期待が高まっている。
 第一人者・村上との共通点

 海老原にとって村上はスズキ浜松アスリートクラブの先輩にあたる。世界と戦うスロワーから学んだものは何か。
「(去年の)10月に合宿をした時に村上さんに“投げの部分”や“クロス(ステップ)”について質問したんです。すると村上さんは“いや、ラストクロスで構えに入ったところで、もう投げは決まっている。投げ出すところでは結果は変えられない”と。私はそれまでやりを離すところが、“投げの部分”と考えてきました。一般的にもそういう感覚があるはずです。
 でも村上さんは、その前の構えの部分を重視している。“あぁ、私の感覚はワンテンポ遅いですね”と感じました。これは衝撃的でしたね」

 村上と海老原には共通項がいくつかある。まずバックグラウンドに野球経験があることだ。村上は中学時代、速球派投手として鳴らし、地元・愛媛の強豪校から声がかかるほどだった。海老原も小学校時代、軟式野球をしていた。しかも男子を押しのけ、内野のレギュラー。キャプテンまで務めた。
「もちろんボールとやりの投げ方は全く違いますが、肩の使い方を知っていたのは大きかったと思います。だいたいの女子は、いわゆる“女の子投げ”でバックスイングして投げる動きができない。その点ではやり投を始める時にスムーズに入れました」
 やり投を始めたのは高校から。しかしみるみる力をつけ、高校2年でインターハイ準優勝をおさめた。

 もうひとつは瞬発力や跳躍力を高めるトレーニングを重視している点だ。海老原の1週間の練習スケジュールをみると、実際にやりを投げるのは週2、3日。残りはダッシュや走幅跳、ウエイトトレーニングといった内容が多い。海老原の身長は164センチで、普段着ではとてもやり投げの選手と思えないほど小柄だ。外国人との埋められない体格差を、それ以外のスピードやテクニックで埋めようとしている。
「高校時代に初めて見た時からトレーニングでもきれいに動けるところが印象に残りました。こちらが経験したことを伝えても飲み込みが早い。だから、まだまだいい方向に行くと思いますよ」
 村上は後輩の更なる進化を楽しみにしているひとりだ。

 小さな体だけに体にかかる負担は決して小さくない。国士舘大に進学してからは度重なるケガに悩まされた。大学4年時の07年には右ヒザの半月板を練習中に痛めた。治しながら大会には出たが、記録は伸びず、夏に大阪で行われた世界陸上の出場権を逃した。初の60m越えを経験した09年も、その後、肉離れを起こし、せっかくのビッグスローを飛躍のきっかけにできなかった。「距離が伸びる分だけ、それを支える筋力が必要になる」。服の上からでは分からないが、ユニホーム姿で露になる太い腕がフィジカル面での強化を物語る。

 理想の軌道は台形

 理想とするやりの軌道は放物線ではなく、台形だと海老原は言う。
「早く水平状態に入れると風の抵抗は小さくなる。そのまま遠くへ飛んで、ゆっくり落ちていく形です」
 やりのお尻の部分をいかに早く上げるか。目下、取り組んでいるのは、この部分だ。岡田コーチは、そのためのポイントをこう明かす。
「前に突っ込んで流れるのが一番良くない。種目はやり投なんですけど“投げよう”と思ってはいけないんです。やりを“はじきだす”“送り出す”という感覚が大切です」

 女子やり投げの世界記録は2008年にバルボラ・シュポタコバ(チェコ)がマークした72m28。北京五輪も71m42の記録で金メダルを獲得した。09年の世界陸上ではシュテフィ・ネリウス(ドイツ)が67m30で優勝している。61m56を投げてアジアの頂点に立った海老原だが、世界と対等に戦うにはまだ越えなくてはならない壁がある。
「世界の戦いでは勝負どころを明確にすることが大切です。まずは前半の3本目までに結果を残す。(残り本数が少なくなって)追い込まれてから勝負をかけるのは難しい。そのために勝負どころで結果を残せる技術をしっかりつかむことがポイントになるのではないでしょうか」
 世界のトップレベルでしのぎを削る村上は、こう国際大会での戦い方をアドバイスする。

「アジア大会後の練習を見ていても、相変わらずコツコツやっている。ひとつの目標を達成すると燃え尽きてしまう選手も少なくない中、彼女はまだ上を見ていますよ」
 岡田雅次コーチは世界に肩を並べる条件として、60m以上の投てきをコンスタントに続けることをあげる。それができれば、世界陸上や五輪での決勝進出も夢ではないと。欧州勢が圧倒的に強い投てき種目において、日本人が上位に食い込めば、それだけで快挙だ。当面は8月の大邱での世界陸上で12人のファイナリストに残ることが最大の目標になる。

 大事にしている言葉は“弱気は最大の敵”。炎のストッパーと呼ばれた広島の津田恒実が座右の銘としていたフレーズだ。津田が病魔に冒され。32歳の若さでこの世を去ったのは、海老原が7歳の時だった。そのピッチングをリアルタイムで見ていたわけではないが、強打者や病気から逃げることなく戦った生き様に共感している。

「やり投って、あれだけの長さ、形のものがすごい高さを飛んで、距離が出るところに魅力があるんだと思います」
 長さ2.2〜2.3m、重さ600g。1本のやりを投げるシンプルな種目ながら、風を読み、角度を決め、体全体の力をリリースポイントに集約するには、単なるフィジカルやテクニックのみならず、蓄積された経験やメンタル面の充実も求められる。その意味では最も古典的であり、かつ最も前衛的な種目と言えるかもしれない。炎のストッパーならぬ“炎のスロワー”目指し、海老原有希は今日も空に台形を描こうとしている。 

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海老原有希(えびはら・ゆき)プロフィール>
1985年10月28日、栃木県出身。スズキ浜松アスリートクラブ所属。小学校では陸上、中学校でバスケットボールに取り組み、真岡女子高入学後にやり投の道へ。2年時にインターハイ準優勝を果たすと、3年次には当時の高校歴代4位となる50m98を記録する。国士舘大に進学後は04年の世界ジュニア選手権で5位、06年のドーハアジア大会で銅メダルと国際舞台でも活躍。08年にスズキに入社し、09年には日本人2人目となる60mオーバーを記録。10年の広州アジア大会では日本記録を更新する61m56の投擲をみせ、金メダルを獲得した。

(競技写真提供:スズキ浜松アスリートクラブ)

(石田洋之)
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