ゴールキーパー(GK)は哲学者である。
 自らの後ろには誰もいない。ただ、あるのは横7.32m、縦2.44mのゴールのみ。しかし、そこにはクラブの勝敗はもちろん、自身やチームメイト、サポーター、クラブスタッフ……、すべての人の未来がかかっている。
「いくら活躍しても勝つとは限らない。でもミスしたら確実に負ける。損なポジションですよ」
 あるGKがそうポツリとつぶやいたことを思い出す。人知れぬ重圧、責任感……それらがGKを“考える人”にさせるのだろう。日本代表GKであり、FC東京の正GKでもある権田修一の言葉にも、まだ22歳とは思えない落ち着きと深みがある。
 相手から時間を奪え!

 権田はこの1月、日本代表の一員としてアジアカップ制覇を経験した。今季はU-22代表としてロンドン五輪を目指しつつ、クラブのJ1復帰に貢献する。187センチの大きな背中には、これまで以上に大きな責任がのしかかっている。そんな彼をアクシデントが襲ったのは、Jリーグ開幕を約2週間後に控えた2月23日のことだ。練習中、シュートをキャッチしようと手を前に出したところへ、ボールが運悪く左手の小指に直撃。あらぬ方向に曲がってしまった。

「脱臼して裂けちゃったんです。第二関節からポコッと白い骨が見えていました」
 すぐに病院で手術を行い、全治3週間と診断された。クラブスタッフによれば、「普通の人間だったら、2カ月はかかる」重傷だった。しかし、権田は1週間も経たないうちに練習場に戻ってきた。
「痛いからできないって言っていたら、たぶんうちのチームでもプレーできない人がたくさんいます。自分の中でできるかどうかのラインはちゃんと引いていて、今はできると思う状態だからプレーしているんです」

 それに今回のケガは、権田にとってこれまでのそれとは違う意味を持っていた。
「これまでのケガは自分のフィジカルの弱さとか、そういうものが影響していたと思うんです。でも、今回は単純に自分がチャレンジした結果だから仕方がないと割り切れました」
 結果として開幕戦のピッチには間に合わなかった。そのことはクラブやサポーターに対して申し訳なく思っている。だが、ケガ自体に後悔はない。

 では、権田は何に“チャレンジ”していたのか。それは2年前のオフ、イタリアに自費で修行に出た時にさかのぼる。イタリア代表GKジャンルイジ・ブフォンも指導したエルメス・フルゴーニに教えを請うた。
「ボールを単に前で捕るだけじゃなくて、アタックしろ!」
 もともと前に積極的に出て、ピンチを未然に防ぐスタイルを身上としていた権田だが、それ以来、自ら仕掛ける動きをより意識するようになった。

 そして昨年、アルベルト・ザッケローニ監督の下、日本代表のGKコーチに就任したマウリツィオ・グイードからは「相手から時間を奪え!」とアドバイスを受けた。
「つまり相手が触れる前に手前でボールを捕ってしまえば、相手の攻撃時間を奪うことになる。その分、自分のプレーにも余裕が生まれるというわけです」
 負傷したプレーでも手を思い切って前に出さなければ、ボールが小指に当たることはなかったかもしれない。だが、それではこれまでと何も変わらない。

「当然、ケガをしないのが一番いいです。でも、ケガをしないようにやっていて、防げる1点を防げないのだとしたら、それは許されないことだと思います」
 チームに貢献し、よりGKとして高い次元に到達するため、権田は“チャレンジ”を続ける。No pain, No gain.(痛みなくして、利得なし) そんな哲学を彼は体現している。
 
 失点はすべて自分のせい

 GKを始めたのは幼稚園の時だ。「人より体が大きくて、じゃんけんが強かったんです」。GKの希望者は他にもいたが、じゃんけんで勝って、ゴールマウスを守ることになった。日本代表への道は、どこにでもありそうなきっかけから始まったのだ。
「フォワードもやって点を獲りたいな」
 最初からポジションへのこだわりがあったわけではない。誰もが抱く「ゴールを決めたい」という欲求を持った普通のサッカー少年だった。

 小学4年生の時、転機が訪れる。当時、権田は川崎市にある「さぎぬまサッカークラブ」に所属しており、横浜F・マリノスが実施している「マリノスカップ(当時)」にチームで参加した。マリノスはもちろん、ヴェルディ川崎(当時)、柏レイソル……多くのJリーグのジュニアユースチームがひしめき合う中、権田は試合中にPKを止めたことで、思いもかけずベストゴールキーパー賞に選ばれる。とまどいながら表彰を受けた権田の耳に、他チームのGKの声が聞こえた。

「マジで悔しい。僕もなりたかった」
 その言葉を聞いて、権田は急に使命感に襲われた。
「そういう子がいるのに自分が選ばれた。これは責任をもって頑張らなきゃいけないと思ったんです。スイッチが入ったというか、キーパー一本でやろうと決意した瞬間ですね」

 両親はバスケットボールの選手。種目は違えど、アスリートとしての心構えを小さい頃から植え付けられた。小学6年生の時にはこんなことがあった。全国大会にもつながる大事な試合で敗戦した権田は、悔しさのあまり、味方のDFに当たり散らした。それを見た母親は帰りの車中で「人を責める前に、キーパーなんだから自分でまず止めてみなさいよ。それは自分が止めるのを諦めているのと一緒だよ」と厳しく叱った。

 それ以来、権田は流れの中でのプレーはもちろん、PKであっても「失点したら、すべては自分のせい」と考えるようになった。
「PKにしてもキーパーには止めるチャンスが与えられている。だからもし、誰かがファウルをしてしまってPKになってそれを決められても、その選手のせいにしたくない。PKだからしょうがないというのは大嫌いなんです」
 客観的に見れば、GKには何の非もないゴールはいくらでもある。相手選手を讃えるしかないゴールもたくさんある。だが、それらを認めてしまってはゴールマウスの前には立てない。それが権田の哲学だ。

 不器用なタイプ

 全責任を背負う――責任の所在が曖昧なケースが目立つ昨今の社会において、その言葉は一層、輝きを放つ。当然、責任を負うためには、責任を果たせる自分でいる必要があるのは言うまでもない。
「キーパーは一発勝負じゃないですか。だから、すべてをそのひとつのプレーにかけるところが結構ある。いろいろと不摂生なんかをしていると、ボールに届きそうで届かなかった時に絶対、後悔する。そういう後悔したくなるシーンがバーッと出てくるのだけはイヤですから」

 権田の朝は練習時間から逆算して始まる。練習の3時間前に朝食を摂り、その30分前には散歩をして体を目覚めさせる。朝食はパンではなくごはん。昨年12月に結婚した愛妻の手づくりだ。
「それが結婚の第一条件だったんです。“掃除とか洗濯とかはオレがやってもいいけど、ごはんは栄養のこととか考えてつくってくれないとムリ”とプレッシャーをかけました(笑)。そしたら、一緒に暮らし始める前から一生懸命、練習してくれたんです」

 練習が始まっても一切、手を抜くことはなく、納得がいくまでやめない。「アイツは本当にストイックですよ」。チームの誰に聞いても、そんな言葉が返ってくる。
「ピッチに立つからには責任もあるし、そこに立つということはそれに見合ったプレーをしないといけない。チームが勝つためにベストを尽くさないといけない。僕自身には何かを我慢しているという感覚はないですね。だって当たり前でしょう? 責任があるんですから」
 その姿勢はどこに行っても変わらない。日本代表の練習でも最後まで居残り、切り上げようとしたザッケローニ監督を呆れさせたほどだ。

 そんな自身を権田は「不器用なタイプ」と分析する。
「器用な人は与えられた課題に対してスムーズに短時間で解決できる。でも、僕は実際にやってみないとダメなんです。だから長い時間、練習することになるんだと思います」
 器用なタイプであれば、何の迷いもなく、新しいものをどんどん取り入れ、前へ進む。一方、不器用なタイプは迷いながらも、自分の適性を見極め、必要なものだけを身につけながら一歩一歩進む。まさにウサギと亀の世界だ。

 ウサギと亀、どちらが最後に笑うのか。スポーツの世界では何とも言えない。才能が努力を凌駕する場合もあれば、努力が才能を追い越す場合もある。ただ、権田は自分が後者であることを知っている。
「僕は身体能力もそんなにないし、背だってGKとしてはそれほど大きくもない。不器用なだけに、いろいろやらないと日本代表とか、海外の選手と勝負するレベルには追いつけない。今のままではダメ。それはずっと思っています」
 そういえば哲学者フリードリヒ・ニーチェは「まずは自分を知ることから始めるのだ」と説いた。ゴールの前に仁王立ちする哲学者は、己を知り、すべての責任を背負ってチャレンジした先に、どんな世界へたどりつくのか。スタジアムでのプレーに、その答えがある。

(後編につづく)

権田修一(ごんだ・しゅういち)プロフィール>
1989年3月3日、東京都生まれ。さぎぬまサッカークラブを経て、いくつかのJクラブから声がかかるなか、FC東京U-15へ。03年、日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝。各年代の日本代表にも選出される。FC東京U-18時代の06年より第二種登録選手としてトップチームに帯同。07年から正式に昇格する。09年にレギュラーを獲得し、リーグ戦では16試合で無失点に封じるJ1タイ記録を樹立。クラブのヤマザキナビスコカップ制覇にも貢献した。同年には日本代表にも初招集される。11年には代表の一員としてアジアカップ優勝を経験。U-22代表ではロンドン五輪出場、FC東京では副主将としてJ1復帰を目指す。積極的な飛び出しと、長身を活かしたクロスボールの処理が持ち味。身長187cm、体重83kg。

(石田洋之)
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