「ちょっと踏ん張った時に左足に大きな音がしたんです」
2010年11月6日に行われたJリーグ第29節、横浜F・マリノス対湘南ベルマーレ戦。
後半34分、ゴール前の競り合いで横浜のDF栗原勇蔵は上体を反らし、ゴール前で楯になろうとした。
と、その時である。左足の太ももが鈍い音を発した。
診断の結果は「肉離れ」。終盤になって戦線離脱を余儀なくされた。
「これで7回目。今年になって3回目。クセになっているので、これからいろいろ考えなければなりませんね」
神妙な面持ちで27歳はそう語った。
決勝トーナメント進出を果たした南アフリカW杯後、サッカー日本代表は「ザックジャパン」に生まれ変わった。
指揮を執るのはイタリア人のアルベルト・ザッケローニ。ACミラン、インテル・ミラノ、ユベントスのイタリア3大クラブで指揮を執ったことのある名将である。
ザックジャパンは上々の滑り出しを見せた。
初戦はホームでのアルゼンチン戦。リオネル・メッシ(バルセロナ)やゴンサロ・イグアイン(レアル・マドリッド)らを擁するスーパースター軍団を1対0で破った。これは日本が代表戦でアルゼンチン相手にあげた初めての勝ち星。
続く韓国戦はアウェー。ソウルでの試合ということもあり苦戦が予想されたがスコアレスの引き分けに持ち込んだ。
2試合を通じで失点はゼロ。栗原はともにフル出場を果たし、ザックジャパンの好発進に一役買った。
まずはアルゼンチン戦の感想。
「やる側からすれば“勝って当然”と思われるゲームより、“どうせ、やられるんだろう”と思われるゲームの方がやりやすいんです。
だから試合前、(DFの)今ちゃん(今野泰幸)に“今日、無失点に抑えたら、オレたちは英雄だぞ”と話していました。
別に英雄にはなれなかったけど、結果はゼロに抑えたわけですから“スゲェな”と。
不思議だったのはメッシなどいつも“スカパー!”で観ているヤツが近くにいたこと。“こんな状況でも、絶対ここに出てくるんだろう”と思いながら見ていると、本当に出てきた。
でもテレビで観ていたから驚かなかった。90分間、ずっと集中することができました」
続く韓国戦は?
「アルゼンチンは多少、日本を見下しているようなところがあった。しかし韓国はガチでやってきた。
日本でキャーキャー言われながらやるより、韓国のあの独特なアウェーの雰囲気の中でやる方が、僕にはむしろ楽しかった。しかも無失点で抑えましたから……」
この2試合で栗原が掴んだ自信は計り知れない。代表から帰ると横浜の木村和司監督に「オマエ、随分成長したな」と声をかけられたという。
栗原はザックの申し子となれるのか。
「試合や練習の最中にはガーガー言わない。そのかわり、始まる前に“こうしろ”、終わってから“こうしろ”と言ってくれるのでやりやすいんです」
こう前置きして、栗原は続けた。
「一番、新鮮だったのはポジショニング。これまでは(ボールホルダーを)追いながら、まわりもチラチラ見て相手が来たら、こういけるようにという指導だったんですが、ザックは自分の管轄外のことは一切、無視していいと言うんです。裏からFWが入ってきても、それは別のヤツの担当だから、オマエは自分の仕事だけに集中しろ、と。
最初はこわかったんですが、やってみたらうまくいく。それに皆、驚いてしまった……」
指揮官を見る目が変わったのは、それからである。
横浜市生まれでジュニアユースからのマリノス育ち。狭き門をくぐり抜けて18歳でトップチームに昇格した。
屈強な肉体と抜群の運動神経。早くから将来を嘱望されていた。
19歳の時、前日本代表監督の岡田武史がチームにやってきた。
栗原の顔を見るなり岡田は言った。
「オマエ、悪そうな顔してるな」
黙っていると、岡田は続けた。
「実はオレも昔はワルだったんだ。頭はリーゼントでボンタンはいてたんだ」
岡田流の親愛の情の示し方だった。
南アフリカW杯の2カ月前のセルビア戦。栗原は初めて岡田ジャパンに呼ばれ、いきなり先発で使われた。
前半15分、日本はいきなりゴールを割られる。相手FWが栗原の裏をついたのだ。続く23分にも日本は失点を喫した。
怒った岡田は栗原を前半で引っ込めた。以来、2度と栗原が代表に呼ばれることはなかった。
「あの時にチャンスをもらえて、結果を出していれば南アフリカにも行けたかもしれない。しかし、チャンスをモノにできなかったのは、要は自分の力がなかったってこと。
最近“栗原は伸びた”とか言われるんですけど、あれからまだ半年も経っていない。自分自身、伸びたとは思わない。要するに、あの時は巡り合わせが悪かったんだと。
(前半で代えられたのは)岡田さんにしてみれば“何やってんだ。チャンスを与えたのに”という気持ちだったんじゃないでしょうか。あの人は僕のこと、全部わかっていますから……」
武闘派と言われるが、それは彼の一面に過ぎない。それが証拠にカードをもらうことは滅多にない。
「この前、僕の出た試合をビデオで見ていたら、ある解説者が“栗原はファウルが多いから、そこをもっと気をつけた方がいい”と話していた。
この人、あまり試合を観ていませんね。去年もらったイエローは年間通して4枚。今年も今のところ3枚。センターバックとしては少ない方だと思いますよ」
“ハマの番長”と呼ばれたのは、もう随分、昔のことである。
<この原稿は2011年1月5日号『ビックコミックオリジナル』に掲載されたものを再構成したものです>
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