「うわぁ、かっこいいなぁ!」
 三宅諒がフェンシングと出合ったのは小学校入学の直前だった。その頃、三宅は母親の勧めにより、地元の千葉県市川市のカルチャーセンターにあったスイミングスクールに通っていた。そこでは一つずつ泳ぎをマスターしなければ、次に進級できないシステムになっていた。最初のクロールは難なくクリアした三宅だが、次の背泳ぎでつまづいた。どんなに練習しても、真っ直ぐに泳ぐことができない。「もう、やだなぁ……」。習い始めて1年が経とうとする頃、三宅はスイミングスクールを辞めたくて仕方がなくなっていた。そんな彼の目に飛び込んできたのが、同じカルチャーセンターに飾られてあったフェンシングクラブの写真だった。三宅は剣を突くその姿に一目ぼれした。
 三宅は実はスポーツがあまり得意ではない。特に球技は苦手だった。だが、公園などで棒切れを振り回して遊ぶことは大好きだった。いわゆる“チャンバラごっこ”だ。気に入った棒があると、自宅に持ち帰ることもしばしばで、よく両親から注意を受けていたという。そんな三宅少年にとって、剣を振り回すフェンシングに魅力を感じても不思議ではなかったのだ。

 とはいえ、彼がフェンシングに本当の意味で魅力を感じるのは、もう少し先のことだ。フェンシングクラブで三宅が楽しみにしていたのは友人との鬼ごっこだったという。
「とてもアットホームなクラブで、最初の3年間くらいはフェンシングの練習をしたことなんかあったかな、というくらい(笑)。とにかく友達と鬼ごっこをして遊んでいましたね。試合での勝敗なんか、意識したことなかったですよ」

 奇襲攻撃で全国2位

 そんな三宅に転機が訪れたのは、小学4年の時だった。なんと全国フェンシング大会で準優勝に輝いたのだ。
「クラブの先生も親も“まさか”って感じで驚いていましたけど、一番ビックリしたのは自分でした(笑)」
 ほとんど練習といった練習などしていなかった三宅が、なぜ決勝まで勝ち進んだのか。それは奇抜な戦法にあった。

「小学生ってみんなマジメにやるじゃないですか。だから、基本に忠実なフェンシングをするんですよ。ところが、僕は違ったんです。かたちも何も「プレ、アレ」(用意、はじめ)の号令とともに、ウワーッって勢いよく相手に向かっていくんです。そんなフェンシングする人なんか他にいないですからね。相手はビックリするわけですよ。準決勝まで全てこの奇襲攻撃で勝ったんです(笑)。でも、さすがに決勝では通用しませんでした。相手ももう僕の攻撃の仕方をわかっていましたからね。簡単によけられて、あっけなく負けてしまいました」

 それでも4年生で早くもファイナリストとなった三宅は、国内のフェンシング界からは注目の的となった。「負けられない」立場となった三宅は人生で初めてプレッシャーを味わうこととなった。だが、そのプレッシャーは三宅にとって決してマイナスではなかった。逆に期待されているという意識が彼にやる気を起こさせた。遊びからスポーツへ――本当の意味でフェンサーへの道を歩み始めたのもこのことがきっかけとなった。

 2年後、小学6年生となった三宅は、見事、全国優勝を果たした。それからのフェンシング人生は順風満帆といっていいだろう。中学3年での全国中学校体育大会、高校3年でのインターハイで優勝。極めつけは高校2年の時に出場した世界ジュニア・カデ(U−17)選手権。それまでどのカテゴリーでも日本人は一度も世界選手権を制したことがなかった。その第1号となったのが三宅だったのだ。

 “IQフェンサー”故の課題

 では、三宅にとってフェンシングの魅力とはいったい何なのか。
「フェンシングは、たとえ自分がどんなに速く足が動けても、剣を出すラインが読まれていたらよけられて反撃されてしまう。また、どんなに力があっても、相手を突くことができなければポイントにはならない。逆にいえば、スピードや力が突出していなくても勝つことができる競技なんです。試合で自分よりもスピードがあったり、力が強い相手に勝った時というのは、本当に快感なんですよ」

 三宅に言わせれば、フェンシングとは駆け引きの勝負。だからこそ、相手が何をやろうとしているのか、読む力が非常に重要なのだという。それこそが、三宅にフィットした部分でもある。人が何を考え、今、どんなことを思っているのか。人間観察が好きな三宅は、日常的にその訓練を行なっている。
「道を歩いていても、ちょっと気になる人がいると、ジッと見てしまう癖があるんです。時々、一緒に歩いている人に『見過ぎ!』と注意されることもありますね。(笑)。でも、それがフェンシングには役立っているかなと思っています。試合の中で『こうしたら嫌がるだろうな』とか、逆に『こうしたら相手は喜ぶだろうな』ということが結構わかるんです」

 中学2年の時から指導を受けているオレグコーチからも「IQフェンサー」と呼ばれている。推察力からくる三宅の頭の回転の速さは日本代表の中でもピカイチだ。だが、それだけでは試合で勝つことはできない。
「オレグには足を止めずに、頭で考えた動きを流れの中で実行に移すことが大事だと言われています。フェンシングで一番重要なことは“突くこと”。どんな突き方をしても1点は1点。サッカーのゴールと一緒ですね」

 昨シーズンからナショナルチームに入った三宅には、3人の良き先輩がいる。北京五輪金メダリスト太田雄貴、千田健太、淡路卓だ。太田が尊敬する存在であるなら、千田は優しいお兄さん的存在、そして淡路は小学校時代から切磋琢磨してきた同士。三宅にとっては家族のようなものだという。しかし、来年のロンドン五輪には4人のうち、最大でも3人しか出場することができない。つまり、必然的に4人はライバルとなる。今はまだ薄っすらとしか見えていないロンドンへの道だが、一つ一つ課題をクリアし、自信をつけることによって目標が明確になった時、彼の気持ちがどう変化するのか――。三宅諒、20歳。今後の日本フェンシング界を背負うフェンサーであることは間違いない。

(おわり)

三宅諒(みやけ・りょう)プロフィール>
1990年12月24日、千葉県生まれ。小学1年の時にフェンシングを始め、4年で全国大会準優勝、6年で優勝した。高校2年時には2007年の世界ジュニア・カデ選手権(U−17)で優勝し、日本人初の世界選手権覇者となる。翌年にはインターハイ、国民体育大会で優勝。09年、慶応大学に進学し、昨年よりナショナルチームの一員として世界を転戦している。178センチ、72キロ。


(斎藤寿子)
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