「なでしこジャパン」が世界一になったことで、チームを率いた佐々木則夫監督の手腕に注目が集まっている。
佐々木のニックネームは「ノリさん」。オヤジギャグを連発して選手たちとの距離を縮め、時には自ら道化役も買って出た。
かと思えば、遠征先の空港で足止めをくらった際には、駆けずり回ってブランケットをかき集め、選手全員に手渡すといった繊細な気配り。「小さな娘たち」という物言いにも誠実な人柄がにじんでいた。
これまで女子チームを率いる男性指導者には「オレについてこい」型が多かった。
その典型が「東洋の魔女」を率いた大松博文である。東京五輪でのバレーボール全日本女子の活躍は今でも語り草だ。
「白いものでも先生がクロといったらクロになった。口ごたえなど許されませんでした」
金メダルメンバーのひとり谷田絹子は、そう語っていた。「鬼の大松」と呼ばれたのも、むべなるかなである。
しかし、鬼とはいっても、選手を抑圧し、何でもかんでも頭ごなしに命令したわけではない。
それは次の“大松語録”を読めば明らかだ。
<私は選手一人一人を、一つのワクに入れないんです。誰でもいいところと悪いところがある。そのいいところを伸ばしてやるいうような、選手の養成の仕方をしたわけなんです。だから六人の選手の一人一人が、一つだけは世界一のものを持っているんです。
そのかわり、それ以外のところは下手なところもある。それが六つ寄ってカバーしあって、まんまるいみがかれた玉になっているんです。>(『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史』第2巻)
佐々木も選手の個性と適性を重んじた。大黒柱の澤穂希をトップ下からボランチに転向させたのは、今にして思えば大ヒットだった。
佐々木は自らが理想とする指導者像について、こう考えている。
<コーチの語源は、「馬車」だ。コーチという言葉には、「人をある地点まで送り届ける」役目を担う人、という意味がある。
ではコーチが馬車なら、選手はなんだろう。答えは「乗客」だ。
間違っても、選手は「馬」ではない。コーチ、つまり指導者の仕事とは、選手を馬のようにムチで叩いて走らせることではなく、乗客である選手たちを目標の地まで送り届けることだ。>(自著『なでしこ力』講談社)
そのためには「上から目線」ではなく「横から目線」で選手たちに接することが大事だと佐々木は説く。
しかし、それだけではダメだ。「乗客」が女性の場合、特段の配慮が必要となる。
そのことを佐々木は妻から教わる。
「私の元上司に、すごく仕事のできる人がいたんだけど、いつも鼻毛が出てたの。私たち女性社員からの信頼と尊厳は、それだけで減っちゃったんだよ」
たかが鼻毛、されど鼻毛である。
佐々木はどうしたか。
<僕はもちろん、それまでだって鼻毛が伸びればちゃんと処理していた。しかし妻に言わせれば、これからたくさんの女性と一緒に仕事をするのならば、僕はもっと身だしなみに神経を使うべきだという。どれほど論理的に戦術を構築しても、どれほど熱く選手を激励しても、見た目がだらしなければ伝わらない。
身だしなみとは、女性と接する際にそれほど重要な要素の一つなのだと、僕は妻から学んだ。それ以来、家を出る前には必ず鏡の前で立ち止まり、鼻毛、寝ぐせ、シャツの染みやシワなどを確認するようになり、ごく自然な香りのするコロンをつけ、歯も頻繁に磨いて口の中の清潔さにも気を配るようになった。
身だしなみに付随して重要なのが、表情や身振り、手振りなどによるノンバーバル(非言語)コミュニケーションだ。会社などでも、男性の上司がいつも無表情だったり、怖そうな顔つきやイライラしたそぶりを見せていたりしたら、それだけで女性社員はきっと萎縮してしまうだろう。>(前掲著)
オリンピックにおいて初めて女子のメダル数が男子を上回ったのは2000年のシドニー五輪である。女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子が国民栄誉賞に選ばれ、女子柔道で金メダルに輝いた谷(当時、田村)亮子は内閣総理大臣顕彰を受けた。
一般社会に目を向けると1985年に男女雇用機会均等法が設けられ、99年には男女共同参画社会基本法が制定された。こうした法整備が女子スポーツへの追い風となったことは言うまでもない。
時代が変われば、指導者も変わらなければならない。佐々木のような新しいタイプの指導者は、今後、他の競技団体にも続々と現れるに違いない。
<この原稿は2011年9月6日号『経済界』に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから