米満には憧れの存在がある。ブルース・リー。言わずと知れたカンフーアクション映画のスーパースターだ。小学生の時、映像の中で初めて出会ったその日から、圧倒的な強さに心を奪われた。それからというもの、ブルース・リーはいつも自分に力を与えてくれる存在である。
 本当はブルース・リーにならって空手をやりたかった。だが、空手を部活動でできるところは少ない。中学では柔道に取り組み、山梨県のチャンピオンとして全国大会にも出場した。
「とにかくブルース・リーのように強くなりたかったんです」
 レスリングを始めたのも、この思いからだ。地元・韮崎工高がレスリングの強豪校で全国レベルだったことに惹かれた。

 柔道は中学から、レスリングは大学からと、競技を始めた年齢は決して早くない。だが、米満は着実に力をつけ、強くなった。高校時代は3年時にグレコーローマンスタイルで全国制覇を果たした。
「レスリングを始めたのが早い遅いとかは関係なかったですね。とにかく“強くなる”という意思があるかどうか。それを意識してきたからこそ力がついたのだと思っています」

 進学先の拓殖大学では、“主役を張る”心構えを伝授された。大学4年時の2008年、拓大レスリング部の監督に総合格闘家を引退した須藤元気が就任した。
「踊っているように戦っているヤツは強い」
 スポットライトを浴びてK-1のリングでファンを魅了した経験からだろう。須藤は試合を楽しむよう米満たちに伝えた。戦いの舞台では不安や緊張から完全に逃れることはできない。とはいえ、不安や緊張に自らを縛られている限り、相手を倒すことは不可能だ。
「自分が主役なんだという気持ちでマットに上がることが大事だと教わりました。今は試合になると無意識のうちにワクワクしますね」
 この年、米満は全日本選手権を初制覇。ついに日本で一番強い男になった。

 レスリングの世界を変える!

 調子がいい時の米満は、完全にブルース・リーになりきっている。自然と頭の中で「燃えよ、ドラゴン」のテーマが鳴り響く。「アチョ、アチョ、アチョー」。気づけばカンフーのようなステップを踏んでいる。相手はマット上の主役を引き立てる敵役でしかない。
「ブルース・リーになりきっている時は自分のリズムで試合ができていますね。いい結果も出ています」

 最近はそんなスーパースターの生き様を、自らの進むべき道と重ね合わせるようになってきた。
「ブルース・リーが活躍していた当時、アメリカでアジア人が主役をとることは難しかったんです。でもブルース・リーは自分の力で最後はハリウッド映画の主役を演じた。このレスリングの世界もヨーロッパ系が牛耳っている。それを何とか僕が変えたい」

 2012年は五輪イヤー。世界を驚かせる願ってもない舞台が巡ってくる。先の世界選手権で銀メダルに輝いた米満は12月の全日本選手権を制すると五輪代表に内定する。もちろん、五輪出場はあくまでも通過点。その先のシナリオも米満の中ではしっかりとできあがっている。
「ロンドンで金メダルを獲って自分だけがワーッと喜んでいるのではなく、自分を支えてくれたコーチやトレーナーの方も喜んでくれている。みんなに恩返しができるといいですね」

 あとはシナリオ通り、米満が世界で一番強い男を演じきれるかどうか。ロンドンの主役になるべく、NGの許されない撮影が続いていく。 

(おわり)
>>前編はこちら
 
米満達弘(よねみつ・たつひろ)プロフィール>
1986年8月5日、山梨県生まれ。中学時代は柔道で全国大会に出場し、韮崎工高でレスリングを始める。3年時にグレコローマン60キロ級で全国高校グレコローマン選手権と国体を制覇。拓殖大に進学後、4年時には世界学生選手権フリースタイル66キロ級で優勝。学生2冠(全日本学生選手権、全日本大学選手権優勝)を達成し、同年の全日本選手権も初制覇する。自衛隊入隊後の09年、初出場となった世界選手権では3位入賞。10年の同選手権は初戦敗退に終わったが、アジア大会ではフリースタイルでは日本男子16年ぶりとなる金メダルに輝く。9月の世界選手権では銀メダルを獲得。同級での2012年ロンドン五輪の日本の出場枠を確保した。身長168センチ。

☆プレゼント☆
 米満選手の直筆サイン色紙を1名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「米満達弘選手のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しい選手などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。

(石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから