15日、日本はW杯アジア3次予選で北朝鮮とピョンヤンで対戦する。日本がピョンヤンで試合を行なうのは、89年のW杯イタリア大会アジア予選以来、22年ぶりとなる。懸念されているのは試合会場が人工芝のピッチであること。そして、ピッチ外でのさまざまな制約だ。そこで今回は、05年に行った加藤久氏(現JFA復興支援特任コーチ)と宮内聡氏(現成立学園総監督)との鼎談を紹介する。2人は85年メキシコW杯アジア地区予選でピョンヤンに乗り込み、現地の異様な空気を実際に肌で感じながらプレーした。この貴重な経験談から、“アウェー・北朝鮮”の実体を探ってみる。
二宮: 金日成スタジアムは日本の選手たちが公式戦では未経験の人工芝のピッチ。これは、北朝鮮の最大の国家的行事であるマスゲームを成功させるために導入されたものです。お二人はこの人工芝での試合を体験されているわけですが……。
宮内: 当時、日本では三菱(現浦和)と東京ガス(現FC東京)が人工芝のグラウンドを持っていました。そこで1週間、みっちり練習を積みました。気をつけたのは火傷ですね。スライディングをすると摩擦で皮膚が焼けるんです。そこでヒザにサポーターを巻いて練習しました。もちろん本番でも巻きましたよ。

二宮: FIFAのルールでやむなく人工芝のピッチで試合を行なう場合は、事前に充分水を撒いておくことが義務づけられています。
加藤: ところがちゃんと撒いてくれなかったんですよ。1回、ウォーミングアップして戻ってくるでしょう。「いつ撒くのか、いつ撒くのか」とこっちはピッチを見ているのに、全然、そんな素振りを見せない。結局、試合前になって小さなホースでチョロッと撒いただけ。まぁ、どうせこんなことだろうと思っていましたけど(笑)。

二宮: これは、お二人と一緒にこのゲームに出場した都並敏史さん(現東京ヴェルディ育成アドバイザー)から随分前に聞いた話ですが、日本代表は水分の量によって履き替えるため3足のスパイクを用意していた。水分の量を聞くと「たっぷり撒く」というので、日本の選手たちはそれに最も適したスパイクに履き替えた。ところが、実際の放水はチューリップの水をやる程度。“はめられた!”と思ったけど、もう遅かったと。しっかり水を撒いていないので芝が人工芝用ソールの短いスタッドに引っかかり、足の裏に糊をつけて走っているような感触だったと語っていました。
加藤: そうそう。これなら普通のスパイクを履いたほうがよかったじゃないか、と思いましたよ。実際、北朝鮮の選手たちは普通のスパイクを履いていましたから……。
宮内: 今の人工芝の状態はよくわかりませんが、当時はペタッとしていて葉っぱの部分がなかった。

二宮: カーペットのような感じ?
加藤: そう、まさにカーペット(笑)。今のように毛のついている人工芝じゃなかった。それでも、まだ水が撒かれていればボールも滑るのですが、撒かれていないと異様なはね方をする。さらには都並君も言っていたように、スタッドが多いから、“カーペット”に引っかかるんです。これには苦労した。
宮内: もう呆れてしまって、早く試合をやって日本に帰ろうよ、という思いでしたね(笑)。

加藤: 異様といえばスタジアムの雰囲気。日本の選手たちがボールを持つとシーンと静まり返るんです。ブーイングひとつしない。むしろ、そっちのほうが不気味でしたね。逆に北朝鮮の選手がボールを持って攻め始めると、ウォーッと地鳴りのようなものすごい音がスタジアム中に響き渡る。
宮内: お客さんといっても、ほとんどの人が軍服のような服を着ているんです。色は黒か深い緑。そういう人たちがシーンと静まり返ったかと思うと、次の瞬間、急にウォーッとなる。「これが本物のアウェーなのか」と驚いたことを覚えています。

二宮: スタジアムの収容人数は?
加藤: 約10万人だと聞いています。その10万人がウォーッとなるんです。だから日本のゴールから遠いところでボールを奪われても、こちらは“攻められている”という気分になってくる。そういう点では精神的なプレッシャーもありましたね。

二宮: 試合中、エースの木村和司選手が退場するというアクシデントもありましたね?
宮内: 後半の15分くらいでしょうか。空中で競っているとき、頭をガーンとやられて、そのまま倒れ込んだ。脳震盪を起こしたんじゃないでしょうか。確かその日は病院に担ぎ込まれて1泊したはずです。
加藤: 脳震盪というより、もっと深刻な状態じゃないかと思いましたよ。空中で意識を失って、そのまま人工芝に叩きつけられたんですから。

二宮: 狙われていた?
加藤: そんなふうに見えましたね。向こうはボールに行かずに最初から和司の頭に行っていました。和司は言わずと知れたFKの名手。いわば北朝鮮にとっては一番、危険な選手なわけです。それもあって狙われたんじゃないでしょうか。
宮内: 北朝鮮にしてみれば、国立で無得点、ホームでの試合もここまで無得点ということで、相当イライラしていたと思います。僕もヒザを蹴られて軟骨を損傷していました。後で判明したのですが……。

二宮: ピッチの外に目を向けると盗聴を恐れてミーティングひとつ行うのも気を使ったという話ですが……。
加藤: まず電話は使いませんでした。
宮内: 確か、あのころは自分の部屋から外に対して電話できなかったんじゃないでしょうか。

加藤: ただ、想像していたほどひどい扱いではなかった。ホテルもシーツをはたくとホコリが出るような環境を想像していたのですが、決してそんなことはなかった。
宮内: サウナにも連れていかれましたよね?
加藤: そう、皆でサウナに行って、そのあと熊の肉を食べた。これはあまりおいしくなかった。冷麺は最高でしたが(笑)。

二宮: よその国での食事は気をつけたほうがいいという声もあります。04年3月、五輪代表は敵地のUAEのホテルで、ほとんどの選手が食中毒にかかった。ドーピングの問題もあります。
加藤: 注意は大事ですが、あまりナーバスになり過ぎるのもどうかと思います。それよりもコンディションを整え、自分たちのサッカーをしっかりやることのほうが大切ですね。

<この原稿は2005年3月号『月刊現代』に掲載されたものを抜粋、一部修正したものです>
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