「13秒96」――今年9月、高桑早生は新たな境地に降り立った。大分市営陸上競技場で開催されたジャパンパラリンピック(以下、ジャパラ)。2日目に行なわれた女子100メートルで、初の13秒台をマークしたのだ。高桑の隣を走ったのは、日本記録保持者(13秒84)の中西麻耶だった。中西は2008年北京パラリンピックで、日本女子の義足スプリンターとしては初の入賞を果たしていた。北京後は練習拠点を米国に移し、ロサンゼルス五輪の男子三段跳び金メダリスト、アル・ジョイナーに師事している。そんな中西は、高桑にとって尊敬する先輩の一人であり、大きな目標だ。その中西とデッドヒートを繰り広げたのだ。
「ようやく、ここまできたんだ……」
 ゴール後、高桑の顔は高揚感にあふれていた。
(写真:9月のジャパラでは日本記録保持者の中西と競り合った高桑<右>)
 高桑が中西と初めて会ったのは08年、陸上を始めて間もない高校1年の秋だった。大分で開催された全国障害者スポーツ大会(以下、全スポ)。そのわずか2カ月前、北京の地で世界トップランナーたちと競り合っていた中西の存在は、その時の高桑には雲の上の存在だった。だが、中西は気さくに高桑に話かけてきてくれたという。その後、中西が義足の調整をするため、上京した際に2人は合同練習を行なった。そこで高桑は中西から多くの刺激を受けた。

「とにかく陸上についてほとんど何も知らない状態でしたので、見るもの聞くもの、全てが新鮮でした。なかでも印象に残っているのは、ウォームアップ。麻耶さんから『私はね、最初にまずトラックを歩くんだけど、この時、足の裏をしっかりと意識して歩くことが大事なんだよ』という話を聞いて、そんなところまで考えているんだ、と驚きました。陸上選手として基礎的な部分なんですけど、その時は『あぁ、歩くことから練習は始まっているんだな』と感心していました」
 既に世界の舞台を経験していた中西は、高桑には眩しく見えた。まさか、その3年後に彼女と肩を並べて走れるようになる自分を、その時の高桑は想像だにしていなかっただろう。

「今年のジャパラで、少しだけ麻耶さんにライバルとして見てもらえるようになったかな……。ようやく同じ土俵で戦えるところまできたのかなと思います」
 少し遠慮気味にそう言った後、高桑はこう続けた。
「でも、やっぱり悔しかったです」
 憧れの存在からライバルへ――。中西に対して悔しさを覚えたのは初めてのことだった。
「今までは麻耶さんが私の前を走るのは当然で、その背中を追いかけていこう、という気持ちで走っていました。でも、今回は“いけるかもしれない!”と思ったんです。それが逆に邪念となったのかもしれません。いつものように、最後まで無心で走ることができたら、もっとその差を縮められたんじゃないかなって思うんです」
 2人が再び並んでスタートラインに立つのは、おそらく来春に予定されている日本選手権だろう。果たして、高桑は日本女王を再び脅かすことができるのか。そして、どこまで自己記録を伸ばすことができるのか。伸び盛りの19歳に寄せる期待の声は、日に日に高まっている。

 一瞬の輝きを求めて

 高桑が初めて国際大会に出場したのは高校2年の時、東京で開催されたアジアユースパラゲームズだ。この大会で高桑は100メートルと走り幅跳びにエントリーし、両種目で金メダルを獲得した。そして、これが本格的に陸上競技に取り組むきっかけとなった。この大会で100メートルでは初の14秒台となる14秒99をマークした。前述したように、今年のジャパラで高桑は13秒台を出した。つまり、約2年で1秒縮めたことになる。昨年から高桑を指導している埼玉大学大学院生の高野大樹は「これはすごいことですよ」と、彼女の成長ぶりに目を見張る。

「僕は高校時代、0.5秒縮めるのに、3年かかったんです。それが大学生ともなると、特に女子は既に成長期が終わり、体が出来上がっている状態ですから、記録を縮めるのは男子以上に難しくなるんです。それを彼女は2年で1秒も縮めてしまったわけですからね。本当に、これからどこまで速くなるのか、楽しみですよ」

 高野が高桑と初めて出会ったのは09年、新潟で開催された全スポだ。高校2年の高桑は前年に続いて埼玉県代表として出場し、高野は代表チームのコーチとして帯同していた。高桑は自ら「ここがうまくいかないんですけど、どうしたらいいですか?」と高野に質問してきたという。そうした貪欲な姿勢に、高野は彼女の陸上に対する強い思いを感じていた。

 昨年から埼玉県障害者スポーツ協会では、世界を目指すトップアスリートの育成事業「世界にはばたけ! 彩の国選手育成強化事業」による強化合宿が行なわれている。そこに高野はコーチとして、高桑は選手として参加した。さらに慶應大学体育会競走部に入った今年から、高桑は高野に日々のトレーニングメニューをチェックしてもらい、時には指導を受けている。その成果は早速出ている。大学入学後、高桑はタイムを約0.5秒縮めているのだ。その要因は後半部分の修正にあると高桑は語る。

「今シーズンは、後半でのフォームの崩れやスタミナを重点的にトレーニングしてきました。これまではスタートして100メートルの時点で終わるというような走りをしていたのですが、それではダメなんです。トップスピードのままゴールするには、100メートル以上を走れるようにならないといけない。というのは、100メートルでいっぱいいっぱいでは、ゴールした時点では既に減速してしまっているということなんです。ですから、練習では120メートルを走ったりしてきました。そのおかげで、100メートルをトップスピードで走り切れるようになってきたんです」
 9月のジャパラで13秒台を出すことができたのも、後半でしっかりと粘ることができたからだ。

 では、さらに進化するには何が必要なのか。それはスタートにあるようだ。高桑はスタートで第一歩目の歩幅が小さい傾向にある。無意識に恐怖心が出てしまうのか、第一歩目の義足に思いっきり体重を乗せることができないことが原因だという。そこで高野は彼女の歩幅に合わせてマーカーを置き、それを踏みつけるようなイメージで走る練習を課した。
「視覚的にマーカーの明るい色に刺激され、義足に体重を乗せる怖さよりも、マーカーを踏むという行為に意識がいくんです。それを繰り返していくうちに、『あ、これだけ負荷をかけても大丈夫なんだ』と感じてもらえればと思ったんです」
 まだ感覚的だというが、徐々にこのトレーニングの効果は表れてきていることは高桑自身、感じている。

 さらにもう一つ、高野が課題として挙げているのが腕と脚の連動性だ。走るという動きは、腕と脚の相互作用によって生み出される。そのため、この2つの部位の連動性が非常に重要なのだ。そこで高桑が行なっているのが、両腕をクロールのように交互に回しながら歩くというトレーニングだ。単に歩くのではなく、腕と脚が連動した動きをしていることを確認しながら歩く。例えば、右腕を下ろした状態の時には、右脚が前方に来ていなければならない。つまり、右脚を前に出す際に右腕と交差するかたちになる。逆に左脚を前に出す際には左腕と交差するようになるのだ。

「単純な動きなので簡単そうに思えるのですが、やってみると意外に難しいんですよ。特に腕の方が速く動かしがちになって、脚とバラバラになってしまうんです。だから、腕はゆっくりと大きく動かしながら、脚の動きに合わせるようにするのがコツです。これを歩き、ジョギング、走り、と徐々にスピードアップさせていくんです」
 わずか10秒足らずの時間、自分の最高のパフォーマンスをするために、こうした地道で細かいトレーニングが繰り返される。スプリンターとは一瞬の輝きを求めた、究極の“夢追い人”だと感じずにはいられない。

 高まるパラリンピックへの思い

 高野が高桑を本格的に指導するようになってまだ2年だが、彼女のアスリートとしての強さを既に感じている。
「彼女はどんな状況に置かれても、しっかりとした気持ちで大会に臨むことができる選手なんです。例えば、ケガなどで練習ができないと焦りが出てくるものなのですが、彼女はそこでしっかりと休むことができる。“今は休むべき時”と冷静に判断することができるんです。だからトレーニングの時間が取れずに準備が不足した状態で大会になっても、気持ちの準備はしっかりとできている。今年のアジアパラリンピックなんかは、まさにそうだったと思います。大会直前まで大学受験で、思うようなトレーニングはできていなかった。だから僕自身、全く記録は期待していませんでした。ところが、そこでもしっかりと自己ベストを出してしまったんですからね。改めて彼女の強さを感じましたよ」

 果たして高桑自身、「初めての海外遠征を楽しもう」という気持ちで大会に臨んだという。連日のように超満員のスタジアムの雰囲気に高桑ははじめ、圧倒された。その中で明らかに準備不足の状態で走らなければいけないことに、不安がなかったといえば嘘になるだろう。だが、スタートラインに立った彼女には焦りも迷いもなかった。あったのは、今の自分が出し得る最高のパフォーマンスをすること、ただそれだけだった。

「私の両隣が中国人選手だったんです。だから、アウエー感はすごかったですよ。左隣の選手が紹介されると、会場中がワーッとものすごい歓声が起きたんです。ところが、私が紹介されると、シーンと静まり返った。そして、右隣の中国人選手が紹介されて、またウワーッとなった。いやぁ、本当にすごかったですね(笑)。でも、そんな中でも結構、怖気づくことなく、高い集中力をもって走ることができました」

 夜の時間でのレースで、競技場はきれいにライトアップされていた。幻想的な雰囲気に包まれる中、高桑は100メートルを駆け抜けた。そしてゴール後、タイムを確認した高桑は一瞬、その数字に驚いた。明らかに準備不足の中、自己ベストを出してしまったのだ。すると、高桑に湧き起こったのは喜びではなく、悔しさだった。
「わずか1カ月足らずのトレーニングしかできなかったのに、これだけのタイムが出せたのだから、しっかりと準備することができていたら、どんな結果になったんだろうと思ったんです。そしたら、悔しさがこみあげてきました。でも、それが次へのモチベーションにもなったんです」

 彼女が指す「次」というのは、もちろんパラリンピックのことだ。現在、来夏に開催されるロンドン大会に向け、各競技で選考レースが繰り広げられている。高桑も有力候補の一人だ。もちろん、周囲からの期待の声も大きい。
「僕がつくった義足で、パラリンピックの舞台に立ってくれたら、これほど嬉しいことはありません」とは、義肢装具士の高橋将太だ。彼は彼女の今年1年間の成長ぶりにますます期待感を膨らませている。
「大学に入ってからの早生ちゃんは、スタートがすごくよくなったなと思いますね。フォーム自体も腕の振りに力強さが感じられます。ますますスプリンターらしくなってきたなぁと。着実に記録も伸ばしていますし、これからが本当に楽しみです」
 そしてこう続けた。
「早生ちゃんの走る姿には、同じ境遇の人たちに何かを伝える力があると思うんです。だから、パラリンピックでメダルがどうのというよりも、とにかく彼女が楽しそうに走っている姿を見たいですね。その結果がメダルであれば、最高です」

 高桑はまだ19歳だ。年齢を考えれば、ピークは16年のリオ大会と言う関係者も少なくない。しかし、だからこそ、来年のロンドン大会は彼女にとって大事な意味を持つ。高野はそう考えている。
「ロンドンの舞台に立って、トップ選手たちと肩を並べて走ることで“自分も世界で戦えるんだ”ということを実感してほしいなと思います。そうすれば自然と“次は自分が先頭でゴールしたい”という思いが芽生えてくるはず。そういう意味でも、ロンドンに出場できたら、彼女にとっては大きいでしょうね」

 では、高桑自身はどうなのか。ロンドンに向けての気持ちを訊くと、「自信はあまりありません」としながらも、その表情からは決して諦めた様子は微塵も感じられなかった。
「ロンドンに出られるかどうかは、なるようにしかならないかなと思っています。自分はとにかく最後までやれることをやっていきたい。来春に予定されている日本選手権が最終選考になるようなので、今はそれに向けてトレーニングしています。このオフにしっかりと自信をつけて、日本選手権に臨みたいなと思っています」

 今、高桑は走ることが楽しくて仕方ない。専門的なトレーニングをすることで、明らかに成長している自分を感じているからだ。しかし、その一方で壁にもぶつかっている。9月のジャパラ以来、本番のレースで一度も13秒台を出すことができていないのだ。彼女は今オフ、大学の競走部の仲間たちと同じトレーニングメニューをこなしている。これまで一人でやってきた彼女にとって、本格的なトレーニングはこれが初めてと言ってもいい。だからこそ、このオフで彼女がどれだけ成長するのかが楽しみなのだ。本人もそう感じているに違いない。来春、高桑はどんな走りを披露してくれるのか。成長著しい19歳から、目が離せない。

(おわり)


高桑早生(たかくわ・さき)プロフィール>
1992年5月26日、埼玉県生まれ。小学6年の冬に骨肉腫を発症し、中学1年の6月に左足ヒザ下を切断した。中学時代はソフトテニス部に所属。東京成徳大深谷高校では陸上部に入り、2年時には初の国際大会、アジアパラユースに出場。100メートル、走り幅跳びで金メダルを獲得した。昨年のアジアパラリンピックでは100メートルで銀メダル、走り幅跳びで5位入賞した。今年4月からは慶應義塾大学体育会競走部に所属。9月のジャパンパラリンピックでは100メートルで初の13秒台となる13秒96をマークし、日本記録に0.12秒に迫った。
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(斎藤寿子)


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