“失格による記録無し”――。糸数2度目の世界選手権(2010年、トルコ)はまさかの結果に終わった。ウエイトリフティングは「スナッチ」もしくは「クリーン&ジャーク(略してジャーク)」のどちらかを3回連続で失敗すると失格となる。糸数は後半のジャークを3回連続で失敗してしまった。競技を始めてから、初めての失格だった。
「ロンドン五輪の出場枠もかかっていた大舞台だったので……。一番悔しい大会ですね」
 糸数は苦い顔でそう振り返った。出場した56キロ級の検量をパスするには、普段の体重から3〜4キロ落とす必要がある。本人は「言い訳でしかない」と語るが、減量が影響し、コンディションを崩してしまったのだ。ウエイトリフティングの体重検量は競技の2時間前に行う。ゆえに、前日計量のあるボクシングなどとは異なり、本番までに体調を戻すことが難しい。単に減量するだけなら話は早い。しかし、培ってきた筋肉の量を落としかねない減量は、成長期の糸数の足かせとなっていた。

 決断した階級変更

「糸数を指導するにあたって、まず考えたのが階級を62キロ級に上げることでした。大学生という一番鍛錬を積める時に、筋力をつけてどんどん記録を伸ばす。その時に減量を繰り返して、思うように筋肉をつけられないのはもったいないですからね」
 ウエイトリフティング男子日本代表監督の稲垣英二も階級アップを考えていた。実は10年の世界選手権は62キロ級で出場する予定だった。しかし、代表権を確保できず、何とか56キロ級での出場権を得たという背景がある。56キロ級での調整が続いた10年シーズンは記録が伸び悩んだ。その延長線上に、屈辱の“失格”があったのだ。

 だが、大舞台での失敗を機に、糸数と稲垣の間で「階級を上げなければ世界で戦えない」という考えが完全に一致する。世界選手権後の10年11月の全日本インカレを56キロ級で出場する最後の大会と位置づけ、見事に優勝。本格的に62キロ級で戦う準備に取りかかった。階級を上げたことで減量は約1キロとラクになった。体への負担が少なくなったため、1カ月に1回、大会に出られるようになった。実戦となると、そこでしかわからない課題も見えてくる。そこを日々の練習で克服、修正し、次に活かす。こうして成長へのサイクルが形成されていった。

 稲垣は階級変更を決めた当初、糸数に1年間でトータル280キロをあげられるように目標を設定した。56キロ級でのベストは246キロ。周囲からは「1年間では難しいんじゃないの?」と疑問の声も上がった。しかし、糸数はみるみると記録を伸ばしていく。11年9月の東日本個人学生選手権ではトータル275キロの日本ジュニア記録を更新し、優勝を果たした。

 迎えた同年11月、糸数はパリで開催された世界選手権に62キロ級日本代表として参加した。この大会もロンドン五輪の出場枠がかかる重要な試合だった。
「当然、1階級上げたら調整方法を変える必要があります。なので、しばらく時間をかけないと、元からその階級で活躍している選手と互角には戦えないものです。しかし、糸数は1年も経たないうちに、62キロ級で世界選手権の代表の座をもぎとった。大したものだなと思います」

 課題は“勝負の1本”
 
 ロンドン五輪の出場枠は10年と11年の世界選手権2大会で、各国の選手の記録をポイントに変換し、そのランキング上位24カ国に3枠以上が与えられる。男子日本代表は2大会の合計ポイント数で26位にとどまり、出場枠を確保することができなかった。糸数の成績はスナッチ121キロ、ジャーク150キロのトータル271キロ。ベストに近い記録を残したものの、順位は個人21位に終わった。日本はこの4月に韓国で行われるアジア選手権(国別の対抗戦)で、7位以上の国に与えられる枠を確保する必要がある。

 仮に出場枠を手中にしても、五輪に出られるのは全8階級を通じて1人だけだ。日本ウエイトリフティング協会が定めた五輪派遣基準は、「五輪で8位以内に入賞する可能性が高い者」。アジア選手権は、全日本選手権(4月13日〜、北九州市)の後に行われ、代表選手は、この2大会の成績を考慮して選考される。つまり、日本の五輪出場枠がかかる大会で、自身の実力もアピールしなければならない。稲垣によると、実力からして日本が7位以上に入る可能性は高いという。とはいえ、結果が日本自体の五輪出場に関わるとなれば、失格の危険性を孕む無理なチャレンジはさせられない。そこで代表首脳陣は、アジア選手権の代表選手にはスナッチ、ジャークの各1回目の試技は絶対に失敗しない重量設定を指示する作戦を立てている。7位以上がある程度確定した段階で、選手個人にチャレンジさせるのだ。

 熾烈をきわめるであろう代表選考の展開を、稲垣はこう予測する。
「全日本選手権では特定の選手が五輪代表に近づくということにはならないと思いますね。やはり重要なのは、五輪出場枠獲得のプレッシャーがかかるアジア選手権でしょう。重圧の中で記録を残す確実性と、限界にチャレンジして勝った選手がロンドンに行けると思います」

 では、五輪に向けて、糸数の課題は何なのか。稲垣は「気持ちの切り替えのスピード」を指摘する。
「どの選手もそうですが、当然、調子には波があります。練習で“この記録まではあげられるだろう”と考えていても、失敗してしまう日もあります。その時に “あがらないものはあがらない”と割り切って、“じゃあ今はどういう練習をやるべきなのか”と意識を切り替えられるか。常にベストな練習を選択するベテランに比べて、糸数はこの切り替えのスピードがまだ遅いですね。まあ裏を返せば、それだけ真剣に取り組んでいるからこそ、悔しさが強いんでしょう。ただ、4月の2大会までは限られた時間しかありませんから、彼も徐々に切り替えの速さを意識するようになっていると感じます」

 糸数自身はメンタル・コントロールの未熟さを自覚した上で、“勝負強さ”を課題にあげる。それがもっとも問われるのは後半に行うクリーン&ジャークの最後の3試技目だ。ここで上位の選手を抜くことは“逆転ジャーク”と言われる。逆に“勝負の1本”に失敗した時は一気に順位を落とすことにもつながる。
「僕は勝負どころで結構、焦ってしまうことがあるんです。普段なら軽くあげられる重量なのに、焦ることでガチガチに力が入ってしまう。ウエイトリフティングは、引く時に力を抜かないといけないんですよ。バーベルを引き上げる時に、体がガチガチだとあがってこないんです」

 ウエイトリフティングの試合では、選手がバーベルをあげる前に上半身を揺すり、体の力を抜く場面が見られる。糸数の場合は手に滑り止めを塗ってから、プラットホーム(バーベルを挙げる舞台)に上がる前に3回ジャンプすることがリラックス方法だ。
「オンとオフというんですかね、力を入れるところは入れて、抜くところは抜く。焦ると、オン・オフのタイミングにズレが生じてしまうんです。僕は緊張するとガチガチになるタイプ。ひどい時はジャンプすることも忘れています。そういう時は失敗することが多いですね(苦笑)」
 極限の中でオン・オフをしっかりコントロールできるようになれば、糸数が目指す選手像にもつながっていく。
「どんな時でもしっかり記録を残して、仲間から“アイツが出たらもう大丈夫だな”。対戦相手からは“アイツには勝てないんじゃないか”と思われる選手になりたいですね」

 恩返しは五輪の舞台で

 4月の2大会に向けて、糸数と稲垣はトータルで300キロをクリアすることを目標に設定している。これは62キロ級の日本記録であり、北京五輪であればメダルを獲得する数字でもある。協会の定めた「五輪8位以内」にも十分届く。糸数の公認ベスト記録はトータル275キロ(スナッチ120キロ、ジャーク155キロ)だが、現在、練習ではトータル290キロを記録するまでになった。“目標達成力の高さ”。稲垣は糸数の魅力のひとつをこう表現する。
「以前も私が“目標設定、それじゃ低いんじゃないの?”と指摘すると“今、僕の頭の中で考えられる数字なんです”と言っていました。自分でここまでやると決めた時の、目標を達成するんだという意志の強さは人一倍あると思います。実際、300キロまであと少しのところまできていますから」

 実戦でトータル290キロ以上をあげられるようになれば「もう、五輪は夢じゃない」と糸数も手応えを掴んでいる。現在20歳の糸数は、16年のリオデジャネイロ五輪でもまだ25歳。万が一、ロンドンに行けなくても、五輪に出るチャンスはある。だが、本人にそんな考えはこれっぽっちもない。
「ロンドンで五輪での戦いを体感する。そしてリオ五輪ではロンドンの経験をいかして、メダルを視野に入れて戦いたいんです」
 この1月、久高島に帰省した時には、島中から力をもらった。
「“新聞に載るのを楽しみにしているよ”と言ってもらったり、僕の顔を見て泣いてくれるおばあちゃんもいたんです。改めて、たくさんの人たちに応援されているんだなと感じました。大学に行かせてもらったり、充実した環境で練習できるのも、これまでの恩師や監督をはじめとした多くの方々とのいいめぐり合わせがあったから。本当に今、恵まれていると思っています」

“五輪でしっかり記録を残すこと”。それがお世話になっている人々への最大の恩返しだ。
「ロンドンは男子の出場枠がうまくいっても1枠しか確保できません。今の自分の実力では代表に選ばれる可能性は低いでしょう。でも、もし自分に代表になる可能性があるのであれば、絶対にそのチャンスを掴みたいですね」
 ウエイトリフティングという運命の“糸”に導かれ、ここまでやってきた。ロンドン五輪出場、そしてリオでのメダル獲得――。双肩にかかる多くの想いを、夢の舞台でバーベルとともに持ちあげてみせる。

(おわり) 

糸数陽一(いとかず・よういち)プロフィール>
1991年5月24日、沖縄県生まれ。中学2年時にウエイトリフティングに出会い、高校入学とともに本格的に競技生活を開始。豊見城高時代には2年連続の高校3冠を達成。08年にはアジアユース選手権優勝も果たした。日本大学に進学した10年からJOCの強化指定を受け、味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)を拠点に活動している。現在は4月の全日本選手権とロンドン五輪出場権がかかるアジア選手権にむけてトレーニング中。階級は62キロ級。公式の自己ベストはスナッチ120キロ、クリーン&ジャーク155キロのトータル275キロ。身長157センチ。

(鈴木友多)
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