1月下旬より約10日間、モザンビーク、ザンビア、南アフリカとアフリカ大陸を訪れました。訪問の目的はODA(政府開発援助)がどのように実施されているのかを視察すること。今国会が始まるまで参議院のODA(政府開発援助)特別委員会の委員を務めていたため、視察メンバーに選ばれました。ODAによって建てられた各地の施設を見学したり、各国の政府関係者や日本から派遣されている青年海外協力隊の皆さんと意見交換をしたりと、有意義な訪問となりました。
 最初に訪れたモザンビークは実は愛媛と縁のある土地です。NPO法人のえひめグローバルネットワークが10年以上前から松山市の放置自転車を現地に送る活動をしてきました。20年前まで内戦が繰り広げられていたモザンビークでは、まだたくさんの武器が国民の手に残っています。それを自転車などの支援物資と交換するのです。

 この交流が実を結び、2008年には愛媛にモザンビークの大統領が来県しています。愛媛に他国の国家元首がやってきたのは初のことだったそうです。その後もモザンビークからは政財界の要人がたびたび来日し、インフラ整備に欠かせない土木技術などを学んでいます。

 次に訪れたザンビアは、これまで日本の国会議員が訪れたことが少なく、歓迎を受けました。しかし、ザンビアも日本とは古くから付き合いの国です。たとえば、おなじみの10円硬貨に使われている銅。この銅を日本は世界で4番目に多く輸入しています。

 そしてザンビアといえば、世界遺産になっているヴィクトリアの滝を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。滝観光の拠点となるリヴィングストン市から現地へ向かう幹線道路は日本のODAによってつくられています。

 ザンビアでは学校を訪問し、サッカーボールを贈呈しました。ザンビアは先日、アフリカネーションズカップで初優勝を果たしたようにサッカーが盛んです。しかし、プレーする環境は不十分で、子どもたちはテープでグルグル巻きにした紙のボールを裸足で蹴っています。

 日本代表のユニホームを着用して校庭に出ると、何と学校には700人もの子どもたちがいました。限られた時間のなか、リフティングをして、オーバヘッドシュートをみせると大歓声が起こります。これで心をつかめたのか、帰り道では「サインをしてくれ」と多くの子どもたちに囲まれました。ささいなことかもしれませんが、少しでも彼らが遠い日本に興味を持ってくれるきっかけになればうれしいです。

 ODAに対しては現地のニーズよりも、日本企業の海外進出目的で利用されているといった問題点が指摘されています。批判は充分に認識した上で、それでも現地の人たちは日本の援助に大きな期待を持っていることをアフリカ訪問で感じました。特に人々が望んでいるのはノウハウの伝授です。単なるお金のバラマキやハコモノをつくるのではなく、その国の人々が自分たちの手で産業を振興する手助けをする。ここに今後のODA支援のあり方があるように思いました。

 また、日本の技術を伝えるには青年海外協力隊の活動が欠かせません。今回の訪問では農業、土木の専門家や、エイズ予防に取り組む医療関係者、子どもたちの教育に携わる先生、と現地で活躍しているたくさんの日本人と出会いました。内向き志向と言われる現代の若者が、これほど多く海外で精力的に活動しているのは心強いことです。
 
 ただ、彼らの多くは学生の身分だったり、仕事を休んで現地に来ており、話をしていると帰国後の就職について心配していました。せっかくの貴重な経験を日本に戻って還元できないのは、社会にとって大きな損失です。グローバル化の進んだ現代では、スポーツに限らず、世界を視野に入れることが大切になってきています。彼らが心置きなく活動し、より多くの若者が海外へ飛び出せるよう、国がサポートする体制を整えなくてはいけない。そんなことを考えながら日本に戻ってきたところです。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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