凛とした立ち姿が、ひとり際立っていた。今年2月26日、全日本選手権の開会式を控え、その表情はリラックスしつつも、彼女の背筋はピンと真っすぐ伸びていた。大東文化大学テコンドー部の笠原江梨香。ロンドン五輪の女子49キロ級日本代表に内定し、シドニー以来のメダル獲得が期待されるテコンドー界のニューヒロインである。

 

 3連覇に挑んだ今回の全日本選手権は、笠原にとってオリンピック代表内定後、初の大きな舞台となった。彼女への期待の表れであろう、会場には多くの報道陣が詰めかけていた。並の選手なら押し潰されかねない様々な“視線”が注がれる中、笠原はプレッシャーを感じていなかったのか。

 

「これだけたくさんのメディアの方に囲まれたのは、初めての体験だったので、すごく緊張しました。でも、試合では普段通り、1戦1戦、全力で戦うことに集中しました」
 その言葉通り、笠原は軽快なステップを踏み、多彩な技を繰り出した。コートに立つ彼女は水を得た魚のように、躍動していた。

 強さの源は、真摯な姿勢

 シード選手のため、2回戦から登場した笠原は、その初戦、1ラウンド目から流れるような連続攻撃で10ポイントを奪い、11−1で優勢勝ちを収めた。準決勝は対戦相手の棄権による不戦勝。迎えた決勝ではジュニアのホープ・大谷侑路(尼崎テコンドークラブAMA)を10−0と寄せ付けず、危なげなく勝利を手にした。対戦した大谷も「攻撃した後、次の攻撃に移るまでが速かった」と女王のスピードに舌を巻くほど笠原の実力は抜きんでていた。大会通算4度目の優勝を果たした笠原は、49キロ級において今や国内で無敵の存在だ。

 総合格闘家を目指し、日々トレーニング中の作田武俊は現在、笠原の専属練習パートナーを務めている。作田は彼女の強さについて、「スピードとパワーが女子のレベルじゃないですね。男子と比べても遜色のないレベルだと思います」と証言する。現役時代は全日本選手権で3度の準優勝を誇る作田でさえ、その能力の高さには驚くという。

 素質を持っていても、それを発揮できない選手もいる。だが、笠原は違う。全日本テコンドー協会の広報委員長を務める小池隆仁は、「(崩そうとしても)崩れない、非常にバランスのいい選手。女子にはなかなかいないタイプですね」と高く評価する。小池は東京憲守会の会長も兼ねており、国内の大会では、対戦相手のセコンドとして笠原に対する策を講じることもある。そんな小池の目にも、彼女のブレない強さは際立って映った。

 いったい笠原の強さはどこからくるものなのか――。大東文化大学テコンドー部の監督を務める金井洋はこう説明する。
「(身体能力としては)秀でたものはないと思います。反応もあまり速くないし、用意ドンから、スピードに乗るまでも遅かったりしますからね。じゃあ、何が一番秀でているかというと、それはテコンドーに対する真摯さです。技術はその延長でしかありません」

 

 身体能力の高さで言えば、同じくオリンピック代表に内定した57キロ級の濱田真由(佐賀テコンドー協会久保田支部)の方が上だという。しかし、テコンドーに対する純粋な思い、真っすぐな姿勢は他を圧倒している。それこそが彼女をここまで成長させた最大の要因なのだ。男子顔負けのスピードやパワーも、正確な技や堅いガードも、厳しい練習に真摯に取り組んできた日々の積み重ねによる結晶なのである。

 彼女のテコンドーに対する真摯な姿勢は高校生の頃からも見受けられていた。笠原が、シドニー五輪女子67キロ級銅メダリストの岡本依子と初めて会ったのは、高校2年の時、参考選手として招集された日本代表の強化合宿だった。シドニー、アテネ、北京と3大会連続出場を果たした岡本は、日本テコンドー界の象徴的存在だ。笠原にとっても尊敬する先輩のひとりである。その岡本と合宿では同部屋だったこともあり、よく可愛がってもらったという。当時は日本代表に1人も知り合いがいなかった笠原にとって、面倒見がよく、明るい性格の先輩の存在はありがたかった。一方、岡本は当時の笠原の印象をこう語る。
「その頃から、しっかりしていましたね。他の高校生たちがおしゃべりなどを楽しんでいても、笠原さんだけはしっかりとコンディションを整えていました」

 しかし、それは笠原にとっては特別なことではなかった。子供の頃から、“練習の時は練習”とメリハリをつけてやってきた。特に意識していたわけではなく、当たり前のようにやってきたことだ。それが周囲から見れば、真摯な姿として映っているに過ぎない。だが、それこそが、今の彼女の強さの源なのだ。

  着実に近づく、五輪という夢

 また、笠原の強さの源流は豊富な格闘技経験にもある。彼女が格闘技を始めたのは、小学校1年生の時だ。「元々、すごく引っ込み思案で、自分には特に取り柄というものがなかった」という。そんな自分を変えるために習い始めたのが、空手だった。小学校4年時には、ジュニアの全国大会でも優勝を収めるなど、家には数々の賞状やトロフィーが並んだ。「空手を始めて、自分に唯一、自信が持てるものができた」。いつしか内気だった少女は、強さという武器を手に入れた。得意技の左上段蹴りも、空手時代から自信のあった左の蹴りがベースにつながっている。さらに、本人は「地元の交流試合程度」とは語るものの、キックボクシングやボクシングなどの格闘技にもチャレンジした。こうした様々な経験が、武道家としての素地を培ったのだ。

 そして、彼女はテコンドーに出合う。通っていた空手道場の先輩であるソウル五輪日本代表の石井直人の勧めで、高校1年の時に大東大のオープン大会に出場したことがきっかけだった。石井自身も、空手からテコンドーに転向した経歴を持っていた。そんな縁もあって、可能性を感じた石井は、笠原をテコンドーに誘ったのだ。そこで笠原は、上級者が繰り出す技の美しさに見惚れた。「カッコいいな。自分もこんなふうにできたらな」と、彼女の心は奪われた。加えて、空手にはないオリンピックという大舞台の存在が、テコンドー転向への思いを後押しした。ただ、この時はまだ「夢のまた夢というか、テレビで見ているもので、本当に憧れのものでした」と、彼女にとってのオリンピック選手とは、雲の上の存在に過ぎなかった。

 笠原が通っていた静岡県・伊東高校にはテコンドー部がなかったため、地元の道場で練習を積んだ。練習環境のハンディキャップは大東大の合宿に参加するなど、工夫して補った。そしてテコンドーを本格的に始めてわずか1年半後の2007年、初めて出場した全日本選手権で見事優勝を果たす。夢だったオリンピックという存在が加速度を上げて近づいてきていた。

 大学は地元を離れ、東京の大東大に進学した。笠原にとって、テコンドーの名門校であり、高校時代から指導を受けていた金井監督のいる大東大を選ぶことに迷いはなかった。より恵まれた環境で、練習を積むことにより、順調に成長の階段を駆け上がってきた。09年東アジア大会で銅メダル、10年のアジア選手権では銀メダルを獲得するなど、夢だったオリンピックは次第に目標へと変わっていった。

 そして笠原の存在に、世間が注目を集めはじめたのは、10年11月のことだ。中国・広州で行なわれたアジア大会に女子49キロ級代表として出場した彼女は、初戦は東ティモール、準決勝はベトナムの選手を連破した。決勝では北京五輪同級金メダリストの呉静鈺(中国)に1−13の大差で敗れたものの、準優勝を果たす。アジア大会での銀メダルはテコンドーでは日本人女子として史上初の快挙であり、男女あわせても1998年バンコク大会以来のメダル(ともに銅)だった。奇しくも、当時のメダリストは、尊敬する先輩の岡本と、そして現在笠原を指導する金井だった。ふたりを上回る結果を手に入れたことで、オリンピックへの道が開かれつつあることを、笠原は感じ始めていた。

(つづく)

笠原江梨香(かさはら・えりか)プロフィール>
1990年10月3日、静岡県生まれ。小学1年から空手を始め、高校1年でテコンドーに転向。2007年の全日本選手権では初出場初優勝を果たす。高校卒業後、大東文化大学に進学。10年アジア選手権では準優勝。同年の広州アジア大会で日本女子初の銀メダルを獲得する。昨年11月、タイ・バンコクで行なわれたロンドン五輪アジア予選で2位に入り、出場枠を獲得。翌月、ロンドン五輪テコンドー女子49キロ級代表に内定する。今年2月に行なわれた全日本選手権で優勝し、3連覇を達成した。身長164センチ。得意技は上段蹴り。

(杉浦泰介)


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