今月よりスタートした「キャッチ! The LODNON」では、ロンドンオリンピック・パラリンピックにまつわる情報をお届けします。ロンドンで活躍が期待される注目選手やニューカマー、さらには戦いの舞台裏など幅広く“キャッチ”していきます!

 2日に開幕した競泳日本選手権は、ロンドンオリンピックの選考会を兼ねて行なわれ、熱いレースが展開された。なかでも注目は、ロンドンで4大会連続出場、そして3大会連続2冠を狙う北島康介(アクエリアス)。100メートルでは日本新記録で優勝、そして得意の200メートルをも制し、最高のかたちで4大会連続出場を決めた。しかし、ここまでの道のりは決して順風満帆だったわけではない。北京五輪以降、北島は平井伯昌コーチの元を離れ、練習拠点を米国に移した。国際大会の復帰戦となった2010年のパンパシフィック選手権では100メートル、200メートルで2冠を達成し、健在をアピールした北島だったが、昨年の世界選手権では100メートルでまさかの4位。200メートルでは銀メダルを獲得したものの、ロンドンでの2冠達成に黄色信号が灯った。ところが、今回の選考会では北京五輪以来となる自己ベスト更新で100メートルを制したのだ。
(写真:2冠達成で4大会連続出場を決めた北島)
 後輩からの刺激が記録更新へ

 今回、北島は得意の200メートルに絞ることも十分に考えられたはずだ。しかし、そうしなかったのは、人一倍強い“チャレンジ精神”が彼自身の背中を押したからだった。
「あのレース(昨年の世界選手権)はどうしようもなかった。でも、やっぱり100メートルはレースをしていて楽しい。(周囲からは)『200メートルの方がチャンスがある』と言われる中で、自分でも『そうだよな』と思う半面、『100でも勝負したい』という諦めきれない気持ちが強かった」

 そんな強い気持ちで臨んだ100メートル、北島は予選、準決勝を全体1位で通過すると、決勝では北京五輪で樹立した自己ベストを0.01秒更新して優勝し、1枚目の切符をつかんだ。4年に一度の五輪イヤーでの自己記録更新に「自分でもさすがだと思う」と報道陣の笑いを誘いながらも、北島はこう続けた。
「これだけ必死に頑張っても、4年間で100分の1秒しか縮めることができない。改めて厳しい世界だと思ったし、同時に100分の1秒の重さを感じることができた」

 そして北島が日本選手権で何度も口にしたのが「後輩からの刺激」だった。常に海外の強豪たちを見据えて戦っていた4年前の北島にとって、国内選考会は一つの通過点に過ぎなかった。しかし、今回は世界の舞台に立つために、まずは国内の舞台で勝ち抜かなければならないという気持ちが強かった。その意味では、プレッシャーは4年前の比ではなく、選考会前は不安がよぎったこともあったという。
「日本の選考会のレベルは高い。そこでまず自分の力を出し切らなければ勝てないと思っていた」
 その気持ちが、自己ベスト更新への泳ぎとなったのだ。

 とはいえ、実は北島にとっては会心の泳ぎではなかった。最後、壁にタッチした感覚では「59秒台かな」と考えていたという。最後の10メートルに伸びがなく、多少の焦りを感じていたのだ。しかし、結果は59秒を切る好タイム。27秒69というスピードで泳いだ前半の貯金がいきた。北島自身は最後の焦りは「誤算だった」と語ったものの、それでいて自己ベスト更新をやってのけてしまうあたり、やはり平井コーチが言うように「達人の域」に達しているのかもしれない。

 200の勝因は前半での我慢

 だが、北島も29歳だ。疲労の度合いは10代や20代前半の若手とは違う。100メートルの決勝の2日後、200メートルの予選、準決勝が行なわれた。午前の予選は全体の4位。1位には100メートルで3位の17歳の山口観弘(志布志DC)、2位には同2位で初の五輪出場を決めた22歳の立石諒(NECGSC玉川)が入った。後半での追い上げは年齢差が露呈したかたちとなった。続いて行なわれた午後の準決勝、北島は2位に入った。しかし、150メートルのターンでは体一つ分を立石に差をつけていたが、最後の50メートルで一気にその差を縮められ、結果的には立石にトップの座を明け渡した。

(写真:100、200ともにロンドンの切符を獲得した北島<左>と立石)
「いやぁ、辛いよ」
 準決勝後の北島の言葉だ。笑みを浮かべながらも、肩で息をするその姿からは疲労感がにじみ出ていた。しかし、「明日も前半から積極的にいくよ」と強気の姿勢は一貫していた。
「自分が引っ張っていくつもりで決勝でも前半から勝負をかけにいく。若手も頑張っているので、負けられない」

 その宣言通り、北島は翌日の決勝も前半からトップの座を確保しながら、残り15メートルのところまでは日本記録を上回る泳ぎでレースを引っ張った。しかし、やはり最後の最後に立石が怒涛の追い上げを見せ、ほぼ並んでゴール。結果はわずか0.17秒という僅差で北島が優勝し、100メートルに続いての2冠を達成した。「最後は必死だった」という北島。だが、「ああいうレースこそが自分のレースであり、まだああいうレースができるということを証明することができた」と納得の表情を浮かべた。

 銀メダルを獲得した昨年の世界選手権では「150メートルでいっぱいいっぱいだった」という北島だが、今回は最後に余力を残し、粘り強い泳ぎをしてみせた。その粘りを後押ししたのが、前半での“我慢”だった。この日、夜のレースにしっかりと合わせ、調整してきた北島は体のキレを取り戻していた。だが、それは一つ間違えれば、マイナスに働く可能性もあった。前半、体が動くままにスピードに乗ってしまえば、最も重要なラスト15メートルでブレーキがかかり、勝負することができなくなるからだ。つまり、調子の良かった北島にとっては、積極的に入りながらも、いきすぎないように自分を抑えるという前半のバランスこそが、勝負のカギを握っていたのだ。

 結局、100メートル、200メートルともに制覇し、強さを見せつけてロンドン行きを決めた北島。選考会を終えた現在の心境をこう語っている。
「(選考会での)一番の収穫はトレーニングをしてきたことをきちんと出せたこと。いろんな不安やプレッシャーがあり、レベルの高い中で力を発揮できたので、世界に出て行く怖さはなくなった。今後は記録を上げていくために、いい練習をして、いい心の準備をして五輪に臨みたい」

 北島が目指すのは3大会連続2冠ではない。あくまでも、彼が追いかけているのは金メダル。その結果が史上初の偉業達成というだけにすぎない。だからこそ、彼は委縮することなく、チャレンジャーでいられるのだろう。日本競泳界のスローガンである「センターボールに日の丸を」、そして初となる「ロンドンの空に日の丸を」北島は揚げることができるのか。アテネ、北京とはまた違う、29歳ならではの味のある“進化”を見せてほしい。

(文・写真/斎藤寿子)
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