パーン! バシン! ミットを叩く乾いた音が体育館に鳴り響く。大東文化大学テコンドー部の笠原江梨香は今、8月のロンドン五輪に向けて、日々特訓を重ねている。5月には大舞台への試金石となる2つの国際大会(アジア選手権、世界大学選手権)が控えており、まずはそこに照準を合わせている。彼女を指導する同大テコンドー部監督の金井洋は、ミットを構えながら、様々な攻守のパターンを要求する。試合における多種多様な場面を想定して、その対処法を体に叩き込ませているのだ。


 向上心、気迫で勝ち獲った五輪への切符

 金井は笠原に対し、「常に挑戦する気持ちを忘れるな」と説いている。それには大きな理由がある。金井は現役時代、1998年のタイ・バンコクでのアジア大会に出場し、ライト級で銅メダルを獲得した。翌年にはシドニー五輪の予選が控えており、彼はアジア大会での好成績でオリンピックへの手応えを感じていた。しかし、クロアチア・ポレチで行われた世界予選、そこで金井を待っていた結果は、男子68キロ級で初戦(2回戦)敗退――。アジアで掴んだ手応えは、世界を相手にして脆くも崩れ去った。その敗因を金井はこう語る。
「僕はメダルを獲って、“このまま頑張ろう”と思ってしまったんです。周りはもっと上を目指しているのに、振り返ってみれば、自分では練習をしていたつもりでも現状の維持だった。“このまま頑張ろう”と思った瞬間から、後退がはじまっていたんです」
 この時の敗戦から学んだ教訓を今、金井は笠原への指導にいかしている。

 2010年11月、笠原は広州アジア大会で銀メダルを獲得した。次なるステップは五輪出場枠の獲得だった。さらなるレベルアップを図るため、大会後には栄養、フィジカル面等のサポート環境を整えた。そして専属練習パートナーには大東大テコンドー部のOB、作田武俊に依頼した。全体練習の際、通常では2人1組で、技を仕掛ける側、受ける側を交互に受け持つ。それが専属のパートナーをつけることにより、そのローテーションを省くことができ、休憩なしで練習を行うことができる。つまり、他の部員と比べて、倍以上の練習量をこなすことができるのだ。これによって、技術だけではなく体力面の強化も図った。課された厳しい練習にも笠原は、“自分はもっとできる”“もっと成長できる”と、高い意識を持って取り組んでいる。こうした日々の積み重ねが自信の裏付けとなっていった。

 そして広州アジア大会から8カ月後、11年7月に笠原はアゼルバイジャン・バクーで行われたロンドン五輪世界予選に出場した。予選で3位以内に入れば、ロンドン五輪出場枠を獲得できる。笠原は幸先よくホンジュラス、カナダの選手に連勝し、準々決勝に進出した。その準々決勝では、世界女王・呉静鈺(中国)に挑んだ。過去2度敗れている呉を相手に、序盤はリードする。しかし、2ラウンド終盤に逆転を許し、結局2−10で3度目の敗北を喫した。同大会でアジア勢では、優勝した呉と3位に入った楊淑君(台湾)がロンドン五輪の出場枠を獲得。ベスト8の笠原はこの大会で五輪の出場枠を奪取することはできなかった。しかし、この年の世界選手権で優勝を争った2人が既に出場権を得たことにより、11月のアジア予選には“2強”が不在となる。同予選でも上位3名までに与えられるロンドン五輪出場枠獲得を目指す笠原にとって、願ってもないチャンスだった。

 バンコクでのアジア予選、笠原はインドネシアの選手に危なげなく9−4で快勝し、初戦(2回戦)を突破した。ロンドン五輪への出場枠獲得にあと一勝と迫った大一番の準決勝は、アテネ、北京両五輪に出場したテオ・エレイン(マレーシア)と対戦した。試合開始直後、笠原の左の中段蹴りがテオの脇腹にヒットし、わずか5秒で先制点を奪った。その後も着実にポイントを重ねながら、主導権を握った。8−5と3点リードで迎えた3ラウンドの終盤は、減点を覚悟の上で時間を稼ぎ、逃げ切りを図った。「空手をやってきた笠原にとって、下がることは“悪”だった」と金井は言う。それでも逃げ切りを選択した笠原にあったのは、 ロンドン五輪出場への執念だった。

 終了間際には、焦って向かってくる相手にカウンターの左蹴りを胴に一撃食らわした。9−6で勝利を収め、見事五輪の出場枠を獲得。試合終了のブザーが鳴った瞬間、笠原は両拳を握り、喜びを噛みしめるようにガッツポーズをした。決勝では地元タイの選手に敗れたものの、笠原は五輪への出場枠を手にすることで、その実力をはっきりと証明してみせた。そして、彼女の次なる挑戦のステージは、夢だったオリンピックに決定した。

 電子防具への準備、“カット”と“ステップ”

 現在、テコンドー界は変革の時期を迎えている。それは北京五輪後に決まった電子防具の導入である。これまでは審判が目視で判定を下していたため、技の見栄えなどでポイントがとられていたこともあった。それを電子判定にすることにより、公平性と透明性を出そうというのだ。しかし、一方で電子防具の導入は、テコンドーの競技性を変えてしまうのではという声もある。それでも世界テコンドー連盟(WTF)が改革に踏み切ったのには、理由がある。テコンドーが、今後のオリンピックで、正式競技から外される可能性はゼロではない。記憶に新しいところでは、野球やソフトボールがオリンピックの正式種目から姿を消した。電子防具の導入による判定の明確化は、テコンドーがオリンピックで生き残るための策だった。テコンドー界の新たな“挑戦”である。

 はたして電子防具の導入は笠原にとって吉と出るのか、凶と出るのか――。それは前者となる可能性が高い。専属練習パートナーの作田は「狙ったところに当てる高い技術を持ち、守備もうまく点数をとられないタイプ」と笠原を評する。正確な攻撃と、堅いガードは、電子防具が生み出す公平性、判定の均一化を考えると、最適な能力といえるだろう。とはいえ、笠原陣営は電子防具対策を怠らない。現在はカットとステップの強化を重点的に図っている。カットとは足の裏を突き出して、相手に当てる別名“押し蹴り”という技である。カットは本来、つなぎの技であり、相手との距離をコントロールするための技とされている。ボクシングで例えるならジャブのようなものだ。昨年6月、ヨーロッパ製の電子防具が正式に採用が決まったことで、さらにカットを重視する機運は高まった。ヨーロッパ製の電子防具では、足の甲に1つ、土踏まずに2つ(中央部分とサイド)センサーが付いている。当然、足の裏を押し出すカットが攻撃面において有効になる。これにより長身選手、とりわけ足の長い選手にとっては追い風となった。このルール改正によりカットを多用するライバルも増えてきた。

 一方のステップは、カットに対するディフェンス、そこから攻撃へのつなぎにおいても重要なテクニックとなる。電子防具は、設定された強度を超える力を与えればポイントがつく。相手の攻撃に対し、距離を詰めて技を殺しても、接触することによって衝撃が加わることもある。つまり接触は、ポイントを奪われるリスクが伴うのだ。そのリスクを回避する上で、ステップの巧拙が勝負のカギを握る。笠原は昨年7月からステップの強化を本格的に始めた。来る日も来る日も、ステップを繰り返し練習した笠原の足の裏の皮は何度もめくれ、左足は内反小趾(小指が薬指側に曲がる症状)になった。こうした血の滲むような努力を続けた結果、1年足らずで見違えるようにステップは上達した。2月の全日本選手権で垣間見せた流麗なステップは、代表の強化スタッフら関係者も驚くほどの成長ぶりだった。指導した金井も「ようやく世界レベルになった」と、その成果に自信を見せる。さらには積み重ねたステップ練習が思わぬ副産物をもたらした。笠原は自らの変化について、「ステップをやるうちに体もブレなくなり、足もスムーズに運べるようになった」と語る。ステップの強化が、彼女の体幹をも鍛え上げたのだ。

 背負う期待、大舞台での力に

 真摯な姿勢でテコンドーと向き合い、順調に成長を続ける笠原に対し、監督の金井はここまでを振り返り、「笠原が大学に入学する時から、オリンピックに行くことを目標にやってきました。1年目はここまで、2年目はここまで、3年目で枠を獲って、4年でオリンピック出場と。ここまでは、計画通りに進みました」と語った。教え子の笠原が着実に残してきた結果は、金井にとっては指導者としての“証明”でもある。彼のように現役時代にオリンピックを目指していた選手が監督やコーチとなり、自身の経験をいかした指導で“オリンピックに挑戦できる”ということを示したのだ。

 とはいえ、ここまでの道程は決して2人だけでやってきたわけではない。「こうして代表になるまでには、沢山の支援や声援があってのことなので、すごく感謝しています」と笠原が話せば、金井も「テコンドー部には20数名いるのですが、その部員たちの協力なしには、今の笠原はいません。笠原にみんなが協力してくれたこと、学校も応援してくれたこと、そして全日本テコンドー協会関係各位、強化スタッフと連携をとりながらやれたこと。すべてがひとつの目標に向かって、協力体制を敷くことができたことが、この枠獲りと代表決定に繋がったと思っています」と、揃って部員や関係者への謝意の言葉を口にした。

 多くの支えの中、辿り着いた夢舞台には、立つことだけが目標ではない。笠原は「オリンピックでは表彰台に上がって、世界の舞台でしっかりと証明したいと思います」と力強く意気込みを語る。彼女が言う“証明”とは、今までやってきたことの結晶である。本人は具体的には明かさなかったが、“証明”という言葉は自分の力の誇示だけではない。そこにはサポートしてくれた周囲、いわば“チーム力”の立証など、笠原が背負う様々な思いが詰まっているのだろう。

 ここから先は指導する金井にとっても未知の領域だ。「まだ、オリンピックに行ったことはないですし、肌で感じてもいません。本当にどんなところかはわからない。でも、メダル獲得というのは、高い目標ですけど、決して高過ぎるとは思っていません」と、金井は彼女の挑戦に悲観も楽観もしていない。

 国内では無敵の笠原だが、国際大会では未だ無冠である。女子49キロ級のWTF世界ランキングは9位(2012年4月時点)。日本テコンドー界、12年ぶり2人目のメダル獲得という目標は容易いものではない。ただ、ここまでの歩みを支えてくれた人たちの期待に応えるには、自らの“足”で力を証明するしかない。
 ノーベル賞を2度(物理学、科学)受賞したキュリー夫人ことマリー・キュリーはこんな言葉を残している。「チャンスは、それに備えていた者に微笑む」。偉人の格言に従うなら、準備を着々と進める笠原は、その権利を有しているのではないだろうか。

 

 勇ましく、そして美しい立ち姿の笠原を、ロンドンの表彰台はきっと待っている。

(おわり)

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笠原江梨香(かさはら・えりか)プロフィール>
1990年10月3日、静岡県生まれ。小学1年から空手を始め、高校1年でテコンドーに転向。2007年の全日本選手権では初出場初優勝を果たす。高校卒業後、大東文化大学に進学。10年アジア選手権では準優勝。同年の広州アジア大会で日本女子初の銀メダルを獲得する。昨年11月、タイ・バンコクで行なわれたロンドン五輪アジア予選で2位に入り、出場枠を獲得。翌月、ロンドン五輪テコンドー女子49キロ級代表に内定する。今年2月に行なわれた全日本選手権で優勝し、3連覇を達成した。身長164センチ。得意技は上段蹴り。

(杉浦泰介)


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