夢穂と書いてみずほと読む。ニックネームは「みーちゃん」。ロンドン五輪で金メダルを目指す「なでしこジャパン」の不動のボランチだ。
 阪口とコンビを組む澤穂希が彼女のプレーを評して、あるテレビ番組でこう語っていた。
「自分があそこまで攻撃に専念できたのはみーちゃんのおかげ。今では“みーちゃんじゃないと嫌だ”ぐらいの感じです」
 なでしこが初の世界一に輝いた昨年7月の女子W杯では、6試合全てで澤とコンビを組んだ。
 この大会で澤が得点王となったのは、阪口がサッカーにおける地政学上の拠点である中盤の底をしっかり支えていたからである。なでしこの基本コンセプトは「守備あっての攻撃」。その中心にいるのがみーちゃんなのだ。

 元々はFWやトップ下など攻撃を得意とする選手だった。代表でも最初の頃は前線や、その周辺でプレーしていた。
 ボランチへの配置転換を決めたのは、なでしこの現監督・佐々木則夫である。
「守備はあまり好きじゃなかった。というより、どうやっていいのかさえわからなかった。とりあえずロングボールを蹴っておけ、ヘディングで跳ね返しておけ。監督から言われたのはそれくらいですね」

 同じ時期に澤もトップ下からボランチにコンバートされた。
「どちらかを経験者と組ませるんだったら分かるけど、お互いに初心者でしょう。最初の頃は二人とも何をやっていいかわからなかった。今考えると、監督、ものすごいチャレンジャーですよね(笑)」

 ボランチの喜びを知ったのは北京五輪の後からだ。
「私がFWを動かすこともあれば、センターバックの指示で動かされることもあります。皆で声を出し合ってボールを取った時の喜びは“ヤバい”と思うくらい。半端じゃないですよ」

 大阪府堺市の出身。現在はロックバンドでドラムを担当する2つ年上の兄・憂也の影響でサッカーを始めた。小学校時代は地元の下野池少年サッカースクールでプレーしていた。
「やんちゃな子もいっぱいいましたけど、男の子にだけは負けたくないという気持ちはすごく強かったですね」

 その後はサウスフリーウィンドFC、ラガッツァFC高槻スペランツァ(FC高槻の下部組織)に所属。06年からはTASAKIペルーレFCに移籍した。昼間は真珠に糸を通し、ネックレスを作る作業に没頭した。
「1日、100本ぐらい糸を通したことがあります。全てが手作業なので結構しんどかった。たまに行く5分のトイレ休憩がどれだけ幸せだったか(笑)」

 女子サッカーは当時も今も決して恵まれた環境にはない。サッカー一本でメシが食える選手は、ほんの一握り。働きながらサッカーができる選手は、それでも恵まれた方なのだ。

 TASAKIは08年限りで廃部になり、翌年、阪口は日本を飛び出した。女子サッカー最強国の米国で自分を試してみたくなったのだ。
 ところが、である。シーズン開幕後の練習試合中に大ケガを負ってしまったのだ。左ヒザ前十字靭帯の断裂だった。

「男の子が相手の試合でした。私がジャンプしている時、後ろから押されたんです。着地した瞬間、ヒザがグッと中に入るのがわかりました……」
 インディアナ州の病院で手術を受けた。両親は心配したが、本人によればアメリカの生活が楽しくて、まだ帰りたくない気持ちの方が強かった。

 心配が増したのは手術後だ。ヒザの痛みが取れないのだ。歩くことさえままならない時期もあった。
 翌年には帰国し、アルビレックス新潟レディースと契約した。冬の寒さがヒザにこたえた。
「復帰後、しばらくは痛み止めを飲んでプレーしていました。ドクターは“時間が解決してくれる”と言いましたが“絶対にそんなのウソや!”という気持ちでした。そのくらい痛みがひどかったんです。
 でも今思うと、やっぱり解決してくれたのは時間でした。ヒザのケガはサッカー選手にとって致命傷になることもあります。それを考えると私は運が良かったのかもしれない……」

 左ヒザのケガは、結果として人間の幅を広げることにつながった。真摯な口調で阪口は言う。
「その頃、何人か私の知っている選手が靭帯を切りました。そういう人たちの気持ちがわかるし、リハビリに際してはアドバイスすることもできる。それを考えると、あのケガには意味があったのかなと……」
 人間の幅が広がれば選手としての幅も広がる。味方は何を考えているのか。敵は何を嫌がっているのか。サッカーは将棋やチェス同様、知識や経験を駆使してのマインドゲーム(心理戦)である。

 この戦いに勝利するためには、相手の思考を探り、気持ちを読まなければならない。チームをハンドリングするボランチの選手には、何よりもその役割が求められる。
 日本はロンドン五輪のグループステージでカナダ、スウェーデン、南アフリカと対戦する。2位までなら自動的に決勝トーナメントに進出、3位でも勝ち点次第では突破の可能性がある。

 W杯を制した日本は追う立場から追われる立場になった。昨今はなでしこを見本にして、ボールをつないでくるチームが増えてきた。
 これについて阪口はどう考えているのか。
「私たちからしたら、本当は大きく蹴られた方が嫌なんですけどね。ボランチでボールを取ることを基本にしている日本にすれば、細かくつないでくれるのは、むしろウェルカムですよ。その方がはまりやすい。ぜひ相手にはそういうサッカーをやってもらいたい」

 今やみーちゃんを語らずして、なでしこを語ることはできない。

<この原稿は2012年6月に発売された『ビッグコミックオリジナル』7月5日号に掲載されたものを一部加筆したものです>
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