「リハビリが遅れている原因は、どこにあるのだろう……」
 昨年7月、アスレティック・トレーナー大木学は、ある選手の状態が気になっていた。当時、2年生の権裕人だ。彼はレギュラーになるべく選手であり、4連覇には欠けてはならない選手の一人として考えられていた。だが、春にハムストリングスの肉離れに見舞われ、リハビリが続いていた。しかも、回復の進行は大木が予想していたものよりもはるかに遅れていた。
 帝京大学ラグビー部では、本格的なシーズンに向けて、毎年夏に長野県の菅平高原で強化合宿を行なっている。それには必ず間に合うように、大木は同僚トレーナーの行なう権のリハビリを見ながら、復帰スケジュールを頭に描いていた。ところが、合宿1カ月前だというのに、本格的な走り込みができず、復帰の目処はたっていなかったのだ。

 大木には思い当たることがあった。権自身の気持ちだった。
「権は1年生の時から期待されていた選手で、監督やコーチからも『今年はトップチームに必要な選手だ』と聞いていたんです。もちろん、本人としてもそのつもりでいたと思います。でも、リハビリしている姿を見ていて、なんだか気持ちが甘いんじゃないかと感じたんです。『決勝戦に行きたいな』くらいの気持ちでいるように、私には思えました」

 大木は権に「オマエはいったいどういう気持ちで今、リハビリをしているんだ?」と問いただした。普段とは違う大木の厳しい口調に驚いたのか、権からはその場ではっきりとした答えは返ってはこなかったという。そこで大木は、自分の気持ちを語った。
「オレはオマエに選手権の決勝に出場して、ベンチではなく、グラウンドの中で試合終了のホイッスルを聞いて欲しいと思っている。だから、オマエもそれくらいの気持ちでリハビリをやってほしい」

 準備から求められる本気度

 大木が準備の段階から本番に向けた本気度を選手に求めるのにはワケがあった。
「大学選手権というのは、選手にとって特別な大会。だからこそ、勝ち進むにつれて独特のプレッシャーが募っていくんです。決勝の舞台ともなれば、特にそうです。普段の対抗戦などとは、まったく別の力が働くことがよくある。だからこそ、アクシデントが起こりやすいんです」

 あるワンシーンが、大木の脳裏をよぎっていた。2007年シーズン、帝京大学は準決勝に進出し、史上最多優勝を誇る早稲田大学と対戦した。勝てば初の決勝の舞台が待っていた。ところが前半10分、ひとりの選手が出血し、一時交代を余儀なくさせられるというアクシデントが起こった。大木はその時、チームに異変が起きていることを感じていた。

「傷自体は、ほんの切り傷程度だったんです。普段なら、特にパニックになるようなものではありませんでした。ところが、ふとグラウンドを見たら、チーム全体に動揺が走っているのがわかりました。試合開始早々ということもあったのでしょう。『こいつがいなくなったら、ディフェンスのラインは大丈夫だろうか……』というような表情が、あちらこちらで見えました。その時、改めて痛感させられました。こういうプレッシャーのかかる舞台では、ほんのちょっとの狂いが、これだけ大きな影響を及ぼしてしまうものなんだなと」

 もちろん、シナリオなどないスポーツにアクシデントはつきものである。だからこそ、準備が必要なのだ。いかにアクシデントを最小限に食い止められるかが、勝敗にも大きく影響する。
「普段通りに走って、普段通りにプレーする」
 簡単なように思えることこそ、大きな舞台では重要であり、それゆえに難しい。だからこそ、準備段階から本気が求められるのである。そのことを大木は、権にも理解させたかった。

「あそこまで考えて、自分に接してくれているとは思っていませんでした。今はとても感謝しています」
 後に大木は人づてに、権がそう言っていたことを聞いたという。結果的に、権は夏合宿に間に合った。そして、重要な1ピースとしての役割を果たし、4連覇に貢献する活躍を見せた。
「権が全試合に出場してくれたことが、本当に嬉しかったですね。彼のようにケガから復帰した選手がその後、離脱せずシーズンを全うする姿を見ると、トレーナー冥利に尽きます」

 指針となる日常の観察

 準備が重要なのは、何も選手に限ったことではない。それは大木自身にも求められることだった。
「重要な試合になればなるほど、選手にプレーを続行させるか否か、冷静な判断を迫られることがある。その時こそ、トレーナーの的確なアドバイスが必要だ。その時に備えて、しっかりと準備しておいてほしい」
 帝京大学ラグビー部のスタッフの一員となった初めての年、大木は岩出雅之監督からそう告げられた。その期待に応えようと、大木は試行錯誤を繰り返しながら、自分自身を磨いてきた。そのなかで日々の観察こそが、いざというときには重要だということを何度も味わってきた。

「ケガをした選手の様子や状態を見て、グラウンドに戻すにはどのくらいの時間や日数が必要かということを見極めるのですが、その時に大事なのは、いかに選手のことを把握しているかどうかなんです。同じようなケガの度合いでも、その時の選手の身体や気持ちの状態で、回復のスピードは変わってきます。毎日きちんとトレーニングやケアを行なっているか、練習に集中できているか、睡眠はとれているか……普段から選手の様子を細かく見ることが重要となるんです」

 普段の練習では、チームは複数のグループに分けられ、同時進行でトレーニングやラグビー練習が行われる。そのような状況で、大木はアンテナを広げて各グループや選手を観察している。例えば、先輩たちが技術指導を受けている間、グラウンドの外では、入部間もない1年生がランニングを課せられていた。大木はしばしば、その外周にも目を向けていた。さらに走り終わり、疲労困憊の様子でヒザに手をあてている選手たちに、大木はグラウンドに用意されているボトルを差し出し、水分補給を促していた。

「最もケガをしやすい時期のひとつは、まだ身体が出来上がっていない1年の前半です。季節的に徐々に気温が上がっていって、疲労も蓄積しやすくなる。だから毎日トレーニングの前後に体重を測り、減り幅が大きい選手には『しっかりと食べて休んで、明日また元気になってグラウンドに来いよ』というふうに声をかけるようにしています」
 こうした普段からの観察の積み重ねが、いざという時の大事な指針となる。

 これまで何度も苦い経験をしてきた大木には、それがよくわかっている。
「以前は自分の基準が曖昧で、ケガを負った選手が『大丈夫です』と言うので復帰させたら、結局再受傷して戻ってきた、というようなことが何度もありました。選手にもチームにも、申し訳なかったと思っています。成功例の方が少ないかもしれませんね。今はようやく経験値をいかすことができるようになったかな」
 その手応えは、確信へと変わりつつある。

 観察力が生み出した自信

 4連覇を達成した昨シーズンの大学選手権、決勝を前にアクシデントが起こっていた。準決勝の終了間際、当時3年の李聖彰が左の足首を捻挫してしまったのだ。李はオフェンス、ディフェンスの両面で起点となる、いわゆる「ナンバーエイト」。チームにとっては欠かすことのできない選手だった。本人はもちろん、チームの誰もが次の決勝に出場することを望んでいたことは言うまでもない。しかし、足首の腫れは決して小さいものではなかった。決勝まで約10日。判断は大木とチームドクターに委ねられた。

 3日後、大木は「これなら大丈夫だ」と確信した。腫れはまだひいてはいなかったが、順調に回復していた。チームドクターの意見も、大木と一致していた。2人からの“GOサイン”に、本人もチームも安堵したに違いない。果たして、李は無事に決勝でもスターティングで起用された。

 この時も大木の普段の観察が活かされていた。
「私が、『よし、いける』と思えたのは、日常の彼の姿勢を見ていたからです。トレーニング、ケア、食事、睡眠……彼はいつもきちんとやってきていました。だから残り1週間、チームの総力をあげて可能な限りの治療を加えれば、決勝に間に合わせるだけの回復力が彼にはあると思ったんです。あの時は『絶対に大丈夫』と、これまで以上に信じる気持ちがすごく強かったですね」
 帝京大学ラグビー部のスタッフに就任して、11年。チームとともに、大木もまた、進化し続けている。

<雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ>
 言わずと知れた、宮澤賢治の詩の冒頭文である。大木は、この詩の切り抜きを手帳に入れて、常に持ち歩いている。ふとした時、これを読んでは自らを省みるのだという。
「この詩に書いてあることって、トレーナーとして大事なことばかりなんです。例えば、<丈夫ナカラダヲモチ>なんて、絶対に必要ですからね。特に気に入っているのは、<東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ 北ニケンクァヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ>という件。これってトレーナーの仕事そのものだなぁ、と思うんです」

 アスレティック・トレーナーとは、いわゆる裏方である。決して表舞台には出てはこない。だが、いや、だからこそ、大木は自らの仕事に誇りを持っている。すべての栄光の背景には、こうした裏方に徹することのできる優秀な人物がいることを忘れてはならない。

(おわり)

大木学(おおき・まなぶ)
1972年生まれ。有限会社トライ・ワークス所属。96年、早稲田大学人間科学学部スポーツ科学科卒業。2000年、Western Michigan University修士課程修了。米国のスポーツクリニックや高校でのトレーナー、いすゞ自動車ギガキャッツ・バスケットボール部アシスタント・トレーナーを経て、02年より帝京大学ラグビー部ヘッドアスレティック・トレーナーを務める。同部の4連覇に大きく貢献した。

(文・写真/斎藤寿子)
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