二宮: 佐藤さんは2020年オリンピック・パラリンピック招致でも、さまざまな活動を行なっています。3月には視察に訪れた国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の人たちに対してのプレゼンテーションもされました。

佐藤: はい、貴重な機会をいただいたと感謝しています。伝わるプレゼンテーションになるように、パラリンピアンとしての思いや経験を少しでも込められるよう、相談させてもらいました。他の方のプレゼンも含めて、「パラリンピックもオリンピックと一体となってやっていく」という意思や開催プラン、そして「アスリートファースト」の目線を表明しています。より招致が実現して欲しいという気持ちが強まりましたね。

 

二宮: 2016年大会の招致活動からは名称も「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」となり、実際の活動自体もオリンピアンとパラリンピアンが一体となって行なわれています。日本スポーツ界にとっては、画期的なことではないでしょうか。

佐藤: パラリンピックあるいはパラリンピアンにとって、非常に大きな意義のあることだと思います。オリンピアンとパラリンピアンが一緒に活動していくなかで、相互理解が深まってきていて、将来的にはさまざまな部分で組織統合という話も少しずつ出てくると期待しています。

 

二宮: 国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)は連携を強化しており、オリンピックとパラリンピックの開催組織委員会は統合されています。こうした世界の動きを見ても、日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会(JPC)が関係性を深めていくことは、自然な流れですよね。

佐藤: 今、ようやくそのスタート地点に立ったかなという感じですね。今後は、さらに加速していくことが望まれます。

 

 スポーツの力で広がる可能性

 

二宮: これまで競技生活を続けてきたなかで感じたスポーツの力とは?

佐藤: スポーツの力でできることは、本当に数えきれないくらいたくさんあると思いますが、そのなかで私が一番に感じているのは、子どもたちへの影響です。目標に向かって努力するということが、どれだけ素晴らしいことで、どれだけたくさんのことを得ることができるか。それがわかりやすいのが、子どもたちにとってはスポーツだと思うんです。

 

二宮: スポーツを続けるうえで得られることとは?

佐藤: スポーツをするには頭も使うし、忍耐力も必要です。そして、他人を尊重し、協力し合うことの重要性も教えてもらうことができます。私自身も、スポーツを通して、人として生きるために大事なことをたくさん学んできました。

 

二宮: だからこそ、義足になった時もスポーツをやり続けようという気持ちが沸き起こったんでしょうね。

佐藤: はい。義足になってからスポーツを再開して感じたのは、自分が勝手に限界をつくっていたこと、そしてその限界は突破できるんだということ。はじめは、義足で跳ぶなんてことは考えられなかったですから。スポーツは私の視野を広げてくれましたし、限界さえつくらなければ、無限大に可能性は広がっていくということを教えてくれました。そのことを、もっと多くの子どもたちに知ってほしい。東京オリンピック・パラリンピックが、そのひとつのきっかけになってくれたらなと思っています。

 

(おわり)

 

佐藤真海(さとう・まみ)プロフィール>

1982年3月12日、宮城県生まれ。サントリーホールディングス株式会社勤務。早稲田大学2年時に骨肉腫を発症し、右足ヒザ下を切断。退院後、東京都障害者総合スポーツセンターで水泳を始める。その後、競技用義足の第一人者・臼井二美男氏と出会い、陸上競技へ。走り幅跳びで2004年アテネ、08年北京に続いて、昨年ロンドンパラリンピックに出場した。2013年2月に日本スポーツ振興センターのSports Japanアンバサダーに就任。著書に『ラッキーガール』(集英社)、『夢を跳ぶ――パラリンピック・アスリートの挑戦』(岩波ジュニア新書)、『とぶ!夢に向かって』(学研)がある。

サントリーホールディングス株式会社 http://www.suntory.co.jp/


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