ロンドンの次、つまり2016年夏季五輪はブラジルのリオデジャネイロで開催される。言うまでもなく南米初だ。20年大会の開催地は来年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで決定するが、東京、マドリードとともにトルコのイスタンブールが最終選考に残っている。こちらはイスラム圏初を売り物にしている。
 冬季五輪に目を移すと14年がロシアのソチ、18年が韓国の平昌で開催される。IOC(国際オリンピック委員会)が新興国にウイングを広げ、マーケットの拡大に余念がないのは近年の開催都市を見れば明らかだ。

 IOCと勢力を二分する巨大スポーツ組織FIFA(国際サッカー連盟)の新興国シフトはIOCよりも、さらに顕著だ。W杯は10年が南アフリカ、14年がブラジルと2大会続けて南半球開催となる。そして18年はロシア、22年は灼熱のカタールで行われる。サッカーボールが転がるところにビジネスは生まれる。

 肥大化の一途をたどるスポーツビジネスの中枢にいた人物がIOC前会長のフアン・アントニオ・サマランチとFIFA前会長のジョアン・アベランジェであったことは言を俟たない。IAAF(国際陸上競技連盟)前会長のプリモ・ネビオロも加えると、本書(光文社刊)に登場するある競技団体のトップが<最近のスポーツ界は「ラテンアメリカとラテン系ヨーロッパ人にすっかり支配されている」>と苦々しく語る件(くだり)には相槌を打ちたくなる。サマランチはスペイン人、アベランジェはブラジル人、そしてネビオロはイタリア人だ。

 しかしラテン系の彼らは、その民族性、あるいは国民性ゆえんに尋常ならざる上昇志向をむき出しにしたわけではない。特にサマランチがそうであるように、ポリティシャンとしての素養は出自にまで遡らなければ理解も解明もできない。

 サマランチが<フランコのファシスト一派も軍服を脱いで背広に着替えた>ひとりであったことは、当時から有名だった。だが、彼が独裁体制の中でどのような地位を占め、背広に着替えてから、どういう手法で“オリンピック教皇”にまで上り詰めたかについては、ほとんど知られていなかった。その意味で20年前に本書を読んだ時の衝撃は小さくなかった。調査ドキュメンタリーの傑作中の傑作と言っていいだろう。

 ただひとつ気になる点があった。監訳者(広瀬隆)も指摘しているが、ややもするとアマチュアリズムの本家である英国的スポーツ史観を絶対善とする立場が見え隠れし、それを汚す者は許さないとでも言いたげな筆致が目立つ。これは少々、狭量であり、危うい。撃つべき対象―真の五輪貴族―はもっと他にいたのではないかとの印象は今も拭えない。
「黒い輪」 ( V・シムソン、A・ジェニングズ著・光文社)

<上記は2012年7月25日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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